排日

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

排日、排日運動(はいにち、はいにちうんどう)とは日本国外の国家において日本人を排除しようという概念。これは主に日米関係に関する事柄で使われる言葉であり、戦前には排日移民法が制定されるなど米国で国家ぐるみで排日活動が行われたという過去がある。一方で、大正三年中国営口支那小学校で使用される「高等小学校論説文範 山陰邵伯棠著 上海文堂粹記出版」という教科書の中に排日運動の思想を教え込む記述がある。「發愛国之思想播良書之種子願全国高等小学校作國文読本可也」

アメリカにおける排日運動[編集]

アメリカにおける日本人移民排斥は,カリフォルニア州を中心とする太平洋岸に4000人程度の日本人が移住しているにすぎない1890年代にすでに始まっていた[1]。主な原因は、人種差別と経済的理由。

年譜[編集]

  • 1882年 中国人排斥法(東洋系移民に対する差別法の端緒)。アメリカへ入国できなくなった中国人に代わって、日本人移民が増え始める。
  • 1900年 カリフォルニア州で日系人の漁業禁止法が提案される。
  • 1903年 日本メキシコ労働組合(アメリカで働く両国民合同の組合)の全米労働者連盟への支部申請に対し、同連盟から加盟の条件として日本人を排除することが要求されたが、同組合のメキシコ側代表がそれを飲まなかったため、申請が却下される。
  • 1904年 中国人排斥法に日本人と韓国人を加えるよう動議される。
  • 1905年 日露戦争終結。有色人種の東洋人である日本が西洋人に勝利したことにより、以前からくすぶっていた黄禍論が西洋社会を席巻する。アジア人排斥同盟が結成される。
  • 1906年 日本を仮想敵国としたオレンジ計画始まる。サンフランシスコ教育委員会が中国人と同様に、日本人と韓国人にも学生隔離命令(白人から離し、集中隔離する差別措置)を出す。
  • 1907年 サンフランシスコで反日暴動。日本人移住者が多かった同市とロサンゼルスは排日の本場となり、漁業禁止法や修学拒否などさまざまな日系人排斥運動が勃発する。メキシコ,ハワイ,カナダ在住日本人のアメリカ本土入国禁止。
  • 1908年 日米紳士協定により、日本はごく少数を除き米国への移民を禁止、アメリカ側は排日法案を作らないことを約束。同年秋、世界一周を名目に、アメリカの海軍力を誇示するため艦隊グレート・ホワイト・フリートで日本に来航し、威嚇。
  • 1913年 紳士協定を破り、アメリカで排日土地法が発令。日本人を帰化不能外国人とする。
  • 1918年 第一次大戦終結により大量の兵士が帰国し、底辺の仕事を奪い合うことになる新移民、とくに東洋人への排斥運動がさらに激化する。
  • 1920年 さらに厳しい排日土地法発令。
  • 1922年 日本人移民の市民権帰化権剥奪(1952年まで続く)。
  • 1924年 排日移民法成立。WASP以外の移民を制限するための移民法のため、カソリックやユダヤ教の多い東・南欧や南米などからの移民も含まれていたが、東洋人のみを帰化不能外国人に指定したうえ、日本人移民が本格化する前の1890年の国別移民人口比を敢えて基にして移民数を制限するなど、排日色が明白であったため、日本政府は抗議の提案書を米政府に提出し交渉を続けたが退けられた(この国別割当法は1965年まで続いた)。
  • 1939年 第二次世界大戦勃発
  • 1941年 中国人排斥法撤廃
  • 1942年 日系人の強制収容始まる
  • 1945年 第二次世界大戦終結
  • 1946年 日系人の強制収容解かれる

以降については、アメリカ合衆国の人種差別を参照。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 排日運動世界大百科事典 第2版

参考文献[編集]

  • 『欧米めぐり夢の旅 : 附・諸外国での生活費』荒木東一郎 著 (誠文堂, 1922) - 1920年頃のアメリカでの排日運動に触れている。
  • 『カリフォルニア州の排日運動と日米関係―移民問題をめぐる日米摩擦、1906~1921年 』簑原俊洋、神戸大学研究双書刊行会 (2006/10)
  • 排日熱の高まり 一世の開拓者たち -ハワイとアメリカ本土における日本人移民の歴史 1885~1924その9、アケミ・キクムラ・ヤノ、Discover Nikkei、2011年2月28日

関連項目[編集]