實川清之

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實川 清之
じつかわ きよし
生年月日 (1903-10-06) 1903年10月6日
出生地 日本の旗 千葉県山武郡千代田村
没年月日 (1980-09-11) 1980年9月11日(76歳没)
出身校 日本大学文学部中退
所属政党 日本社会党

選挙区 旧千葉3区
当選回数 4回
在任期間 1958年5月22日 - 1969年12月27日
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實川 清之(じつかわ きよし、1903年10月6日[1] - 1980年9月11日[2][3])は、日本政治家日本社会党衆議院議員(4期)。

経歴[編集]

千葉県山武郡千代田村(現:芝山町)出身[1]日本大学文学部社会学科に入るが[2]、社会運動に加わり同大学を中退する[2]。中退後は帰郷し、農民運動に投じる。1926年京都学連事件で検挙され、禁錮10ヶ月の刑を科せられる[1]。出所後は日本農民組合千葉県連合会の結成に参加し書記になる[1]。その後、労働農民党の結成に加わるが、1929年四・一六事件で再び検挙され懲役6年の刑を科せられる[1]。出獄後は農民運動の指導者となるが、人民戦線事件で検挙され[1]、釈放後の1939年満洲に渡り、満蒙開拓に関わる[2]

1945年の敗戦により帰国[2]。帰国後は日本社会党に入り、千代田村長などを歴任、1958年第28回衆議院議員総選挙千葉3区から立候補して初当選。

三里塚闘争初期において小川国彦らとともに新東京国際空港(現・成田国際空港)建設反対運動を支援し、一坪地主に名を連ねた[4]。開港後は井岡大治とともに岩手県農協施設のポストをあてがうことなどを条件に三里塚芝山連合空港反対同盟事務局長の北原鉱治に三里塚闘争から手を引くよう持ち掛けるなどして、闘争の幕引きを図った[5][6]

衆議院議員は連続で4期務め、この間に日本社会党千葉県委員長などを歴任[2]したが、1969年第32回衆議院議員総選挙で落選した。1980年死去。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ株式会社、2003年、298頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』307頁。
  3. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、603頁。
  4. ^ 第065回国会 予算委員会 第7号”. 国会会議録検索システム. 国立国会図書館. 2019年2月4日閲覧。
  5. ^ 隅谷三喜男『成田の空と大地』岩波書店、1996年、165頁。
  6. ^ 北原鉱治『大地の乱 成田闘争―三里塚反対同盟事務局長の30年』 お茶の水書房、1996年、130-131頁。

参考文献[編集]

  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ2003年(平成15年)。