安珍・清姫伝説

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「竹のひと節 日高川」 義太夫節『日高川』の場面を描く。楊洲周延画。

安珍・清姫伝説(あんちんきよひめでんせつ)とは、紀州道成寺にまつわる伝説のこと。思いを寄せた僧の安珍に裏切られた少女の清姫が激怒のあまりに変化し、道成寺で鐘ごと安珍を焼き殺すことを内容としている。

概要[編集]

月岡芳年画。『和漢百物語』1865年

安珍・清姫伝説とは、和歌山県日高川町にある天台宗の寺院である道成寺にまつわる平安時代の伝承にして仏教説話であり、若き僧安珍と清姫の悲恋と情念をテーマとして歌舞伎浄瑠璃などさまざまな題材にされてきた話である。「道成寺縁起」とも呼ばれる。

安珍清姫の伝説の原型については、説話として古く平安時代の『大日本国法華験記』(『法華験記』)、『今昔物語集』に現れる。これらの話は若く美しい僧が老僧と2人で参詣の旅をしている途中、若い寡婦(必ずしも未亡人とは限らない[1])の家に宿泊したところこの寡婦に結婚を迫られ、参詣の帰りには意に沿うという約束で誤魔化そうとするが、帰りを待ちわびていた寡婦は騙されたことに気付いて嘆き死にし大蛇になり果てて道成寺まで僧を追いかけ、鐘の中に隠れていた僧は焼かれ死ぬというものである。そして若い僧は道成寺の老僧の夢の中に蛇の姿で現れ自分は蛇の女の夫になりこの姿になってしまったと嘆くが、老僧の法華経によって邪道を離れて女と共に救われるという結末で終わり、法華経の力の喧伝を目的としている。 さらに古くは『古事記』の本牟智和気王説話に出雲の肥河における蛇女との婚礼の話にも類似性があり、誉津別命が参詣の旅の途中、宿泊先で女を娶ったとときその姿を覗き見て正体が蛇であることに気付き畏れて逃げ出すが、大蛇に海を越えて追いかけられ大和へと逃げ延びるという内容である。また異説としては『日高川草紙』がありこちらは賢学と花姫の名でありあらすじも大きく異なる。

伝説の内容[編集]

安珍・清姫伝説の内容については伝承によって相違があり、よく知られているものは次のようである。

安珍・清姫のなれそめ[編集]

時は醍醐天皇の御代、延長6年(928年)夏の頃である。奥州白河より熊野に参詣に来たがいた。この僧(安珍)は大変な美形であった。紀伊国牟婁郡(現在の和歌山県田辺市中辺路熊野街道沿い)真砂の庄司清次の娘(清姫)は宿を借りた安珍を見て一目惚れ、女だてらに夜這いをかけて迫る。安珍は参拝中の身としてはそのように迫られても困る、帰りにはきっと立ち寄るからと騙して、参拝後は立ち寄ることなくさっさと行ってしまった。

清姫の怒り[編集]

騙されたことを知った清姫は怒り、裸足で追跡、道成寺までの道の途中(上野の里)で追い付く。安珍は再会を喜ぶどころか別人だと嘘に嘘を重ね、更には熊野権現に助けを求め清姫を金縛りにした隙に逃げ出そうとする。ここに至り清姫の怒りは天を衝き、遂に蛇身に化け安珍を追跡する。

安珍と清姫の最期[編集]

土佐光重土佐派)画『道成寺縁起』。蛇身となった清姫が鐘の中の安珍を焼き殺そうとする様子を描いたもの。

日高川を渡り道成寺に逃げ込んだ安珍を追うものは、火を吹きつつ川を自力で渡る蛇の姿である。渡し守に「追っ手を渡さないでくれ」と頼んでもこれでは無意味であった。よんどころなく、梵鐘を下ろしてもらいその中に逃げ込む安珍。しかし清姫は許さず鐘に巻き付く。因果応報、哀れ安珍は鐘の中で焼き殺されてしまうのであった。安珍を滅ぼした後、清姫は蛇の姿のまま入水する。

成仏[編集]

畜生道に落ち蛇に転生した二人はその後、道成寺の住持のもとに現れて供養を頼む。住持の唱える法華経の功徳により二人は成仏し、天人の姿で住持の夢に現れた。実はこの二人はそれぞれ熊野権現と観世音菩薩の化身であったのである、と法華経の有り難さを讃えて終わる。

伝承内容の相違[編集]

いわゆる安珍清姫伝説の内容はおおよそ以上のようなものであるが、古い文献などが伝える伝承の内容は、これとは相違する点がある。『大日本国法華験記』巻下第百二十九「紀伊国牟婁郡悪女」、『今昔物語集』巻第十四第三「紀伊ノ国道成寺ノ僧写法華救蛇語」では、少女の代わりに若い寡婦(未亡人とは限らず[1])が登場する。また、宿泊するのは老若二人の僧である(懸想されるのは若い僧)。若い僧に逃げられた後怒った寡婦は寝所で死に、その寝所から体長五尋の毒蛇が現れ、僧を追って熊野街道を行く。道成寺で僧を焼き殺す点は一致しているが、蛇道に堕ちた二人を成仏させた僧にも前世からの因縁があったとしている。[2]

『道成寺縁起』[3] では、主人公の女は真砂の清次の娘ではなく「娵」(よめ)である。いずれにせよ安珍・清姫の名はまだ見られず、安珍の名の初出は『元亨釈書』、清姫の名の初出は浄瑠璃『道成寺現在蛇鱗』(寛保2年〈1742年〉初演)とされる。

また、真砂の里では別の伝説が行われている[4]。大きな相違点を挙げると以下のようになる。

  • 清姫の母親は実は、男やもめであった父が助けた白蛇の精であった。
  • 初め安珍は幼い清姫に「将来結婚してあげる」と言っていたが、清姫の蛇身を見て恐れるようになった。
  • 安珍に逃げられた清姫は絶望し富田川に入水、その怨念が蛇の形をとった。
  • 蛇にならず、従って安珍も殺さず、清姫が入水して終わる話もある。

さらに異説としては、清姫は当時鉱山経営者になっており、安珍が清姫から鉱床秘図を借りたまま返さないので、怒った清姫やその鉱山労働者が安珍を追い詰めたという話がある(「清姫は語る」津名道代〈中辺路出身〉)[5]

このほか、和歌山での異説として『日高川草紙』がある。三井寺の若き僧・賢学が、遠江国の長者の娘・花姫と結ばれる運命を知りこれが修行の妨げとなることを恐れ、幼い花姫を亡き者にしようと胸を刺して逃げる。その後賢学は一目惚れした娘と結ばれるが彼女の胸の傷から成長した花姫その人であると気付き彼女を捨てて熊野へ向かう。花姫は彼を追い、ついに蛇となって日高川を越えて追いすがる。とある寺に逃げこんだ賢学は鐘の中に匿われるが、蛇と化した花姫は鐘を破壊し賢学を引きずり込みながら川へと消えていった。その後弟子たちが二人を供養したという。安珍清姫伝説に比べて宗教色が希薄で「御伽草子」的要素が強い話である[6]

後日談[編集]

鳥山石燕今昔百鬼拾遺』より「道成寺鐘」

安珍と共に鐘を焼かれた道成寺であるが、四百年ほど経った正平14年(1359年)の春、鐘を再興することにした。二度目の鐘が完成した後、女人禁制の鐘供養をしたところ、一人の白拍子(実は清姫の怨霊)が現れて鐘供養を妨害した。白拍子は一瞬にして蛇へ姿を変えて鐘を引きずり降ろし、その中へと消えたのである。清姫の怨霊を恐れた僧たちが一心に祈念したところ、ようやく鐘は鐘楼に上がった。しかし清姫の怨念のためか、新しくできたこの鐘は音が良くない上、付近に災害や疫病が続いたため、山の中へと捨てられた[7][8]

さらに二百年ほど後の天正年間。豊臣秀吉による根来攻め(紀州征伐)が行われた際、秀吉の家臣仙石秀久が山中でこの鐘を見つけ、合戦の合図にこの鐘の音を用い、そのまま京都へ鐘を持ち帰り、清姫の怨念を解くため、顕本法華宗の総本山である妙満寺に鐘を納めた[8]鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にも「道成寺鐘」と題し、かつて道成寺にあった件の鐘が、石燕の時代には妙満寺に納められていることが述べられている[7]

史跡[編集]

道成寺の安珍塚

伝説の舞台となる道成寺には安珍塚がある。 清姫の生誕地とされる真砂は現在の熊野古道中辺路付近にあたるが、ここには清姫の墓と伝えられる石塔があるほか[9]、清姫渕、衣掛松、清姫のぞき橋、鏡岩など、伝説にまつわる史跡が数多く残されている[10]。 また熊野古道潮見峠越えにある田辺市指定天然記念物の大木・捻木ノ杉は、清姫が安珍の逃走を見て口惜しんで身をよじった際、一緒にねじれてしまい、そのまま大木に成長したものといわれる[11][12]

妙満寺に納められた道成寺の鐘は、現在でも同寺に安置されており、寺の大僧正の供養により清姫の怨念が解けて美しい音色を放つようになったとされ[13]、霊宝として同寺に伝えられている。毎年春には清姫の霊を慰めるため、鐘供養が行われている。道成寺関連の作品を演じる芸能関係者が舞台安全の祈願に訪れていた時代もあり、芸道精進を祈願して寺を訪ねる芸能関係者も多い[7][8]

伝説に取材した後世の創作[編集]

芸能を主に、様々な作品の題材として広く採りあげられた。前記「後日談」の部分が用いられることが多く、そのため安珍を直接舞台に出すことなく女性の怨念の物語として世界を展開することができた。

トントンお寺の道成寺
釣鐘下(お)ろいて 身を隠し
安珍清姫 蛇(じゃ)に化けて
七重(ななよ)に巻かれて 一廻(まわ)り 一廻り

「清姫日高川に蛇躰と成るの図」(月岡芳年新形三十六怪撰』」)
  • 日本画家の小林古径がこの伝説を題材にとった絵画『清姫』(8枚の連作)を制作している。山種美術館所蔵。
  • 中辺路では毎年7月頃、安珍・清姫伝説をテーマとした「清姫まつり」が、清姫が入水したとされる富田川の河川敷で開催されており、蛇身となった清姫が火を吐く様子などが再現されている[9][14]
  • 雨月物語』(上田秋成原作)の中に『道成寺』を元にしたと思われる『蛇性の婬』と言う話が載っている。また、その話を題材にした映画(蛇性の婬)もある。
  •  和歌山県みなべ町の常福寺の盆踊りに「安珍・清姫伝説」を題材にした盆踊りが行われている。
  •  安珍の生地とされる白河市根田では、安珍の命日とされる3月27日に、墓(後年、村人が供養のために建てたもの)の前で安珍念仏踊り(福島県無形民俗文化財)が奉納されている。
  • 吹田に伝わる民話に、太左衛門という男が新田で草刈り中に誤って大蛇の首を落としてしまった後、首だけの大蛇に祟られて最期は鐘に隠れたところを焼き殺されるという、道成寺伝説によく似た結末の民話がある。[15]
  • 映画『安珍と清姫』(1960年)監督:島耕二 出演:市川雷蔵 若尾文子 製作:大映
  • 人形アニメーション『道成寺』(1976年) 制作 演出:川本喜八郎
  • 清姫曼陀羅』-岡本芳一百鬼どんどろ)による、等身大人形を用いた舞台劇。世界各国で上演された。
  • 絵本『安珍と清姫の物語 道成寺』(2004年) 文:松谷みよ子 絵:司修ポプラ社
  • 室内オペラ《清姫-水の鱗》~二人の独唱者、混声合唱とピアノのための~(2011年) 作曲:西村朗 台本:佐々木幹郎
  • ソーシャルゲーム『Fate/Grand Order』(2015年)清姫をモデルとした同名のキャラクターが登場する。

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b http://yab.o.oo7.jp/dou1.html
  2. ^ http://yab.o.oo7.jp/dou2.html
  3. ^ 『続日本の絵巻24 桑実寺縁起 道成寺縁起』(小松茂美編、中央公論社)に詳しく紹介されている。
  4. ^ 歴史めぐり 安珍清姫”. 南紀タウン. 南紀地域総合IT-TOWN事務局 : 白浜町企画観光課. 2008年12月14日閲覧。
  5. ^ 日本図書館協会選定図書「清姫は語る 日本「国つ神」情念史1」
  6. ^ ひだかがわそうし 和歌山県立博物館所蔵文化遺産オンライン
  7. ^ a b c 村上健司『京都妖怪紀行 - 地図でめぐる不思議・伝説地案内』角川書店〈角川oneテーマ21〉、2007年、92-93頁。ISBN 978-4-04-710108-1
  8. ^ a b c 「安珍・清姫」の鐘”. 妙満寺. 2011年10月1日閲覧。
  9. ^ a b 熊野の観光名所 清姫の墓”. み熊野ねっと (2003年2月23日). 2008年12月14日閲覧。
  10. ^ 清姫の里”. なかへち観光協会. 中辺路観光協会. 2008年12月14日閲覧。
  11. ^ 宮本幸枝著 村上健司監修『津々浦々「お化け」生息マップ - 雪女は東京出身? 九州の河童はちょいワル? -』技術評論社〈大人が楽しむ地図帳〉、2005年、45頁。ISBN 978-4-7741-2451-3
  12. ^ 熊野古道 捻木ノ杉”. 田辺探訪. 田辺観光協会・田辺市観光振興課). 2008年12月14日閲覧。
  13. ^ 妙満寺『京都旅楽』”. 旅楽トラベル. 旅楽トラベル【たびたの】 旅楽編集部. 2008年12月14日閲覧。
  14. ^ 情念の炎吐く大蛇 清姫まつり”. AGARA紀伊民報. 紀伊民報 (2007年8月6日). 2008年12月14日閲覧。
  15. ^ https://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/youkai/190114/20190114028.html

関連項目[編集]

  • 白蛇伝
  • まんが日本昔ばなし - 『安珍清姫』のタイトルで紹介
  • 月華の剣士 - 一条あかりの必殺技「劾鬼・清姫」を発動させると鐘にまきつく清姫[1]が出現する。
  • 舞-HiME - 蛇をモチーフにしたチャイルド(モンスター)「清姫」が登場する。クライマックスでは安珍の最期を引用したような場面も展開される。
  • 陰陽座(ロックバンド) - 2008年9月に発表したアルバム「魑魅魍魎」にこの話を基に清姫側からの視点で独自解釈した楽曲「道成寺蛇ノ獄」が収録されている。
  • 日高川漫画) - 星野之宣の『妖女伝説』シリーズ中の短編。1980年週刊ヤングジャンプ13号掲載。『日高川入相花王』の清姫役を与えられた文楽座の若き人形遣いを主人公とし、安珍・清姫伝説をモチーフとしている。
  • ストーカー
  • Fate/Grand Order - TYPE-MOONによるスマートフォン専用ゲーム。サーヴァントとして「清姫」が登場する。清姫の口から安珍についても言及される他、同作の主人公を「安珍の生まれ変わり」と信じている。

外部リンク[編集]