吉薗周蔵

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吉薗 周蔵(よしぞの しゅうぞう、1894年 - 1964年 )は、日本陸軍の特務を務めた人物。

「吉薗周蔵手記」という、陸軍特務時期の活動内容を記した手記を残している。

略歴[編集]

生い立ち[編集]

宮崎県小林市生まれ。(当時は宮崎県西諸縣郡小林村)

父吉薗 林次郎、母木下 キクノの長男として生まれる。 吉薗家は山林を持ち、たばこなどの商品作物を栽培している富農であった。 父の林次郎は、藤原北家勧修寺流の公家である堤哲長岩切ギンヅルの子であり、周蔵は堤哲長の孫にあたる。

陸軍特務(諜報活動従事者)となるまで[編集]

算数、数学、物理の能力に長けており数学は独学で知識を深めていた。

1906年に飛び級で宮崎県立都城中学校(旧制中学校)に入学したが、教えられる数学のレベルが低く他の教科にも興味が湧かなかったために10日間で退学してしまう。 その後、1910年にギンヅルが海軍大将の山本権兵衛と昵懇であったことから、特別に熊本工業学校の受験資格を得ることができたが、受験日の前日に友人たちと共に登楼して夜を明かしてしまって受験できず終わってしまう。 熊本工業学校に入学ができず、地元に帰ることも憚って熊本でブラブラしていたところで、肥後国細川藩の薬事掛の家筋であった加藤邑と知り合う。 加藤邑は、東大教授の呉秀三の優秀な弟子であったが、ハンセン病を患い地元熊本に戻っていた。

加藤邑の勧めで私立熊本医学専門学校を受験し合格したが、1年程通った辺りで知り合った女性と同棲した際に妊娠したので所帯を持つことを迫られたことに驚き、同棲先を飛び出し熊本医学専門学校も辞めてしまった。 後にこの妊娠は偽装妊娠(綿子)であったことが発覚するが、この偽装妊娠をした女性は後に武見太郎の愛人となったらしい。[1]

その後、祖母ギンヅルは遠縁の武者小路実篤の書生として周蔵を送り込むが馴染めず帰郷してしてしまう。 ギンヅルはさらに別の出会いを用意し、1912年に当時陸軍中将で陸軍大臣であった上原勇作と会う。

周蔵は上原から特務の任務に当たるように依頼を受け、承諾する。 上原勇作は、諜報活動を行うにあたって海外視察の名目でパスポートが取りやすい技師の資格を得るために、東亜鉄道学院(現:開新高等学校)に入学することを指令した。 なお、上原勇作はこの入学指令以外にもう1つ指令を与えており、それがアヘン研究であった。

手記に記されている特務としての活動内容[編集]

  • アヘン研究と罌粟栽培。
  • 大本教出口王仁三郎の祖父(父)上田吉松の愛人であった渡辺ウメノから特殊罌粟の種子を得る。
  • 特殊罌粟の栽培と特殊アヘン(通常11%であるモルフィン(モルヒネ)含有量が90%もあり、寿命を延ばすことに有用なアヘン)の製造。
  • ウィーンに極秘潜入し、ウィーン大学のカール・ラントシュタイナーからABO式血液型分離法の伝授を受け、日本陸軍に伝える。(日本への血液型分離法の伝来)
  • 大谷光瑞の依頼を受け、佐伯祐三東京美術学校(現・東京藝術大学)に裏口入学させる。(裏口入学を山本権兵衛に依頼)
  • 炭疽菌の研究。
  • 満洲で張作霖との友好関係を深める任務にあった貴志弥次郎のサポート。
  • 渡欧して秘密黄金の輸送。(同じく陸軍特務であった画家の藤田嗣治と共に黄金を輸送)

手記に記さている交友した人物やその他交友した人物[編集]

佐伯祐三との親交について[編集]

吉薗周蔵は、東京美術学校への裏口入学を斡旋した佐伯祐三と親交する。

アヘン製造で多額の蓄えを持っていた周蔵に対し日々金を無心してきていた祐三であったが、周蔵は金に頓着することなく返済の見込みのない金を貸し続けていた。 周蔵の妻となった池田巻は、祐三の絵画を買い取る形で資金を融通するようになったので、吉薗家には佐伯祐三の直筆絵画が多数収蔵されることとなった。なお、メニエール病の持病を持つ祐三に対し、周蔵はその持病を逆手にとって祐三にしか描けない画風を持ち味にすることをアドバイスし、この画風が祐三の特徴となった。 この辺りのことも手記に顛末が記されている。

周蔵が祐三の渡仏の費用も工面してくれたことで祐三は渡仏するが、性格にムラのあった祐三の絵画の仕上げを妻の佐伯米子が行い、米子の手が入った絵画の方がフランスで評価されることとなった。 後年、周蔵の一人娘であった吉薗明子が、河北倫明のサポートを受けて武生市に両親が祐三からもらっていた絵画を寄贈しようとした際に、佐伯祐三贋作事件を起こされてしまう。 これは、すでに米子の手が加わった祐三の絵画が市場価値を得ていたので、その価値が暴落するのを嫌った人々が吉薗明子の所有する絵画を贋作とされるように仕向けた事件であった。[2]

脚注[編集]

  1. ^ 落合莞爾 『「吉薗周蔵手記」が暴く日本の極秘事項』P72
  2. ^ 落合莞爾 『天才画家「佐伯祐三」真贋事件の真実』

外部リンク[編集]