西諸県郡
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人口7,962人、面積85.39km²、人口密度93.2人/km²。(2024年9月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
- 高原町(たかはるちょう)
郡域
1884年(明治17年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町に小林市・えびの市を加えた区域にあたる。
歴史
郡発足までの沿革
- 明治初年時点では全域が薩摩鹿児島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている、諸県郡のうち後の本郡域の明治初年時点での村は以下の通り[1]。(45村)
- 野尻郷(一部) - 紙屋村、麓村、三ヶ野山村
- 高原郷 - 麓村、蒲牟田村、後川内村、広原村、
- 小林郷 - 真方村、北西方村、南西方村、細野村、東方村、水流迫村、堤村
- 須木郷 - 須木村
- 飯野郷 - 大河平村、杉水流村、原田村、上江村、今西村、末永村、大明司村、前田村、坂元村、池島村
- 加久藤郷 - 小田村、栗下村、東長江浦村、西長江浦村、灰塚村、永山村、榎田村、湯田村、西郷村、川北村
- 馬関田郷 - 柳水流村、浦村、島内村、川北村
- 吉田郷 - 岡松村、亀沢村、向江村、水流村、昌明寺村、内竪村
- 明治4年
- 明治5年5月15日(1872年6月20日) - 後の西諸県郡域の全域が都城県の管轄となる。
- 明治6年(1873年)1月15日 - 全域が宮崎県(第1次)の管轄となる。
- 明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により鹿児島県の管轄となる。
- 明治12年(1879年)2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての諸県郡が発足。郡役所が都城に設置。
- 明治16年(1883年)5月9日 - 宮崎県(第2次)が発足し、諸県郡のうち同県に所属する区域をもって北諸県郡が発足。
郡発足以降の沿革
- 明治17年(1884年)1月26日 - 北諸県郡のうち細野村ほか45村の区域をもって西諸県郡が発足。郡役所が小林に設置。
- 明治18年(1885年) - 2ヶ所存在した麓村が西麓村(高原郷)、東麓村(野尻郷)にそれぞれ改称。
- 明治22年(1889年)5月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。(7村)
- 小林村 ← 細野村、十日町[2]、五日町[2]、堤村、水流迫村、東方村、真方村、北西方村、南西方村(現・小林市)
- 高原村 ← 後川内村、西麓村、蒲牟田村、広原村(現・高原町)
- 野尻村 ← 紙屋村、東麓村、三ヶ野山村(現・小林市)
- 須木村(単独村制。現・小林市)
- 飯野村 ← 原田村、大河平村、杉水流村、前田村、坂元村、大明司村、末永村、上江村、今西村、池島村(現・えびの市)
- 加久藤村 ← 小田村、栗下村、西長江浦村、東長江浦村、湯田村、西郷村、川北村[加久藤郷][3]、灰塚村、永山村、榎田村(現・えびの市)
- 真幸村 ← 水流村、川北村[馬関田郷][4]、浦村、島内村、柳水流村、内竪村、亀沢村、向江村[5]、昌明寺村、岡松村(現・えびの市)
- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。
- 大正元年(1912年)11月5日 - 小林村が町制施行して小林町となる。(1町6村)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和9年(1934年)10月5日 - 高原村が町制施行して高原町となる。(2町5村)
- 昭和15年(1940年)4月3日 - 飯野村が町制施行して飯野町となる。(3町4村)
- 昭和23年(1948年)4月1日 - 野尻村の一部(字大平山勝負を除く紙屋)が分立して紙屋村が発足。(3町5村)
- 昭和25年(1950年)4月1日(3町4村)
- 昭和30年(1955年)2月11日(5町1村)
- 昭和41年(1966年)11月3日 - 飯野町・加久藤町・真幸町が合併してえびの町が発足。(3町1村)
- 昭和45年(1970年)12月1日 - えびの町が市制施行してえびの市となり、郡より離脱。(2町1村)
- 平成18年(2006年)3月20日 - 須木村が小林市と合併し、改めて小林市が発足、郡より離脱。(2町)
- 平成22年(2010年)3月23日 - 野尻町が小林市に編入。(1町)
変遷表
自治体の変遷
明治22年以前 | 明治22年5月1日 | 明治22年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和64年 | 平成18年3月 - 平成22年3月 | 現在 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
高原村 | 昭和9年10月5日 町制 |
高原町 | 高原町 | 高原町 | 高原町 | ||
小林村 | 大正1年11月5日 町制 |
昭和25年4月1日 市制 |
小林市 | 平成18年3月20日 小林市 |
小林市 | ||
須木村 | 須木村 | 須木村 | 須木村 | ||||
野尻村 | 野尻村 | 野尻村 | 昭和30年2月11日 野尻町 |
平成22年3月23日 小林市に編入 | |||
昭和23年4月1日 紙屋村 | |||||||
飯野村 | 昭和15年4月3日 町制 |
飯野町 | 昭和41年11月3日 えびの町 |
昭和45年12月1日 市制 |
えびの市 | えびの市 | |
真幸村 | 真幸村 | 昭和25年4月1日 町制 | |||||
加久藤村 | 加久藤村 | 昭和30年2月11日 町制 |
行政
- 歴代郡長
特記なき場合『西諸県郡誌』による[6]。
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 隈元棟貫 | 明治17年(1884年)7月 | 明治24年(1891年)10月 | |
2 | 竹内実知 | 明治24年(1891年)10月 | 明治25年(1892年)6月 | |
3 | 田屋勝 | 明治25年(1892年)6月 | 明治29年(1896年)8月 | |
4 | 多田信 | 明治29年(1896年)8月 | 明治37年(1896年)12月 | |
5 | 小幡忠蔵 | 明治37年(1896年)12月 | 明治40年(1907年)1月 | |
6 | 米良宇三郎 | 明治40年(1907年)1月 | 明治41年(1908年)2月 | |
7 | 山内卯太郎 | 明治41年(1908年)2月 | 明治43年(1910年)6月 | |
8 | 岩手千秋 | 明治43年(1910年)6月 | 明治45年(1912年)7月 | |
9 | 岡田純夫 | 明治45年(1912年)7月 | 大正5年(1916年)1月 | |
10 | 大野正太 | 大正5年(1916年)1月 | 大正7年(1918年)8月 | |
11 | 成合徳次 | 大正7年(1918年)8月 | 大正8年(1919年)8月 | |
12 | 乙森仲介 | 大正8年(1919年)8月 | 大正9年(1920年)11月 | |
13 | 盛戸幡龍 | 大正9年(1920年)11月 | 大正11年(1922年)3月 | |
14 | 川澄民七 | 大正11年(1922年)3月 | 大正11年(1922年)4月 | |
15 | 中谷昌左 | 大正11年(1922年)4月 | 大正13年(1924年)8月 | |
16 | 獅子目賢輔 | 大正13年(1924年)8月 | 大正14年(1925年)11月 | |
17 | 外所重一 | 大正14年(1925年)11月 | 大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 45 宮崎県、角川書店、1986年9月1日。ISBN 4040014502。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 宮崎県教育会西諸県郡支会 編『西諸県郡誌』宮崎県教育会西諸県郡支会、1933年 。
関連文献
関連項目
先代 北諸県郡 |
行政区の変遷 1884年 - |
次代 (現存) |