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西諸県郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 九州地方 > 宮崎県 > 西諸県郡
宮崎県西諸県郡の位置(緑:高原町)

西諸県郡(にしもろかたぐん)は、宮崎県

人口7,962人、面積85.39km²、人口密度93.2人/km²。(2024年9月1日、推計人口

以下の1町を含む。

郡域

1884年明治17年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町に小林市えびの市を加えた区域にあたる。

歴史

郡発足までの沿革

  • 明治初年時点では全域が薩摩鹿児島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている、諸県郡のうち後の本郡域の明治初年時点での村は以下の通り[1]。(45村)
    • 野尻郷(一部) - 紙屋村、麓村、三ヶ野山村
    • 高原郷 - 麓村、蒲牟田村、後川内村、広原村、
    • 小林郷 - 真方村、北西方村、南西方村、細野村、東方村、水流迫村、堤村
    • 須木郷 - 須木村
    • 飯野郷 - 大河平村、杉水流村、原田村、上江村、今西村、末永村、大明司村、前田村、坂元村、池島村
    • 加久藤郷 - 小田村、栗下村、東長江浦村、西長江浦村、灰塚村、永山村、榎田村、湯田村、西郷村、川北村
    • 馬関田郷 - 柳水流村、浦村、島内村、川北村
    • 吉田郷 - 岡松村、亀沢村、向江村、水流村、昌明寺村、内竪村
  • 明治4年
  • 明治5年5月15日1872年6月20日) - 後の西諸県郡域の全域が都城県の管轄となる。
  • 明治6年(1873年1月15日 - 全域が宮崎県(第1次)の管轄となる。
  • 明治9年(1876年8月21日 - 第2次府県統合により鹿児島県の管轄となる。
  • 明治12年(1879年2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての諸県郡が発足。郡役所が都城に設置。
  • 明治16年(1883年5月9日 - 宮崎県(第2次)が発足し、諸県郡のうち同県に所属する区域をもって北諸県郡が発足。

郡発足以降の沿革

  • 明治17年(1884年1月26日 - 北諸県郡のうち細野村ほか45村の区域をもって西諸県郡が発足。郡役所が小林に設置。
  • 明治18年(1885年) - 2ヶ所存在した麓村が西麓村(高原郷)、東麓村(野尻郷)にそれぞれ改称。
1.小林村 2.高原村 3.野尻村 4.須木村 5.飯野村 6.加久藤村 7.真幸村(紫:小林市 桃:えびの市 青:合併なし)
  • 明治22年(1889年5月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。(7村)
    • 小林村 ← 細野村、十日町[2]、五日町[2]、堤村、水流迫村、東方村、真方村、北西方村、南西方村(現・小林市)
    • 高原村 ← 後川内村、西麓村、蒲牟田村、広原村(現・高原町)
    • 野尻村 ← 紙屋村、東麓村、三ヶ野山村(現・小林市)
    • 須木村(単独村制。現・小林市)
    • 飯野村 ← 原田村、大河平村、杉水流村、前田村、坂元村、大明司村、末永村、上江村、今西村、池島村(現・えびの市)
    • 加久藤村 ← 小田村、栗下村、西長江浦村、東長江浦村、湯田村、西郷村、川北村[加久藤郷][3]、灰塚村、永山村、榎田村(現・えびの市)
    • 真幸村 ← 水流村、川北村[馬関田郷][4]、浦村、島内村、柳水流村、内竪村、亀沢村、向江村[5]、昌明寺村、岡松村(現・えびの市)
  • 明治30年(1897年4月1日 - 郡制を施行。
  • 大正元年(1912年11月5日 - 小林村が町制施行して小林町となる。(1町6村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和9年(1934年10月5日 - 高原村が町制施行して高原町となる。(2町5村)
  • 昭和15年(1940年4月3日 - 飯野村が町制施行して飯野町となる。(3町4村)
  • 昭和23年(1948年)4月1日 - 野尻村の一部(字大平山勝負を除く紙屋)が分立して紙屋村が発足。(3町5村)
  • 昭和25年(1950年)4月1日(3町4村)
    • 小林町が市制施行して小林市となり、郡より離脱。
    • 真幸村が町制施行して真幸町となる。
  • 昭和30年(1955年2月11日(5町1村)
    • 野尻村・紙屋村が合併して野尻町が発足。
    • 加久藤村が町制施行して加久藤町となる。
  • 昭和41年(1966年11月3日 - 飯野町・加久藤町・真幸町が合併してえびの町が発足。(3町1村)
  • 昭和45年(1970年12月1日 - えびの町が市制施行してえびの市となり、郡より離脱。(2町1村)
  • 平成18年(2006年3月20日 - 須木村が小林市と合併し、改めて小林市が発足、郡より離脱。(2町)
  • 平成22年(2010年3月23日 - 野尻町が小林市に編入。(1町)

変遷表

自治体の変遷
明治22年以前 明治22年5月1日 明治22年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和29年 昭和30年 - 昭和64年 平成18年3月 - 平成22年3月 現在
高原村 昭和9年10月5日
町制
高原町 高原町 高原町 高原町
小林村 大正1年11月5日
町制
昭和25年4月1日
市制
小林市 平成18年3月20日
小林市
小林市
須木村 須木村 須木村 須木村

野尻村 野尻村 野尻村 昭和30年2月11日
野尻町
平成22年3月23日
小林市に編入

昭和23年4月1日
紙屋村
飯野村 昭和15年4月3日
町制
飯野町 昭和41年11月3日
えびの町
昭和45年12月1日
市制
えびの市 えびの市
真幸村 真幸村 昭和25年4月1日
町制
加久藤村 加久藤村 昭和30年2月11日
町制

行政

歴代郡長

特記なき場合『西諸県郡誌』による[6]

氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 隈元棟貫 明治17年(1884年)7月 明治24年(1891年)10月
2 竹内実知 明治24年(1891年)10月 明治25年(1892年)6月
3 田屋勝 明治25年(1892年)6月 明治29年(1896年)8月
4 多田信 明治29年(1896年)8月 明治37年(1896年)12月
5 小幡忠蔵 明治37年(1896年)12月 明治40年(1907年)1月
6 米良宇三郎 明治40年(1907年)1月 明治41年(1908年)2月
7 山内卯太郎 明治41年(1908年)2月 明治43年(1910年)6月
8 岩手千秋 明治43年(1910年)6月 明治45年(1912年)7月
9 岡田純夫 明治45年(1912年)7月 大正5年(1916年)1月
10 大野正太 大正5年(1916年)1月 大正7年(1918年)8月
11 成合徳次 大正7年(1918年)8月 大正8年(1919年)8月
12 乙森仲介 大正8年(1919年)8月 大正9年(1920年)11月
13 盛戸幡龍 大正9年(1920年)11月 大正11年(1922年)3月
14 川澄民七 大正11年(1922年)3月 大正11年(1922年)4月
15 中谷昌左 大正11年(1922年)4月 大正13年(1924年)8月
16 獅子目賢輔 大正13年(1924年)8月 大正14年(1925年)11月
17 外所重一 大正14年(1925年)11月 大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官

脚注

  1. ^ 郷については「角川日本地名大辞典」による。
  2. ^ a b 細野村のうち。本項では町数に数えない。
  3. ^ 明治22年に東川北に改称。
  4. ^ 明治22年に西川北に改称。
  5. ^ 明治22年に一部が京町となる。
  6. ^ 宮崎県教育会西諸県郡支会 1933, 36-37頁.

参考文献

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 45 宮崎県、角川書店、1986年9月1日。ISBN 4040014502 
  • 旧高旧領取調帳データベース
  • 宮崎県教育会西諸県郡支会 編『西諸県郡誌』宮崎県教育会西諸県郡支会、1933年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1213107 

関連文献

  • 『西諸県郡史蹟名勝誌』西諸県郡、1921年。NDLJP:963673 

関連項目

先代
北諸県郡
行政区の変遷
1884年 -
次代
(現存)