メイソン (ミサイル駆逐艦)

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艦歴
発注 1996年12月13日
起工 2000年1月20日
進水 2001年6月23日
就役 2003年4月12日
退役
その後 就役中
要目
排水量 9,648 トン
全長 155.3 m (509 ft 6in)
全幅 20.1 m (66 ft)
吃水 9.4 m (31 ft)
機関 COGAG方式
LM 2500-30ガスタービンエンジン (27,000shp) ×4基
可変ピッチプロペラ(5翔)×2軸
最大速 31ノット
航続距離 4,400 海里(20ノット時)
乗員 士官、兵員 380名
兵装 Mk.45 mod.4 5インチ単装砲 ×1基
Mk.38 25mm単装機関砲 ×2基
Mk.15 20mmCIWS×1基
M2 12.7mm機銃 ×4挺
Mk.41 mod.7 VLS ×96セル
Mk.32 3連装短魚雷発射管×2基
艦載機 MH-60R×2機搭載可能
C4ISTAR NTDS mod.5 (リンク 11/16)
AWS B/L 6 (Mk.99 GMFCS×3基)
AN/SQQ-89A(V)15
センサ AN/SPY-1D(V) 多機能レーダー×4面
AN/SPS-67 対水上レーダー×1基
AN/SQS-53C(V)1艦首装備ソナー
電子戦 AN/SLQ-32(V)3 ESM/ECM装置
Mk 36 SRBOC デコイ発射機
モットー Proudly We Serve

メイソン (英語: USS Mason, DDG-87) は、アメリカ海軍ミサイル駆逐艦アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦の37番艦。艦名は同名の二隻の艦に因む。最初のメイソン(USS Mason, DD-191)は司法長官海軍長官を歴任したジョン・ヤング・メイソンに因む。二隻目のメイソン(USS Mason, DE-529)は海軍パイロットのニュートン・ヘンリー・メイソンに因む。

艦歴[編集]

メイソンはバージニア州ノーフォークを母港とする。アーレイ・バーク級駆逐艦の Flight IIA としては9隻目である。

2003年4月にフロリダ州ケープカナベラルでデヴィッド・ゲール艦長の指揮下就役した。同年夏、スペイン海軍F-101 アルバロ・デ・バサンとともに15日間にわたり共同でのミサイル発射試験を実施した。

2016年10月9日、紅海イエメン沖を航行中に同国の反政府武装勢力フーシが掌握している地域からミサイル2発がメイソンに向けて発射された。いずれのミサイルもメイソンに届く前に海面に着弾したという[1]。12日にも再びミサイル攻撃を受けたが、こちらも海上に着弾し、メイソンに被害はなかった[2]。この数時間後、DDG-94 ニッツェがイエメン国内のフーシ支配地にあるレーダー拠点3箇所にトマホーク巡航ミサイルで攻撃を加え、破壊した[3]。15日に3度目のミサイル攻撃を受けたが、対抗手段を取り無事だった[4]

2023年11月26日、アデン湾で武装集団に拿捕されたタンカーから救難信号を受け対応。5人のソマリア人海賊は小型ボートで逃走しようとしたが追跡され、最終的に5人は投降した。この前後にイエメンのフーシ支配地域から弾道ミサイル2発がメイソンとタンカーに向けて発射されたが、約18.5km離れた場所に着弾した[5][6]。なお、付近には海上自衛隊むらさめ型護衛艦あけぼの」もいた。双方共に損害なし。 同年12月にアメリカが民間船舶を攻撃するイエメンフーシ派に対して始めた繁栄の守護者作戦に参加。ドワイト・D・アイゼンハワー (空母)艦載機、他の護衛艦とともに無人機18機と対艦巡航ミサイル2発、対艦弾道ミサイル1発を撃墜した[7]

2024年1月12日、フーシ派に対しトマホークミサイルを用い攻撃を行った(2024年のイエメンへのミサイル攻撃)。

脚注[編集]

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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