ミャンマー軍

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ミャンマー軍
တပ်မတော်
Myanmar Armed Forces Emblem.svg
派生組織 Myanmar Army Flag.jpg ミャンマー陸軍
Naval Ensign of Myanmar.svg ミャンマー海軍
Myanmar Air Force Flag.svg ミャンマー空軍
Myanmar Police Flag.svg ミャンマー警察軍
指揮官
最高司令官 ミン・アウン・フライン上級大将
国防大臣 ウェイ・ルイン英語版中将[1]
参謀長 Soe Win次級大将
総人員
兵役適齢 16歳~49歳
徴兵制度 あり
適用年齢 18歳~35歳
現総人員 406,000
財政
予算 2億4,000万ドル[2] (2011年)
軍費/GDP 4.75%(2011年)
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ミャンマー軍(ミャンマーぐん、ビルマ語:Tatmadaw(တပ်မတော်))は、ミャンマー(ビルマ)の国軍国防省英語版の統括のもとミャンマー陸軍英語版ミャンマー海軍英語版ミャンマー空軍英語版の三軍およびミャンマー警察軍英語版を擁する。

組織[編集]

ミャンマー軍は、陸軍海軍空軍の3軍種であるが、有事の際にはミャンマー警察軍や種々の民兵組織、国境軍を含めることもある。東南アジアの国々の中では、ベトナム人民軍に次ぐ兵力を誇る。

国内に民族紛争を抱える事から、対ゲリラ戦及び山岳戦を主任務とした軽歩兵部隊を主力としている。また、旧東西両陣営と距離を置き、1962年の軍事クーデター以降はいかなる軍事同盟も結ばなかったため、外国から大規模な軍事援助も行われておらず、装備は限定的な量に留まった。1990年代以降は、中国や旧東側諸国(ウクライナ、セルビアなど)、インド、イスラエル、北朝鮮等から主力戦車や歩兵戦闘車、自走砲、地対空ミサイルなどを新旧問わず大量購入し、機甲部隊機械化歩兵部隊を新設している。

同国では独立直後から少数民族の独立闘争や共産党の反乱さらに国共内戦に敗れた中国国民党の侵入があり、一時は国家崩壊の危機に陥ったが、国軍の反攻によって平野部では1960年代に支配権を回復した。これ以後、少数民族や共産党の民兵組織は山岳地帯を根拠地として闘争を継続したが、1990年代のキン・ニュンによる懐柔工作によって、ワ州連合軍を除いて、多くの民兵組織の支配地に国軍を進駐させている。こうした国軍の攻勢に、民兵組織も諸事情から大同団結するに至っておらず、基本的に支配地である山岳地帯の防衛戦に徹している。一方、国軍にも各地の少数民族地域に完全な支配権を確立するほどの決定力を持っていなかった。しかし、近年の同国における民主化の進展に伴い、国軍と民兵組織に停戦が順次実施されており、少数民族の民兵組織は国境警備隊に編入されつつある。だが、この方針に反発した一部の民兵組織による蜂起も発生しており、情勢は予断を許さない。

ミャンマー軍は独自に経済活動を行なっており、軍が経営する企業や工場、商店などが存在している。また、退役軍人団体など関連団体を通じて国内でのビジネスへの投資も行なっている。

歴代司令官 [3][編集]

氏名 在任期間 前職 後職 備考
アウンサン少将 1945年 - 1947年7月19日
ボー・レット・ヤ英語版准将 1947年 - 1948年
スミス・ドン英語版中将 1948年1月4日 - 1949年1月31日 カレン人
ネ・ウィン大将 1949年2月1日 - 1972年4月20日
サン・ユ英語版大将 1972年4月20日 - 1974年3月1日 1981年大統領
ティン・ウ英語版大将 1974年3月1日 - 1976年3月6日 ビルマ国防次官兼参謀次長 陸軍参謀長 国民民主連盟副議長
チョー・ティン英語版大将 1976年3月6日 - 1985年11月3日
ソウ・マウン上級大将 1985年11月4日 - 1992年4月22日 参謀次長
タン・シュエ上級大将 1992年4月22日 - 2011年3月30日 参謀次長 退役
ミン・アウン・フライン上級大将 2011年3月30日 - 陸海空軍統合参謀長

脚注[編集]

関連項目[編集]