ネ・ウィン

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ネ・ウィン
နေဝင်း
David Ben Gurion - General Ne Win PM of Burma 1959.jpg
1959年のイスラエル訪問時にダヴィド・ベン=グリオン(左)と握手するネ・ウィン(右)
生年月日 1911年5月14日
出生地 英領ビルマバゴー管区Paungdale
没年月日 2002年12月5日(満91歳没)
死没地 ミャンマーの旗 ミャンマーヤンゴン
出身校 ラングーン大学
所属政党 ビルマ社会主義計画党
配偶者 Tin Tin
Khin May Than
Yadana Nat Me
Ni Ni Myint
任期 1962年3月2日 - 1981年11月9日

任期 1958年10月29日 - 1960年4月4日
任期 1962年3月2日 - 1974年3月4日
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ネ・ウィン(Ne Win、ビルマ語: နေဝင်း1911年5月14日 - 2002年12月5日)は、ビルマ(現ミャンマー)の政治家、軍人。本名:シュ・マウン。独立運動の功労者であり、独立後、軍参謀総長、革命評議会議長、大統領ビルマ社会主義計画党 (BSPP) 議長を務めたが独裁者として非難された。日本名は「高杉晋」。

生涯[編集]

1911年に中国人の血をひくビルマ人家庭に生まれ、医師を希望していたがあきらめてラングーン大学を中退する。郵便局員を経て「われらビルマ人連盟英語版」(ビルマ語: တို့ဗမာအစည်းအရုံး 転写: Dobama Asiayone ドバマ協会英語版; ビルマ語: သခင် 転写: sa.hkang/Thakhin タキン党英語版)に加入する。援蒋ルート壊滅のためにビルマに目を付けた日本軍と接触。1941年2月にアウンサン率いる青年活動家グループ「三十人の志士」の一人として南機関海南島で過酷な軍事訓練を受ける。彼らは12月にバンコクに移動しビルマ独立義勇軍を結成。ネ・ウィンは、国内撹乱を目的とするゲリラ班の班長として1942年1月に日本軍とともにビルマに進軍した。日本の敗勢が明らかになった1945年3月に対日反乱を起こし日本軍を攻撃する。

イギリスの復帰を経て1948年ビルマは独立するが、その直後から反乱が続いた。また、シャン州カチン州では中国国民党の残党が中国から侵入し、実効支配する有様であった(中国共産党に対する大陸反攻の拠点として、アメリカはビルマ政府を半ば無視する形で公然と国民党部隊に軍事援助を行なった)。当時のビルマ国軍は、旧ビルマ国民軍、それと対立するカレン族将校団をはじめ、ビルマにおける様々な政治勢力の寄り合い所帯であった。このため、ビルマ軍においては少数民族出身者や左翼系の将兵を中心に脱走・離脱が相次ぎ、一時的にビルマ政府の支配力はラングーン周辺までに減退させられた。このときウー・ヌ政権において、国軍の最高指揮官(国防相)だったネ・ウィンは、旧ビルマ国民軍出身者を優先的に起用し、カレン族やカチン族など少数民族の将兵を罷免するなどして、ビルマ族を中心とした国軍への立て直しに成功する。海外からの軍事物資の支援を例外として、ほぼ自力で平野部でのビルマ政府の支配権を回復させるまでに至る。また、中国国民党残党に対して、中華人民共和国人民解放軍と連携しシャン州で掃討作戦を展開するなど、ビルマ国内からの排除に成功した。また、ビルマ共産党は国軍の反撃によって1960年代前半までに、平野部における解放区や陣地の大半を失う事となった。

こうした実績に自信がついた1962年には、クーデターを決行して政権を握った。ビルマ独自の社会主義政策(ビルマ式社会主義)を採り、革命評議会議長を経て1974年から7年後の辞職まで大統領になった。辞職後もビルマ社会主義計画党 (BSPP) 議長を務め国政に君臨した。この期間のビルマは、外交では厳正な中立政策をとり、ビルマ共産党や各地の少数民族民兵組織との内戦において、諸外国の介入を防ぐ事に成功する。1965年以降、ビルマ共産党への大規模な支援を開始した中国との緊張関係を除けば、ベトナム戦争など近隣諸国の混乱に巻き込まれずにすんだ。しかし、経済政策では完全に失敗し世界の最貧国に転落した。

1988年に国民の不満が爆発した民主化要求デモ(8888民主化運動)が発生。責任を取って党議長を辞任したが、その時の演説では「軍は国民に銃口を向ける」と民主化勢力を牽制した。辞任後も隠然たる影響力を持ち晩年は、それまでの外交における中立の姿勢にもかかわらずアメリカを批判していた。

人物・評価[編集]

  • タキン党時代にアウンサンは主流派、ネ・ウィンは反主流派だったために必ずしも良好な関係ではなかった。
  • プレイボーイで6回結婚し同じ女性と2度結ばれている。
  • 個人崇拝とは無縁で裏からビルマを統治した。国民の前に現れるのは年に2回だけ。
  • 徹底したマスコミ嫌いで記者会見にもインタビューにも応じたことはない。
  • ネ・ウィンの時代は日本とは友好関係を保ちつづけ多大な政府開発援助を受けた。本人も公式、非公式で来日し援助を受け取るときも媚びようとせずに「援助をしたければどうぞ」といった態度をとり軍人あがりの清潔な政治家と見られていた。1982年には南機関関係者に勲章を贈っている。そのため長い間「清く、貧しく、美しく」と見られていた。
  • 競馬が好きであり、1962年のクーデター前には側近を引き連れて国内の競馬場に通っていたという。クーデター後、国内の競馬場は閉鎖されたが、イギリスなどの海外の競馬場で目撃される事があった。

参考文献[編集]

  • ビルマ 「発展」のなかの人びと』 田辺寿夫著 岩波新書
  • アウン・サン・スーチー 囚われの孔雀』 三上義一著 講談社

外部リンク[編集]


公職
先代:
ウィン・モン (en
ビルマの旗 ビルマ連邦大統領
第4代:1962 - 1981
次代:
サン・ユ (en
先代:
ウー・ヌ
ウー・ヌ
ビルマの旗 ビルマ連邦首相
第4代:1958 - 1960
第6代:1962 - 1974
次代:
ウー・ヌ
セン・ウィン (en