テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故

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テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故
KLMオランダ航空4805便 · パンアメリカン航空1736便
事故の概要
日付 1977年3月27日
概要 パイロットエラー、滑走路誤進入、濃霧、コミュニケーションにおける限界・障害
現場 スペインカナリア諸島テネリフェ島
テネリフェ空港
(現在のテネリフェ・ノルテ空港)
負傷者総数
(死者除く)
61
死者総数 583
生存者総数 61
第1機体

事故機と同型のパンアメリカン航空のボーイング747-121
機種 ボーイング747–121
機体名 Clipper Victor
運用者 パンアメリカン航空
機体記号 N736PA
出発地 アメリカ合衆国ロサンゼルス
ロサンゼルス国際空港
経由地 アメリカ合衆国ニューヨーク
ジョン・F・ケネディ国際空港
目的地 スペインカナリア諸島
グラン・カナリア空港
乗客数 380
乗員数 16
負傷者数
(死者除く)
61
死者数 335 (乗客326、乗員9)
生存者数 61
第2機体

事故機のPH-BUF(KLMオランダ航空のボーイング747-206B)
機種 ボーイング747-206B
機体名 Rijn  ("Rhine")
運用者 KLMオランダ航空
機体記号 PH-BUF
出発地 オランダ・アムステルダム
スキポール空港
目的地 スペインカナリア諸島
グラン・カナリア空港
乗客数 234
乗員数 14
死者数 248 (全員)
生存者数 0

テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故(テネリフェくうこうジャンボきしょうとつじこ)は、1977年3月27日17時6分(現地時間)、スペインカナリア諸島テネリフェ島にあるテネリフェ空港滑走路上で2機のボーイング747型機同士が衝突し、乗客乗員のうち合わせて583人が死亡した事故の通称である。

生存者は乗客54人と乗員7人であった。死者数においては史上最悪[1]航空事故である。

死者数の多さなどから「テネリフェの悲劇、テネリフェの惨事(Tenerife Disaster)」とも呼ばれている。

テロによる空港閉鎖[編集]

パンアメリカン(パンナム)航空1736便はロサンゼルス国際空港を離陸し、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港に寄港した。機体はボーイング747-100機体記号はN736PA(1969年製造、クリッパー・ヴィクター号と命名されていた)[2]

一方のKLMオランダ航空4805便はオランダからの保養客を乗せたチャーター機で、事故の4時間前にアムステルダムのスキポール国際空港を離陸した[2]。機体はボーイング747-200B機体記号はPH-BUF(1973年製造、ライン号と命名されていた)。

どちらの便も、最終目的地は大西洋のリゾート地であるグラン・カナリア島グラン・カナリア空港(ラス・パルマス空港)であった。

最終目的地に近づく途中、パンナム機は、ラス・パルマス空港がカナリア諸島分離独立派組織による爆弾テロ事件と、更に、爆弾が仕掛けられているという予告電話(結局は虚偽だった)のため、臨時閉鎖したと告げられた[3]。パンナム機は空港閉鎖が長くは続かないという情報を得ており、燃料も十分に残っていたため、着陸許可が出るまで旋回待機したいと申し出たものの、他の旅客機と同様に近くのテネリフェ島のテネリフェ空港(ロス・ロデオス空港)にダイバート(代替着陸)するよう指示された。KLM機も同様の理由でテネリフェへのダイバートを指示された。

テネリフェ空港はテイデ山の麓に位置する、1941年開港の古い地方空港であり、1本の滑走路(ランウェイ)と1本の平行誘導路(タクシーウェイ)および何本かの取付誘導路を持つだけの規模で、地上の航空機を監視する地上管制レーダーはなかった。事故当日、空港はダイバートした旅客機が数多くいた[4]

KLM機が着陸した時点で、エプロン(駐機場)のみならず、平行誘導路上にまで他の飛行機が駐機している状態だったので、管制官はKLM機に平行誘導路端部の離陸待機場所への駐機を命じた。およそ30分後に着陸したパンナム機もこの離陸待機場所のKLM機後位に他の3機とともに駐機した。平行誘導路が塞がっていたため、離陸する飛行機は滑走路をタクシングして離陸開始位置まで移動する必要があった。

衝突に至る連鎖[編集]

燃料補給[編集]

事故の全体像
テネリフェ空港の主滑走路の両端からパンナム機(青)とKLM機(空色)が接近衝突した(赤い星印)
濃霧のため管制塔(橙色)は両機とも視認できなかった
ラス・パルマス空港(グラン・カナリア島)
ラス・パルマス空港(グラン・カナリア島)
テネリフェ空港(テネリフェ島)主滑走路は1本のみの小規模空港
テネリフェ空港(テネリフェ島)
主滑走路は1本のみの小規模空港
KLM機とパンナム機の駐機位置
KLM機とパンナム機の駐機位置

パンナム機着陸のおよそ2時間後、ラス・パルマス空港に対するテロ予告は虚偽であることが明らかになったため、同空港の再開が告知された。乗客を機外に降ろさず待機していたパンナム機は離陸位置へ移動する準備ができていたが、KLM機とそれに給油中の燃料補給車が障害となって移動することができなかった。

既に一旦乗客を降ろしていたKLM機のファン・ザンテン機長は、乗客の再招集にある程度の時間が掛かることもあり、ラス・パルマスに着いてからではなく、このテネリフェでの給油を決めた。この給油が開始されたのが、ちょうどラス・パルマス空港再開の一報の5分ほど前であり、目前でそれを見ていたパンナム機はいつでも離陸できる状態にあり、無線で直接KLM機にどれくらい掛かるかを問い合わせたところ、詫びるでもなく「35分ほど」と回答された。

何とかKLM機の横をすり抜けられないかと、パンナム機のグラブス機長は副操縦士機関士の2人を機外に降ろして翼端間の距離を実測させたが、ギリギリで不可能だと分かった[5]。仕方なくパンナム機がKLM機の給油(55.5kl)を待つ間に、目の前を10機以上が離陸していった。そばには他の飛行機も3機いたが、B747ではなかったので、KLM機の脇をすり抜けて離陸していった。

KLM機の乗客のうち1人だけが、テネリフェ島に住むボーイフレンドのところに泊まるためにテネリフェ空港で降りることにしたため、乗客数は235人から234人に減った[5][6]。給油が終わると、KLM機は先にエンジンを始動しタクシングを開始した。数分遅れでパンナム機もそれに続いた。

誘導と気象状況[編集]

16時58分、管制塔の指示に従い、KLM機は滑走路を逆走して端まで移動し、180度転回した(航空用語では地上での方向転換をタクシーバックと呼ぶ。B747のような大型機が狭い滑走路で転回するのは困難なため、誘導路がある空港では普通は行わない)。その位置で航空管制官(ATC)からの管制承認(ATCクリアランス)を待った。移動の最中、が発生し、1000フィート(300mほど)しか視界が利かなくなった。管制官は滑走路の状況を目視できなくなった。

17時2分、パンナム機はKLM機に続いて同じ滑走路をタクシングした。パンナム機に対する管制塔からの指示は、滑走路を途中の「3番目の出口(C3)」まで進み、そこで滑走路を左に出て平行誘導路に入り、そこでKLM機の離陸を待つように、というものだった。霧の中、C3出口に到達したパンナム機クルーはこの出口を出るためには左に135度転回し、さらに平行誘導路に出る時にはもう一度右に135度転回しなければならないことに気付いた(通常B747のような大型機にこのような困難な進路指示は出すものではないが、このような指示を出したのは、当時B747は最新鋭の大型機であり管制官にその知識が薄かったためとされている。スペイン当局の事故調査報告では、なぜ管制官が曲がりやすいC4出口でなくC3出口を指示したかについては触れられていない[7])。パンナムクルーは小さな滑走路でB747がこのような急転回をするのはほぼ不可能(事故後にKLMは独自で実験を行いB747はこの曲率を通過できることを証明したが)と考え、テネリフェATCは45度転回で済むC4出口で左へ曲がり滑走路を出るよう指示したのに違いないと思い込み(パンナム機副機長の証言によれば、テネリフェATCから「1、2、3の3番目」という指示を受けた時点でパンナム機は既にC1出口を越えており、C1出口から3番目にあたるC4出口を指示された地点だと信じていたという[8])、C3出口を通り過ぎ、C4出口に向けて滑走路を進み続けた。

コミュニケーションの問題[編集]

KLM機のファン・ザンテン機長はブレーキを解除し離陸滑走を始めようとしたが、副操縦士が管制承認が出ていないことを意見した。17時6分6秒、副操縦士は管制官に管制承認の確認を行い、17時6分18秒、管制官は管制承認を出した(航空交通管制の項目に詳しいが、計器飛行方式をとる旅客機はまず管制官と交信しフライトプランの確認を行い、『離陸後に目的地までフライトプランどおりの航路を飛ぶための承認』を得る。これが管制承認である)。管制承認はあくまで「離陸のスタンバイ」であり、「離陸を始めてよい」という承認ではないが、管制官は承認の際に「離陸」という言葉を用いたためKLM機はこれを「離陸を始めてよい」という許可として受け取ったとみられる。17時6分23秒、副操縦士はオランダ訛りの英語で "We are at take off"(これから離陸する)または "We are taking off"(離陸している)とどちらとも聞こえる回答をした。管制塔は聞き取れないメッセージに混乱し、KLM機に「OK、(約2秒無言)待機せよ、あとで呼ぶ(OK, … Stand by for take off. I will call you)」とその場で待機するよう伝えた。この「OK」とそれに続く2秒間の無言状態が後に問題とされる。

パンナム機はこの両者のやりとりを聞いて即座に不安を感じ「だめだ、こちらはまだ滑走路上をタクシング中(No, we are still taxiing down the runway)」と警告した。しかしこのパンナムの無線送信は上記2秒間の無言状態の直後に行なわれたため、KLM機では「OK」の一言だけが聞き取れ、その後は混信を示すスキール音しか記録されていない。2秒間の無言状態によりATCの送信は終わったと判断してパンナム機は送信を行ったが、ATCはまだ送信ボタンを押したままだったので混信を生じた。しかもATCとパンナム機の両者はこの混信が生じたことに気付かなかった。これにより、パンナム機は『警告がKLM機とATCの双方に届いた』、ATCは『KLM機は離陸位置で待機している』、KLM機は「OK」の一言で『離陸許可が出た』とそれぞれ確信したため、KLM機は離陸推力へスロットルを開いた。

霧のためKLM機のクルーはパンナムのB747がまだ滑走路上にいて自分たちの方向に向けて移動しているのが見えなかった。加えて管制塔からはどちらの機体も見ることができず、さらに悪いことに滑走路に地上管制レーダーは設置されていなかった。

だが衝突を回避するチャンスはもう一度あった。上記交信のわずか3秒後に改めてATCはパンナム機に対し「滑走路を空けたら報告せよ(Report the runway clear)」と伝え、パンナム機も「OK、滑走路を空けたら報告する(OK, we'll report when we're clear)」と回答した。このやりとりはKLM機にも明瞭に聞こえていた。これを聴いたKLMの機関士はパンナム機が滑走路にいるのではないかと懸念を示した[9]。事故後に回収されたKLM機のCVR(コックピットボイスレコーダー)には以下の会話の録音が残っている(カッコ内は原語であるオランダ語)。

KLM機関士:「まだ滑走路上にいるのでは?(Is hij er niet af dan?)」
KLM機長:「何だって?(Wat zeg je?)」
KLM機関士:「まだパンナム機が滑走路上にいるのでは?(Is hij er niet af, die Pan-American?)」
KLM機長/副操縦士:(強い調子で)「大丈夫さ!(Jawel!)」

おそらく、ファン・ザンテン機長は機関士の上司であるだけでなく、KLMで最も経験と権威があるパイロットだったためだろうが、機関士は重ねて口を挟むのを明らかにためらった様子だった[10]

衝突[編集]

事故の瞬間
パンナム機(青色)は前方左の4番出口へ退避しようとした
KLM機(空色)はパンナム機視認時点で滑走中でさらに加速し離陸を急いだ
パンナム機の上にKLM機が覆いかぶさるような形で衝突

KLM機に警告を与えた(と思っていた)パンナム機コックピットでは機長が「こんなところとはさっさとおさらばしよう(Let's get the hell right out of here.)」、機関士は「ええ、(KLMは離陸を)急いでいるんでしょうね(Yeah... he's anxious, isn't he?)」「あれだけ我々を待たせたくせに、今度はあんなに大急ぎで飛ぼうとするなんて(After he held us up for all this time now he's in a rush.)」といった会話がなされていたが、17時6分45秒、滑走路のC4出口に差し掛かったところで機長がKLM機の着陸灯が接近してくるのを視認した。

「そこを!あれを見ろ!畜生!…バカ野郎、来やがった!(There he is! Look at him! Goddamn... that son of a bitch is coming!)」また、同時に「よけろ!よけろ!よけろ!(Get off! Get off! Get off!)」という副操縦士の声も記録されている。衝突直前、パンナム機の操縦士たちは出力全開で急速に左ターンを切ろうとしたが、あまりにも時間がなく機首を45度ほど曲げるのが精一杯だった。

一方KLM機はその速度が既に「V1(離陸決心速度)」を超えており停止制動はできず、さりとて「VR(機首引き起こし速度)」には達していなかったが、17時6分48秒、衝突を避けようと強引に機首上げ操作を行い、機尾を滑走路に20 mにわたりこすりつけた。機長が衝突の瞬間まで「上がれ!上がれ!上がれ!(Come on! Come on! Come on!)」と叫ぶ声が記録されている。17時6分50秒、わずかながら浮き上がったKLM機の胴体下部は、滑走路上で斜め左へ転回中だったパンナム機の機体上部に覆いかぶさるような形で激突した。KLM機の機首はパンナム機の上を超えたものの、機尾と降着装置はパンナム機の主翼の上にある胴体の右側上部に衝突し、KLM機の右翼のエンジンはパンナム機の操縦席直後のファーストクラスのラウンジ部分を粉砕した[5]

KLM機は一時は空中へ浮上したが、パンナム機との衝突により第一エンジン(左翼外側)が外れ、第二エンジン(左翼内側)はパンナム機の破片を大量に吸い込んだため、あっという間に操縦不能の状態に陥り失速し、衝突地点から150m程先で機体を裏返しにして墜落し、滑走路を300mほど滑り爆発炎上した。胴体上部を完全に粉砕されたパンナム機はその場で崩壊し、爆発した。KLM機の乗客234人と乗員14人は胴体の変形が少なかったにも関わらず、脱出できず全員死亡。パンナム機は396人のうち335人(乗客326人と乗員9人)が死亡した。原因は、衝突時に漏れた燃料による爆発と炎、煙だった。パンナム機の犠牲者には映画女優映画プロデューサーイヴ・メイヤーが含まれていた。

パンナム機のグラブス機長、ロバート・ブラッグ(Robert Bragg)副操縦士、ジョージ・ウォーンズ(George Warns)機関士は乗客54人と乗員7人の生存者に含まれていた。機長らは救出される際、KLM機に対して激怒していたという。パンナム機の生存者は、KLM機との衝突場所と反対側の機体左側の座席におり、爆発で機体が左右に引き裂かれた際、滑走路上に崩れ落ちた左側は炎上しなかったために助かったのだった[11]。火災を免れた者は機体にできた穴から滑走路上に逃げ出したが、その際、パンナム機から外れ落ちたエンジンがフルパワーの推力をほぼ保ったまま暴走し、パンナム機からの脱出直後で滑走路にいた者の1人を直撃して死亡させた。消防士たちは燃えているKLM機のほうに向かったが、濃い霧のためにしばらくはパンナム機の生存者に気づかなかった。

調査[編集]

スペイン、オランダ、アメリカ合衆国から派遣された70人以上の航空事故調査官、および両機を運航していた航空会社が事故調査に入った。明らかになった事実は、事故当時パイロットや管制などの間に、誤解や誤った仮定があったことを示していた。コックピットボイスレコーダーの聞き取り調査から、テネリフェ管制塔がKLM機は滑走路の端で静止して離陸許可を待っているとの確信を持っていたその時、KLM機パイロットは離陸許可が出たと確信していたことがわかった。

原因[編集]

調査結果はKLM機に責任があるとするスペイン側調査結果と、事故は複合要因によるものというオランダ側調査結果に分かれ、個々の要因のどれが相対的に重要であったかは今も議論があるが、総合的な結論は、以下の要因が部分的に原因となって事故が起こったというものであった[12]

  • 管制官が2機を同時に滑走路に進入させたこと。
  • KLM機が「管制承認」を「離陸許可」と誤認して離陸滑走を行ったこと。
  • パンナム機が指示されたC3出口で滑走路を出なかったこと。
  • KLM副操縦士および管制官が標準から離れた用語(「We're at take off」と「O.K.」)を交信に使用したこと。
  • 押しつぶしたような無線音声、混信が起こった事により、それぞれに誤解が生じた(まったく同時に管制官とパンナム機両方が送信を行い、それゆえ交信音声が打ち消し合いKLM機には聞こえなかった)。
  • パンナム機機長が「まだ滑走路にいる」と報告したとき、KLM機長はそれを機関士が進言したにもかかわらず離陸を中断しなかったこと。
  • KLM機は燃料を補給して重くなっていたこと(補給をしていなければ、ギリギリのところでパンナム機をかわせていた可能性もあった)。

憶測[編集]

他にも、たとえ立証できないにしろ、事故につながった可能性のある要因が憶測されている。

  • 管制塔からの送信音声のバックにはサッカー試合のテレビ放送の音がはっきり混じっていた(スペイン側事故調査報告書では一切触れられていないが、オランダ側の事故調査報告書では指摘されている[13][14])。スペインの管制官は管制塔内で管制中にサッカー試合を視聴しただけでなく、サッカー試合に気を取られ管制がおろそかになった可能性がある。
  • ファン・ザンテン機長はKLMでも最上級の操縦士で、747操縦のチーフトレーナーでもあり、KLMに所属するほとんどの747機長/副操縦士は彼から訓練を受けており、事故当日のKLM機内誌の広告には彼の写真が掲載されていたほどの人物であった[5]。彼は6年間フライトシミュレーションで新人パイロットを訓練する担当者になっており、その間は月平均21時間しか飛行しておらず、またこの日の飛行前12週間は1度も飛んでいない。これらの事から、シミュレーターの中のすべての役割(管制官を含む)を行ってきた結果、全ての権限は彼の掌中にあると錯覚するようになり(トレーニング症候群)、そのため、彼が管制官の指示を問いたださなかったのではないかと示唆する専門家もいる[5]
  • クルーの職務時間の超過に関するオランダの規則があるため、KLMのクルーは遅れたフライトを急いで再開しなければならないと考えていた可能性がある。
  • 悪化する気象条件(濃霧)は視界不良による滑走路閉鎖の可能性が高く、一刻も早く離陸しないとロス・ロデオス空港に留まらざるを得なくなる。その際に乗客の宿泊代などのKLMの金銭負担が増える結果になること、散々待たせたパンナム機まで巻き添えにして離陸できなくなるのは気の毒だとの配慮による焦りも指摘されている。

航空規則の改正[編集]

本件事故を受けて、国際航空規則に対し全面的な変更がなされた。世界中の航空に関する組織に対しては、聞き違いを防ぐために標準的な管制用語を使用し、共通の作業用語には英語を使うよう要請がなされた。例えば、国際民間航空機関(ICAO)は、「line up and wait(滑走路に入り待機せよ)」という用語を、航空機に対し滑走路の待機位置まで動くように(ただし離陸の許可は下ろさない)という指示に使うよう要請している。連邦航空局(FAA)の管制用語では「taxi into position and hold」が同じ意味になる[15]

現在の管制用語では、指示の際に、「OK(オーケー)」や「Roger(ラジャー、了解)」といった口語表現単独、あるいは「イエス」「ノー」単独で承認を行ってはならず、「Affirm(肯定だ=イエス)」「Negative(違う=ノー)」といった決められた用語を使用し、指示の核心部分を復唱(read back)させることで、相互に理解したことを示さなければならない。加えて、「take-off(離陸、テイクオフ)」という用語も実際の離陸許可を下ろす時か離陸許可を取り消す時にしか口にしてはならない。離陸許可の時点までは、コクピットも管制塔も「departure(出発/出域)という用語を使わなければならない(例:「ready for departure」=出発(離陸)準備完了)」。

しかし、2000年代に入って以降、現在ではこの要請は必ずしも遵守されていない。2008年2月16日新千歳空港で2機の航空機(747とMD-90)が滑走路上でニアミスする[16]というテネリフェ事故と全く同じ大惨事寸前の状況が発生している。原因は、管制承認についての交信で管制官が「take-off」という用語を使ってしまったため、航空機側が離陸許可と誤認し離陸滑走を開始したこと(および、機長らも聞き違いを問いただしたり指示を復唱したりせず、ただ「Roger」とのみ答えたこと)であった。

またコックピット内の手続きや規則も変わった。航空業界には軍出身者が多く、当時のコクピットでは上官の命令は絶対だという権威主義的な気風が見られ、こうした対人関係の特殊さが、航空機が改良されても航空事故が減らない原因の一つとみられるようになっていた。この事故をきっかけに、クルーメンバー間の厳格な上下関係は、クルー間の意思疎通や情報交換を妨げ、ヒューマンエラーを引き起こす要因になるとして弱める方向に向かい、上意下達よりも、相互の合意による意思決定が強調されるようになった。機長の権威が低すぎる(権威の勾配が緩すぎる)と、機長の言うことが聞かれなくなり、とっさの場合に決定を行い命令を下すという機長の権限を行使することができないが、機長の権威が高すぎる(権威の勾配が急すぎる)と副機長らが萎縮して、機体の異常や機長の判断ミスに気付いたとしても口をはさむことができなくなって事故につながってしまうしまうため、「操縦室内の権威勾配(Trans-cockpit authority gradient, TAG)」は適切であることが必要とされた。これは航空業界でCRMcrew/cockpit resource managementクルー・リソース・マネジメント、乗務員の人的資源の管理)として知られている、コックピット内のクルーが持てる力を最大限に生かせる環境を作ることによって、対人関係の滞りやヒューマンエラーを防ぎ、突発的な危機に直面してもクルー全員の総力を結集して危機を回避して生還できるようにするという訓練体系の重要な概念になっている。上下関係ではなく意思疎通や意思決定やチームワークを重視するCRMは、1970年代末からアメリカで構築され、すべての航空会社の基礎的な安全管理方式や訓練体系となっている。

しかし、職場の上下関係をコクピットから完全に排除するのは難しく、若い副操縦士がベテランの機長に逆らえない、あるいは機長の判断を優先させたがために墜落する事故がテネリフェ以後もたびたび起きている。

新空港の建設[編集]

テネリフェ島北部のロス・ロデオス周辺(サン・クリストーバル・デ・ラ・ラグーナ内)の地域には頻繁に霧が発生することから、事故発生後、島南部に新たにテネリフェ・スール空港(コード:TFS)が建設され、テネリフェの国内・国際線の大部分を扱うようになっている。悲劇の現場となったテネリフェ空港(テネリフェ・ノルテ空港、コード:TFN)は、カナリア諸島内部やスペイン本土からのフライトに使用されている。

責任と慰霊[編集]

スキポール空港で並べられた犠牲者の棺 アムステルダムWestgaarde墓地の犠牲者記念碑 テネリフェ島の国際慰霊碑
スキポール空港で並べられた犠牲者の棺
アムステルダムWestgaarde墓地の犠牲者記念碑
テネリフェ島の国際慰霊碑

オランダの航空当局は当初、KLM機のクルーの責任を認めようとしなかったが[13][14]、KLMは最終的には事故の責任を受け容れ、逸失利益に応じて遺族にそれぞれ、58,000ドルから600,000ドルを支払った[17]

アムステルダムには犠牲者の墓地および記念碑が作られている。カリフォルニア州オレンジ郡ウェストミンスターの墓地にも同様の記念碑はある。また事故30年を機に、2007年、オランダやアメリカなどに住む遺族や、事故当時の救急に当たった島の人々が合同で慰霊祭を開き、テネリフェ島のメサ・モタ山に国際慰霊碑を建てている[18]

脚注[編集]

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  1. ^ 2014年1月現在。戦時下の事故や航空テロ事件を含むが、非搭乗者が多数死傷したアメリカ同時多発テロ事件を除く。なお、単独機での死者数は1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故が最多である。
  2. ^ a b Kilroy, Chris Special Report: Tenerife AirDisaster.com.
  3. ^ The Tenerife crash - March 27th, 1977 1001 Crash
  4. ^ The Tenerife Airport Disaster - the worst in aviation history Tenerife Information Centre
  5. ^ a b c d e Macarthur Job (1995). Air Disaster Volume 1, ISBN 1875671110, pp.165-180
  6. ^ The Deadliest Plane Crash”. PBS (2006年10月17日). 2007年7月26日閲覧。
  7. ^ Air Line Pilot, August 2000, page 18
  8. ^ "Crash of the Century." Cineflix Productions.
  9. ^ Plane Crash Info, March 1977, page 18
  10. ^ ALPA report on the crash (PDF) , p. 17 (13)
  11. ^ http://www.upi.com/Audio/Year_in_Review/Sadat-Visits-Israel/12361881614363-1/#title "Tenerife Disaster, 1977 Year in Review."
  12. ^ Official report (PDF, 5.98 MB) , pp. 61-62
  13. ^ a b Dutch comments on the Spanish report (PDF)”. Project-Tenerife. 2010年8月14日閲覧。
  14. ^ a b Nicholas Faith (1996, 1998). Black Box: pp.176-178
  15. ^ FAA documentation (PDF) , page 127
  16. ^ 502便の管制指示違反‐日本航空「安全への取り組み/2007年度のトラブルとその安全対策/重大インシデント」(2010年11月26日閲覧)
  17. ^ How KLM accepted their responsibility for the accident”. Project-Tenerife. 2010年8月14日閲覧。
  18. ^ International Tenerife Memorial

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯28度28分52.65秒 西経16度20分14.95秒 / 北緯28.4812917度 西経16.3374861度 / 28.4812917; -16.3374861