ニューデリー空中衝突事故
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事故の概要 | |
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日付 | 1996年11月12日 |
概要 | カザフスタン航空機のパイロットエラーによる空中衝突 |
現場 |
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負傷者総数 | 0 |
死者総数 | 349 (全員) |
生存者総数 | 0 |
第1機体 | |
![]() 1986年に撮影された事故機 | |
機種 | ボーイング747-100B |
運用者 |
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機体記号 | HZ-AIH |
出発地 |
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経由地 |
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目的地 |
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乗客数 | 289 |
乗員数 | 23 |
負傷者数 (死者除く) | 0 |
死者数 | 312 (全員) |
生存者数 | 0 |
第2機体 | |
![]() 1994年に撮影された事故機 | |
機種 | イリューシンIl-76 |
運用者 |
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機体記号 | UN-76435 |
出発地 |
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目的地 |
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乗客数 | 27 |
乗員数 | 10 |
負傷者数 (死者除く) | 0 |
死者数 | 37 (全員) |
生存者数 | 0 |
ニューデリー空中衝突事故(ニューデリーくうちゅうしょうとつじこ、英語:Charkhi Dadri mid-air collision)は、1996年にインドで発生した空中衝突事故(航空事故)である(別名:チャルキ・ダドリ空中衝突事故)。この事故では両機の乗員乗客合わせて349名全員が死亡し、民間航空機による空中衝突事故としては世界最悪である。航空機事故ではテネリフェ空港ジャンボ機衝突事故と日本航空123便墜落事故に続いて、世界3番目の死者数を出した事故である。
事故の概略[編集]
現地時間1996年11月12日18時32分、サウジアラビア航空763便(ボーイング747-100B、機体記号:HZ-AIH、1982年製造。インド・ニューデリー発サウジアラビア王国・ダーラン経由同国ジッダ行き)は、ニューデリーのインディラ・ガンディー国際空港を離陸した。763便には乗員23名と乗客289名の合計312名が搭乗しており、乗客の多くはサウジアラビアに出稼ぎに向かうインド人労働者であった。
同じ頃、カザフスタン航空1907便(イリューシンIl-76貨物機、機体記号:UN-76435、1992年製造。カザフスタン共和国・シムケント発インド・ニューデリー行き)は、インディラ・ガンディー国際空港への着陸に向けて763便と同じ空域を降下中であった。1907便には乗員10名と乗客27名の合計37名が搭乗していた。
離陸した763便は、18時32分に管制官から高度10,000フィート (3,000 m)への上昇を指示され、事故の5分前の18時35分にさらに高度14,000フィート (4,300 m)への上昇を指示された。763便は指示に従い、高度14,000フィートを維持して飛行した。
一方の1907便は高度23,000フィート (7,000 m)で当該空域に入り、18時32分にインディラ・ガンディー国際空港管制塔に対して高度23,000フィートを飛行していることを通報した。管制官は高度15,000フィート (4,600 m)への降下を指示した。この際、管制官は1907便に対して12時の方向約14海里 (26 km; 16 mi)の地点に、正対して進行してくるサウジアラビア航空のボーイング747型機がいる事を通報し、同機を視認したら管制官に通報するよう指示した("[There is an] identified traffic 12 o'clock, reciprocal Saudia Boeing 747, 14 miles. Report if in sight.")。1907便は上記通報を受信した旨管制官に通報した。
この通信を受けて機長は降下を始めたが、水平飛行に移行する高度を副操縦士に指示しなかった。また1907便の通信士は英語を解さない機長、副操縦士、航空機関士、航法士らに対して管制官からの通信内容を通訳していなかった。このため1907便の機長と副操縦士は衝突の3秒前に763便を視認するまで事態を把握できなかった。なお両便とも空中衝突防止装置(TCAS)を装備していなかった。
機長は衝突数秒前になってから初めて通信士に管制官から指示された高度を確認した。1907便はこの時すでに高度14,090フィート (4,290 m)まで降下していた事が事故調査によって明らかになっている。衝突はそのすぐ後に起きた。1907便の航空機関士が12時の方向に同高度を飛来してくる763便を視認し、上昇に転ずるべくエンジンスロットルを全開にしたが遅すぎ、その3秒後に1907便と763便の両機は空中で衝突した。
1907便の左翼は763便の第1・第2エンジンおよび胴体後部に衝突した。763便は破壊されたエンジンと胴体が発火し、空中分解して墜落した。1907便は左翼を失い、衝突後約10秒間上昇を続け、高度15,700フィート (4,800 m)に達したところで失速して墜落した。両機共に生存者はなかった。
事故原因[編集]
当初は管制官のミスが疑われたが、事故から3日後、インド政府の事故調査委員会は交信記録を精査し、「管制官に落ち度はなく、指示も適切に行なわれていた」と結論を出した。
その後、レコーダーを捜索する過程で、カザフスタン航空機の高度計が原型を留めた状態で発見されると、副操縦士席と機長席の高度計に数値のズレがあったため、高度計の故障も疑われたが、後に高度計は正常だったことが判明し、事故原因から除外された。
事故調査委員会が双方の航空会社から事故調査の宣誓を取り付けたうえで、フライトレコーダーはモスクワとロンドンで解析された。
調査の結果、カザフスタン機の操縦士が管制官の指示した高度15,000フィートよりも低い14,000フィートまで下降していたことが分かり、事故の第一の原因は、カザフスタン機が管制官の指示に従わなかったことであるとされた。管制官が国際航空言語である英語によって指示した内容を、同機の機長も副操縦士もよく理解していなかった。また、通信士もその内容を直ちに翻訳して伝えなかったため、機長らは交信の中の2つのフライト・レベル("FL140"と"FL150")しか把握できなかった。そのため「FL140に763便がいるのでFL150まで降下せよ」という指示を「FL150に763便がいるのでFL140まで降下せよ」と間違って把握してしまい、そのため763便と同じ高度へ降下していった。通信士が高度が低すぎることに気付いて「高度が低すぎる!140じゃない!150だ!」と叫び、操縦士は出力を上げ上昇を試みたが、間に合わなかった。
また、現場付近には雲が出ていたため、事故機が互いに視認できなかったという気象条件も遠因として考えられている。事故の瞬間を偶然目撃したアメリカ軍の輸送機のパイロットが、衝突は雲の中で起きたということを証言した。
事故報告書は、事故再発防止のために、空港を発着する航空路の分離と、レーダー管制システムの近代化を勧告している。
この事故を扱った番組[編集]
ナショナルジオグラフィックチャンネルで放送された航空事故番組『メーデー!:航空機事故の真実と真相』の第6シーズン第4話「CRASH COURSE」がこの事故を扱っている。
- この番組では、763便が空中分解する様子や1907便が左翼を失う場面などは描かれておらず、763便の左翼と1907便の左翼が衝突する再現CGとなっている。
- 通信士の座席に独立した高度計が装備されておらず、操縦士席にある高度計を背中越しに見ているシーンや、空港の管制システムの古さゆえに、管制官が便名と高度の管理を鉛筆書きで行っていたシーンが描かれている。当時管制官が使用していた一次レーダーは航空機の高度がわからない旧式のものであった。二次レーダーは事故の2週間前に稼働する予定であったが、実際に導入されたのは2年後であった。
- また、インディラ・ガンディー国際空港周辺の空域の大半をインド軍が占有しており、民間航空機の使用できる空域が限られていたため混雑していたことも事故の一因として描写している。
関連項目[編集]
- グランドキャニオン空中衝突事故 - 1956年6月30日、アメリカ合衆国アリゾナ州グランドキャニオンの上空で発生した。トランス・ワールド航空のスーパーコンステレーション胴体後部にユナイテッド航空のDC-7左主翼が衝突し、両機ともに墜落し、生存者は無かった。当時の航空管制システムやレーダー網の未熟さによる有視界飛行に頼りきりの状態が事故を招いたとされ、その後の航空法の整備や大改革が促される契機となった。
- アビアンカ航空52便墜落事故 - パイロットと管制官の間でのコミュニケーションに問題があり、機体が燃料切れで墜落に至った。
- ヒューズ・エア・ウエスト706便空中衝突事故 - カリフォルニア州ドゥアルテ近郊の上空で、ヒューズ・エア・ウエストのDC-9とアメリカ海兵隊のF-4ファントムが空中で衝突した。戦闘機の回避行動が遅れたことや、戦闘機のパイロットたちが管制官に空港周辺の航空路の通過を申告しなかったことや、そして、管制塔のレーダーが旧式でジェット戦闘機を捕捉できなかったことなどの要因が積み重なって事故に繋がった。
- アエロメヒコ航空498便空中衝突事故 - ロサンゼルス国際空港の近郊上空で自家用機とアエロメヒコのDC-9が空中衝突した。自家用機のパイロットが管制官にターミナル・コントロール・エリア (TCA)の通過を通知せず、目の前にいたはずのDC-9を回避しなかったことや、その前後で別の自家用機が同じくTCAへの進入を知らせてこなかったことに管制官が気を取られてしまったことで、垂直尾翼を失ったDC-9がセリトスの住宅街に墜落する大惨事に発展した。
- ゴル航空1907便墜落事故 - 2006年、ブラジルの熱帯雨林の上空で発生した空中衝突事故。エンブラエル機が通信障害を起こし、管制官と連絡が取れなくなったことがゴル航空1907便との空中衝突の遠因となった。エンブラエル機は衝突後に生還したが、ゴル航空のボーイング737-800は左翼の大部分を失って墜落。154人が死亡した。
外部リンク[編集]
- Saudia Flight 763 report from the Aviation Safety Network
- Air Kazakhstan Flight 1907 report from the Aviation Safety Network
- 10th anniversary article on the collision (PDF) (2007年9月8日時点のアーカイブ) - Flight Safety Australia, Nov-Dec 2006 issue