バリュージェット航空592便墜落事故

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バリュージェット航空 592便
ValuJet DC-9-32; N1266L@FLL, February 1994 (5423968471).jpg
事故機と同型機
出来事の概要
日付 1996年5月11日
概要 機内火災
現場 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国フロリダ州エバーグレーズ
乗客数 105
乗員数 5
負傷者数
(死者除く)
0
死者数 110 (全員)
生存者数 0
機種 ダグラスDC-9-32
運用者 アメリカ合衆国の旗 バリュージェット航空
機体記号 N904VJ
出発地 マイアミ国際空港
目的地 アトランタ空港
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バリュージェット航空592便墜落事故(バリュージェットこうくう592びんついらくじこ、英語:ValuJet Flight 592)は、1996年に発生したアメリカ合衆国格安航空会社による航空事故である。事故の背景にある、航空業界に対する行き過ぎた政府による規制緩和が糾弾された。

事故当日のバリュージェット592便[編集]

事故の概要[編集]

1996年5月11日バリュージェット航空592便はマイアミ国際空港からアトランタに向けて東部夏時間14時4分(定刻の64分遅れ)に離陸した。この日はマイアミへの飛行中に自動操縦装置が故障、他にも燃料計・機内インターホン・予備油圧回路も故障した為、修理を行ったが、最終的に自動操縦装置とインターホンはアトランタで修理する事が決まり、操縦は手動で行う事となった。

離陸してから3分後に、592便の機長から空港にキャビンに煙が立ち込めたので戻りたいとの無線があり、航空管制官からマイアミへ戻るための指示が与えられた。しかし、その直前のボイスレコーダーには客室乗務員の「煙が、煙が立ち昇っている」と知らせる声が入っていた。

通常、客室乗務員と操縦乗員とのやり取りは操縦室のドアを開けないために機内インターホンで行われるが、前述の通り、故障したまま修理を持ち越して運航していた。そのため、客室乗務員は操縦室のドアを開けて異常事態を報告したが、それが原因でコックピットにも煙が侵入し充満してしまったと推測される。この経験が少ない客室乗務員の行為は「有毒ガスが客室に充満している可能性がある場合、決して操縦室の扉を開けてはならない」というマニュアルに違反していた。

592便はマイアミへ戻るコースを取ったが、火災がますます強くなり機内を焼き尽くそうとしていた。そのうえ運航乗務員のいずれかが意識を喪失し、操縦桿に突っ伏す形で倒れたため、14時14分に高度10000フィートから地上まで一気に墜落した。乗員乗客110名全員が犠牲になった。犠牲者の中にはNFLサンディエゴ・チャージャーズロドニー・カルバーやシンガーソングライターのウォルター・ハイアットが含まれていた。

事故原因[編集]

墜落現場はエバーグレーズ(沼地湿地地帯)だったが、沼の表面から2m下には花崗岩の地層が広がっており、事故機のDC-9は墜落の衝撃で粉々になって泥中に沈んでいた。そのうえ一帯はワニの生息地で、有毒なジェット燃料が漂う中での犠牲者と残骸の収容活動は困難を極め、アメリカ海軍の支援も得た。墜落の衝撃により遺体の状態は酷く、歯や骨などから身元を確認できたのは110人中68人だけで、機長は遺体の痕跡すら発見できなかった。このため、乗客が墜落前に有毒ガスの中毒を起こしていたかどうかは確認できなかった。

事故発生直後、マスコミは墜落の原因として「事故機のDC-9が1969年4月に初飛行し、製造から約27年が経過している事から、機体の老朽化が事故原因」と報道をしていた。しかしこれは後の調査で誤りと分かった。

NTSB(アメリカ国家運輸安全委員会)の調査によれば、592便の火災発生源は貨物室であることが判明した。この火災を発生させたのは、バリュージェットのほかの旅客機から下ろされた使用期限切れの緊急用酸素発生装置144本が機内で作動し化学反応で高温を発生させたためであった。酸素発生装置を輸送するためには、誤作動を防ぐため作動用の引き金(ストラップ)にプラスチックカバー(その価格は1個1セントにも満たないものであった)をつけなければならないが、これをつけていないものが多かった。また、マニュアルには「保管時は、ストラップが動かないよう、発生装置に巻きつけておく」との記載もあったが、梱包時の作業員がストラップが不要であると判断し、固定部を切断していた個体があった。更に、書類上は「空の酸素ボンベ」となっていたが、実際には充填されたものが残っていた。(「期限切れ」を意味する『Expired』と「空の」を意味する『Empty』を取り違えたとみられる。)この装置は航空貨物としては危険物であり、空輸するにはFAAから輸送免許を受領する必要があったが、バリュージェットは無免許であり、違法な行為であった。

事故機のDC-9には、貨物室の気密性を高めて酸素を遮断する消火システムが搭載されていた。しかし上記の酸素発生装置の誤作動により貨物室内部から酸素が供給されたため、消火できないばかりか激しい火災を招いた。

離陸後11分で墜落するのは早すぎるため、離陸滑走中には既に貨物室で発火していたとみられている。しかし、当時火災警報装置の設置が義務化されていなかったため、操縦乗員が事態を把握することができなかった。結局、592便の貨物室の火災が致命傷となった。

公聴会では、行政の失策も事故の原因を作ったと議論し、592便の機長の遺族も「システムの欠陥こそが事故原因」と非難した。それによると、1988年2月に同型機で発生した火災事故における安全勧告で、火災警報装置及び消火システムの設置義務化を要求したが、FAA(連邦航空局)はこれを無視し、設置義務化は先送りにされていた。

事故後の経過[編集]

乗員乗客の氏名が刻まれた慰霊碑

この事故でバリュージェット航空の安全保安体制の不備が大きく糾弾された。この事故以前にも1994年に15回だった同社の異常着陸が、1995年には52回となり、1996年の墜落事故までの5ヶ月間で59回と通常ありえない数になっていた。そのため、FAAから1996年6月16日に運航停止処分を受けた。

同年9月30日に運航の再開が認められたが、失われた顧客の信頼を取り戻すことが難しくなったため、1997年にバリュージェット航空はエアトラン航空を買収し合併した。同社はバリュージェットと同じく新規航空会社であり、「新規格安航空会社は危ない」という認識が利用者に広まるにつれ、経営が悪化しつつあった。この合併は、法的には「バリュージェットが存続会社」であり、「エアトランは買収され、消滅する側」だった。しかし合併してできた新会社の社名としては「エアトラン」の名が用いられた。見かけ上は「エアトランがバリュージェットを買収」したように見せかけた、いわゆる逆さ合併であった。新会社においてはバリュージェット航空の社歴は抹消された。つまり、悪評が知れ渡ってしまったバリュージェットは「バリュージェット」の名を捨て、実質的な名義だけを「エアトラン」としてイメージを一新したのである。

そのエアトランも、2010年9月27日サウスウエスト航空に買収され、2014年12月28日に完全消滅している。

なお、不適切な管理状態の酸素発生装置を空の容器であると称して事故機に搬入した運送会社であるが、アメリカで初めて航空事故の刑事責任を法廷で追及された企業となり、罰金を命令された上に2001年に経営破綻した。

犠牲者の慰霊碑は事故の3年後の1999年に建立された。慰霊碑は、110のコンクリートの柱から成っており、事故現場から北に8マイルの道路沿いにある。

映像化[編集]

外部リンク[編集]

関連文献[編集]