UPS航空6便墜落事故

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UPS航空 6便
UPS Boeing 747-400 in Dubai KvW.jpg
事故機(N571UP)、2008年撮影
事故の概要
日付 2010年9月3日
概要 貨物室での火災
現場 アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 ドバイ国際空港近郊
北緯25度05分53秒 東経55度21分36秒 / 北緯25.098度 東経55.360度 / 25.098; 55.360座標: 北緯25度05分53秒 東経55度21分36秒 / 北緯25.098度 東経55.360度 / 25.098; 55.360[1]
乗客数 0
乗員数 2
負傷者数
(死者除く)
0
死者数 2(全員)
生存者数 0
機種 ボーイング747-44AF/SCD
運用者 UPS航空
機体記号 N571UP
出発地 香港国際空港
経由地 ドバイ国際空港
目的地 ケルン・ボン空港
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UPS航空6便墜落事故(UPSこうくう6びんついらくじこ)とは、2010年9月3日、中東・アラブ首長国連邦 (UAE)のドバイ国際空港近郊に、UPS航空ユナイテッド・パーセル・サービス (UPS)傘下の貨物航空会社)の貨物機が墜落した航空事故。UPS航空では初めての重大事故であり、火災発生時、コックピットに充満する煙に対する安全性の懸念を復活させた事故でもある。

概要[編集]

事故当日のUPS6便[編集]

事故発生[編集]

2010年9月3日UPS航空6便は、現地時間18時51分(UTC14時53分)にケルンに向けてドバイを離陸。この日は副操縦士が操縦を、機長は無線交信と計器監視を担当。離陸後しばらくたって3つの空調装置のうち1つ (No.1)が停止したため副操縦士がリセットした。

離陸してから22分後、ドバイの西北西120海里 (220km)・32,000ftを飛行中に火災警報が作動。乗務員はバーレーン航空交通管制 (ATC)に緊急事態を宣言。しかし電波障害により最初は交信できなかった。その後バーレーンの管制区域に入った際、「火災が発生したので緊急着陸したい」とATCに報告。バーレーンATCはカタールドーハ国際空港への着陸を提案したが、クルーはドバイに引き返すことを決定し緊急事態宣言を行った。

バーレーンATCは6便にドバイ国際空港の滑走路12Lに直行することを助言した。クルーはチェックリストに従いメインデッキを減圧、それに伴いNo.2とNo.3の空調装置もシャットダウンされたのでスイッチを切った。しかし、これで貨物室内の火災は鎮火しないどころか、6便の手動操縦用のケーブルを焼損させ[2]、パイロット達は自動操縦に頼らざるを得なくなった。 次第にコックピットにも煙が充満し始め、パイロット達は人工水平儀高度計を見る視界すらも失っていった。さらに途中で機長がコクピットを退出して後方へ向かったきり戻らず、操縦はすべて副操縦士に委ねられた。加えて周波数の変更や機器の操作が困難になったため、バーレーンATCにドバイATCとの中継を要請した。そして、6便はドバイATCにレーダー誘導を要請する。バーレーンATCの管制区域外に出てしまった後、バーレーンATCの管制官たちは6便の近くを飛んでいた何機かの便に順番に中継を願い出た。管制官と6便のパイロットとの直接の交信が不可能になってしまったために、方位や速度、高度といった情報が遅れて伝わるような事態となり、操縦を担当していた副操縦士は迅速な判断ができないまま、ドバイ国際空港を4,500ftで通過。その後6便は近くのシャールジャ国際空港に緊急着陸すると報告した。

6便は空港に向けて旋回を開始、針路095度へ向かうよう指示されたが、誤って195度に設定したため空港から離れる角度へ旋回。対地接近警報装置が作動したため、副操縦士はオートパイロットを解除して高度を上昇させようとするが、機体は反応せず、警報が鳴りやむ事のないまま19時41分(UTC15時42分)、ドバイ国際空港の南16.7kmの地点に墜落。機体は大破炎上し、乗員2名は死亡した。

調査[編集]

アメリカ合衆国の国家運輸安全委員会 (NTSB)は、アラブ首長国連邦を支援するため航空調査官を派遣し、アラブ首長国連邦民間航空局 (GCAA)と協力すると発表した。また機体製造元であるボーイングもチームを送ることを申し出た。またUPSも独自の調査チームを派遣した。

事故機からコックピットボイスレコーダーが回収されると同時に、GCAAは2010年9月5日に予備的報告書を発行した。9月10日、フライトデータレコーダーとコックピットボイスレコーダーの2つのブラックボックスは、解析のためNTSBワシントンD.C.本部のラボに送られた。

2010年9月8日の時点で、GCAAとUPSは調査の進捗状況についてはコメントしなかった。しかし、調査員たちは火災は貨物室で始まったと確信していた。それに対しGCAAの局長は「火災が原因と決めつけるのは時期尚早である」と発言した。

調査を進めていくうちに、火災発生時の煙に対する安全性の懸念が復活されはじめ、コックピットに防煙マスクを設置するべきという意見も出た。またパイロットはチェックリストに従いメインキャビンの減圧を行っていたが、少なくとも20,000ft (6,100m)以上で行わなくては効果が出ないということも判明した。

また火元であるが、6便は香港からドバイまでの飛行は何も異常はなかった。無事ドバイ国際空港に到着したあと、荷物の積み替えが行われたが、その中にリチウムイオンバッテリーが含まれていた[3]。リチウムイオンバッテリーは本来危険物で積載する際には申請をしないとならないが、この時搭載の申告はされていなかった。結局、火元はリチウムイオンバッテリーと推測された。

原因[編集]

事故原因はまず貨物室でリチウムバッテリーが発火し煙が発生。減圧を行ったがすでに10,000ftまで降下していたため火は消えなかった。さらに空調装置を切ってしまったため貨物室で発生した煙がコックピットに流れ込んできてしまい、計器を見るのが困難になった。煙排出ハンドルも試したが効果はなかった。

また19時19分ごろ、機長の酸素マスクの酸素が不足したため、2階キャビンにある携帯酸素マスクを取りに行くこととなり席を立つが、その後CVRに機長の声は録音されていない。このことから機長は有毒ガスに巻かれて窒息死したものと考えられる。そして最後は副操縦士も酸欠状態、もしくは有毒ガスを吸い込み墜落したと考えられている。

なお減圧だけではなく消火装置を作動させても火災が消えなかった原因であるが、発火源がリチウムイオン電池だったため、飛行機に搭載されていたブロモトリフルオロメタン消火剤は適していなかったことが原因とされている。

その後[編集]

最終報告書では、煙感知システムと消火システムの改善の提言・耐火性コンテナの改良要求など、36項目の安全勧告が明記された。

10月にボーイングは、『オフになった空調システムから煙が入り込むため、火災発生時には空調システムを最低1つは起動しておくこと』ということを火災発生時のチェックリストに加えるとした。また、2010年11月、米政府当局の捜査官は、この事故に関してテロの可能性はないと述べた。

またUPSも最終報告書の公表前に安全対策を自主的に開始。コンテナの耐火性向上だけでなく、コックピットでは、酸素マスクを圧縮空気を利用して片手で装着可能なフルフェイスタイプに変更[4]、煙の遮断とテロリスト侵入防止の為に旅客機に装備されている客室と操縦室との間の鋼鉄製ドアは貨物機にはないこと[5]から、代替手段として、煙がコックピット内に侵入した場合に計器類と視界を確保するためのエアバッグを設置した。

その後もリチウム電池が原因の発火事故が相次いだことから、2016年1月1日発効のIATA危険物規則書57版にて、リチウムイオン電池・リチウムメタル電池の空輸に関する規定が改訂・厳格化され[6][7]、規定に従わない電池の空輸を拒否することになった。また旅客便においても国際民間航空機関 (ICAO)が、同年4月1日付で旅客機でのリチウムイオン電池の輸送を禁止。2018年を目途に新たな国際輸送規格を策定する予定となっている[8]

脚注[編集]

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  1. ^ http://avherald.com/h?article=4307772e&opt=0 location of crash site
  2. ^ さらにこの焼損は機体の他のシステムまでも破壊し、着陸直前で副操縦士はランディングギアが降りなかったことを報告している。
  3. ^ 電池だけでも81,000本あり、加えてリチウムバッテリー内蔵の電化製品も積載されていた。
  4. ^ 日本貨物航空も同タイプを採用。
  5. ^ 貨物機では搭乗している人物の身元がはっきりしているため、安全上の支障がないことから、仕切りはカーテンのみとなっている。
  6. ^ リチウム電池国際規則 - UPS
  7. ^ 2016年 リチウム金属・リチウムイオン電池取扱いについて - 日本貨物航空ニュースリリース 2015年12月24日
  8. ^ リチウムイオン電池の旅客機輸送が禁止に 4月1日から - ITmedia NEWS 2016年2月24日

関連項目[編集]

この事故を扱った番組[編集]

フライドバイ751便(ドバイ発トルコイスタンブールサビハ・ギョクチェン国際空港行)と政府専用機の747型機(ドバイ・ロイヤル・エア・ウイング所属)が中継機として登場する。

参考文献[編集]