キャセイパシフィック航空780便事故

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キャセイパシフィック航空 780便
Cathay Pacific Airbus A330-342; B-HLL@HKG;31.07.2011 614pm (6053412484).jpg
2011年に撮影された事故機(B-HLL)
出来事の概要
日付 2010年4月13日
概要 燃料汚染によるエンジン故障[1]
現場 香港の旗 香港 香港国際空港
乗客数 309
乗員数 13
負傷者数
(死者除く)
57[1]
死者数 0
生存者数 322(全員)
機種 エアバスA330-342
運用者 香港の旗 キャセイパシフィック航空
機体記号 B-HLL
出発地 インドネシアの旗 ジュアンダ国際空港
目的地 香港の旗 香港国際空港
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キャセイパシフィック航空780便事故(Cathay Pacific Flight 780)は、2010年4月13日に発生した航空事故である。ジュアンダ国際空港香港国際空港行きだったキャセイパシフィック航空780便(エアバスA330-342)が[2]、香港国際空港へ飛行していた際にエンジンの出力調整が出来なくなった。パイロットは、機体を通常の2倍ほどの速度で着陸させたが、機体は僅かに損傷したのみだった。脱出の際に57人の乗客が負傷し、うち1人は重傷を負った[3]

出発地のスラバヤで補給された燃料が汚染されており、両エンジンおよび燃料制御装置が飛行中に徐々に損傷していったのが原因であった[4]

780便の機長と副操縦士(共にオーストラリア人)は、USエアウェイズ1549便チェスリー・サレンバーガー機長に匹敵する。2014年3月に二人は国際定期航空操縦士協会連合会からポラリス賞を受賞した[4]

事故機[編集]

事故機のエアバスA330-342(B-HLL)は、2基のロールス・ロイス トレント700を搭載していた。初飛行を1998年11月4日に行い、同年11月25日にキャセイパシフィック航空へ納入された[3]

キャセイドラゴン航空に移籍後の事故機(2013年)

2012年4月に、キャセイパシフィック航空の子会社であるキャセイドラゴン航空に移籍した[5]

事故の経緯[編集]

780便は、現地時間8時24分にジュアンダ国際空港の滑走路28から離陸した。上昇中、エンジン圧力比英語版が若干変動しており、特に2番エンジンは大きく変動していた[3]。離陸からおよそ30分後、機体は高度39,000フィート (12,000 m)に到達した。ところが、ECAM上に第2エンジンの制御系統に不具合が生じたことを示す警告「ENG 2 CTL SYS FAULT」が表示され[3]、パイロットはキャセイパシフィック航空の技術部門に連絡をした。両エンジンのパラメーターには他に異常が見られなかったため、パイロットらは飛行継続を決定した[3]

離陸からおよそ2時間後、再びECAM上に「ENG 2 CTL SYS FAULT」の警告が表示され、パイロットは警告について検討した。先程と同じように他に異常が見られなかったため、再び飛行を継続するという結論に至った。

UTC5時19分、香港国際空港の南東203km上空で「ENG 1 CTL SYS FAULT」と「ENG 2 STALL」の警告が連続して表示された。第2エンジンの警告は圧縮機失速を意味しており、エンジンに異常があることを示していた。パイロットは、第2エンジンのスラストレバーをアイドルの位置まで戻し、ECAMアクションを実行した。第2エンジンをアイドルにしたため、推力を得るために第1エンジンを最大にした。また、パイロットはパン-パンを宣言し、空港への最短ルートでの進入と着陸を優先的に行えるよう香港管制に要求した[3]

香港国際空港から南東83km地点を降下中、8,000フィート (2,400 m)付近で「ENG 1 STALL」の警告が表示された。パイロットは、第1エンジンをアイドルにした。その後、管制官に「メーデー」を宣言した。機長と副操縦士は機体の推力を回復できない場合、着水させることも検討し始めたが、海面への着水は危険だと認識していた[6]。そこで、機長は、第1エンジンが反応するかスラストレバーをゆっくり動かした結果、第1エンジンの回転数は74%まで上昇したが、第2エンジンの回転数は17%のままであった[3]

メーデーを宣言してからおよそ11分後の、現地時間13時43分に780便は香港国際空港の滑走路07Lに着陸した[3]。この時、スラストレバーを操作したのにも関わらずエンジン回転数が74%から変化しなかった。このため780便はやむを得ず、運航時の重量で1エンジンでのアプローチの推奨速度である135 ノット (250 km/h)を95ノット (176 km/h)上回る230ノット (430 km/h)で滑走路に接地した[7][8]。着陸後、第1エンジンの逆推力装置は作動したが、第2エンジンは反応しなかった。パイロットがエンジンを停止するまで、第1エンジンの回転数は70-80%のままであった。大幅な速度超過で着陸したため、タイヤ8本のうち5本が破裂した。消防隊は煙や炎がタイヤから出ていることを報告し、これを受け、機長は緊急脱出を指示した[3]。脱出では57人が怪我を負い、うち10人が病院に搬送された[3]

事故調査[編集]

香港の民間調査局英語版フランス航空事故調査局イギリス航空事故調査局から成る調査委員会が発足した。また、インドネシアの国家交通安全委員会英語版国家運輸安全委員会エアバスロールス・ロイス・ホールディングスも調査に参加した[3]

事故機から回収されたコックピット・ボイス・レコーダーデジタル・フライト・データ・レコーダークイック・アクセス・レコーダー英語版は解析のため、データの取り出しが行われた。調査の焦点は、エンジン、エンジン制御システム、燃料システムに当てられた[3]

エンジンを検査したところ、燃料システムが球状粒子で汚染されていることが判明した。粒子は、燃料制御装置に付着し、動作不良を起こさせた[1]。また、他のエンジン部品や燃料タンクを含む燃料システム全体が粒子で汚染されていた[1]。調査官は、ジュアンダ空港の燃料サンプルを分析した結果、汚染粒子が含まれていることを明らかにした[1]。ジュアンダ空港では、駐機場の工事の一環として燃料供給システムを拡張していた。調査の結果、燃料供給システムを再稼働した際、一部の手順に従っていなかったため、燃料が汚染されたと結論付けられた[1]

映像化[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

[脚注の使い方]

参考文献[編集]

関連項目[編集]