ナイジェリア航空2120便墜落事故

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ナイジェリア航空 2120便
Nationair DC-8-61 C-GMXQ FAO 1989.png
1989年に撮影された事故機(C-GMXQ)
出来事の概要
日付 1991年7月11日
概要 空気圧不足によるタイヤの破裂
現場 サウジアラビアの旗 キング・アブドゥルアズィーズ国際空港近郊
乗客数 247
乗員数 14
負傷者数
(死者除く)
0
死者数 261(全員)
生存者数 0
機種 ダグラスDC-8-61
運用者 ナイジェリアの旗ナイジェリア航空英語版
機体記号 C-GMXQ
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ナイジェリア航空2120便墜落事故(ナイジェリアこうくう2120びんついらくじこ)とは、1991年7月11日サウジアラビアジッダで発生した航空事故である。圧力不足のタイヤが引き金となって不具合が連鎖し、着陸装置と滑走路が摩擦して高熱を生じ、破損したタイヤの残骸が発火した。そのまま着陸装置を機内に格納したために機内火災が生じて墜落に至った。

事故当日の2120便[編集]

事故の概要[編集]

2120便はジッダのキング・アブドゥルアズィーズ国際空港からソコトへ向かう予定であった。離陸滑走開始から15秒程で、コックピットに振動音が響き、航空機関士が「どうした?(What's that?)」と発した。2秒後、再び振動音がなり、機長は副操縦士に「フットブレーキを作動させたままじゃないよな?(You're not leaning on the brakes, eh?)」と聞き、副操縦士は「いいえ、足はラダーペダルの下にあるので(No, I 'm not, I got my feet on the bottom of the rudder)。」と答えた。機体は80ノット付近を加速中であり、事故調査でこの時すでに着陸装置が壊れはじめていたことが判明した。滑走開始から28秒後、機長は90ノットをコールし副操縦士が確認した。約45秒後に離陸決心速度(V1)に到達し、6秒後に離陸した。目撃者によると、左主脚から火災が発生しており、着陸装置を格納すると炎は見えなくなった。

3分後、機体に異常が生じ始め、与圧油圧といった操縦に不可欠な装置が損傷を受けた。2,000フィート (610 m)付近で、機長は高度維持の要求をしたが、この時に「ナイジェリア2120」ではなく「ネーションエア2120」とコールサインを言い、管制官はサウジアラビア航空機からの交信と思い3,000フィート (910 m)での高度維持を許可した。機長は、管制官が2120便を3,000フィートまで上昇させたいのだと考え、理解した旨を返答したが、コールサインは言わなかった。この交信から3分間ほど、管制官はサウジアラビア航空機が緊急事態に陥ったと思っていた。副操縦士は、「緊急事態、緊急事態を宣言する。おそらく、タイヤの破裂が原因だ(... declaring an emergency. We 're declaring an emergency at this time. We believe we have ah, blown tires.)。」と管制官に伝えた。緊急着陸のため空港へ向かっている最中に、客室乗務員がコックピットに入り客室で煙が発生していることを伝えた。空港から11マイル (18 km)付近で、着陸装置を出したところ、火災の延焼が激しくなり乗客の1人が機内から外へ投げ出された。火災が勢いを増したため、客室の床は急速に焼け落ちたが、機体の制御はまだ可能だった。離陸から8分後、空港から10マイル (16 km)地点で機長は「ナイジェリア2120、緊急事態、火災が発生、空港へ迅速に引き返している(Nigeria 2120 declaring an emergency, we are on fire, we are on fire, we are returning to base immediately)。」と管制官に伝えた。8時38分、滑走路から9,433フィート (2,875 m)地点に2120便は墜落、乗員乗客261人全員が死亡した[2]

事故詳細と原因[編集]

事故原因は左主脚の圧力不足のタイヤが滑走中に破裂したことに起因する。事故4日前の7月7日に左主脚の2番と4番のタイヤが圧力不足であることが判明し、主任整備士が整備しようとしたがタイヤに充填する窒素を手配できず、出発の遅れを嫌がった運行管理者がタイヤ交換も拒否して出発を許可した。2人とも2120便に搭乗した。

DC-8の片側の主脚は2本の車軸と4本のタイヤで構成されている。2本の車軸は前後に並び、1番と2番のタイヤは同じ車軸の左右に配置され、3番と4番はもう一つの車軸の左右についている。乗客と荷物を満載して離陸滑走を開始した結果、空気圧不足の2番タイヤと同軸の1番タイヤにまず負荷が掛かり、過荷重と圧縮熱で破裂。このため今度は2番タイヤも過荷重となり即座に破裂した[2]。更に噛み込みにより2番タイヤの回転が止まり、ホイールや主脚が滑走路と擦れて高温の摩擦熱が発生。それによりタイヤに残っていたゴム片が発火した。

乗員は異音と振動からタイヤの異変に気付いたが、そのまま滑走を続けた[3]。やがて離陸して主脚を格納した結果、格納された主脚が火種となり、主脚格納部を取り巻く油圧系統や電気系統に延焼。火災はタイヤのゴム片や油圧系の作動油に加えてマグネシウム合金や、燃料(これは恐らく中央燃料タンクが焼損して漏れ出したもの)にまで燃え広がり、格納部の上方に位置する客室の床を焼き抜くと共に非常ブレーキを含む操縦系統も焼損した[2]

客室乗務員がコックピットに入り、煙を報告した頃には、CVRFDRは火災のためこの頃記録が途絶えている。やがて管制官は誤りに気付き、事故機を正しく把握して針路誘導を開始した[3]

客室内装の一部は主脚格納部に落ち込んだ。滑走路まで11マイル (18 km)付近で緊急着陸のため主脚を出した頃、シートベルトが焼き切れた最初の乗客が機外に放り出された。これは主脚を出した開口部から大量の空気が流れ込んだ結果、一気に火勢が増して客室床の被害が拡大したためと見られている。続けて多数の乗客が座席ごと機外に放り出された。[2]

機長は滑走路まで10マイル (16 km)の時点で3度目の緊急事態を宣言したが、燃料の火勢で機体構造が強度を失い、目撃談によれば機首を突如70°下げて滑走路手前9,433フィート (2,875 m)地点に墜落し爆発炎上した[2]。現場検証によると、墜落直前に空中分解し機首を下げ右にバンクした姿勢で落ちたと見られる[3]

この事故の主な原因は、整備をおざなりにしたネーションエアと出発を強行した運行管理者にあった。事故直前に整備主任がタイヤに充填する窒素を探したり、タイヤ交換をしたりといったことを試みようとした矢先に、運行管理者が出発の遅れを嫌がってタイヤ整備を拒否してしまった。整備主任はそれに逆らえないまま、その運行管理者と共に2120便に搭乗して二人とも亡くなった。事故の原因に関して、サウジ当局とNTSBの見解には若干相違があり、前者が乗員や管制官に非は無かったとしているのに対し、NTSBは滑走中にタイヤ異常を察知した時点で離陸中止する機会もあった筈だとして、クルー・リソース・マネジメント(CRM)に問題があった可能性を指摘している[3]

しかし、この事故の根本的な原因が機体の整備不良にあった上、さらに事故現場からは、ネーションエアの整備員がタイヤの空気圧の数値を改竄した書類の一部が見つかったことから、安全性よりも利益を優先したネーションエアの安全軽視がこの大惨事を招いたという結論は双方とも一致している。

事故機はナイジェリア航空が運行していたものの、乗員ごとネーションエアからリースされており、安全上の責任は後者が負っていた。ネーションエアは事故発生以降一度もフライトを行うことなく1993年5月に倒産した。

脚注[編集]

  1. ^ 製造番号:45982/345 登録情報 - FLY TEAM
  2. ^ a b c d e 事故詳細 - Aviation Safety Network. 2018年3月1日閲覧。
  3. ^ a b c d Tire Failure on Takeoff Sets Stage for Fatal Inflight Fire and Crash”. Flight Safety Foundation (1993年9月). 2012年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月24日閲覧。

関連項目[編集]

  • コンコルド墜落事故 - 破裂したタイヤの破片が燃料タンクに衝突した結果、火災が発生。パイロットは5km先のル・ブルジェ空港を目指したが、その前に主翼が溶け落ちて操縦不能となり、ホテルの建物に墜落。乗員乗客のほか、地上の4名を含む合わせて113名の死者を出した。
  • スイス航空306便墜落事故 - ブレーキを多用しすぎたことによりタイヤが炎上し、そのまま着陸装置を機体に収納したことで機内火災に発展。本事故と同様に墜落した。また、犠牲者の中にはスイスのフンリコン村の村民43名も含まれ、村の機能に重大な損失を被ることになった。
  • アダム航空574便墜落事故 - 2007年1月1日インドネシアで発生した航空機事故。乗務員に対する緊急事態訓練を会社側が行なっていなかった他、適切な機体整備がなされていなかったことが事故の引き金を引いた。また、本事故でのネーションエアと同じくアダム航空は安全性を軽視した利益優先による運航を行なった結果、574便の後にも事故が続発し、574便の事故から2年後に破産、運行停止になった。

映像化[編集]

出典[編集]

  • デビッド・ゲロー「航空事故」(増改訂版)イカロス出版 1997年

座標: 北緯21度38分12.8秒 東経39度10分23.5秒 / 北緯21.636889度 東経39.173194度 / 21.636889; 39.173194