コンテンツにスキップ

スパルタンX

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スパルタンX
快餐車
Wheels On Meals
監督 サモ・ハン・キンポー
脚本 エドワード・タン
ジョニー・リー
製作 レナード・K・C・ホー
製作総指揮 レイモンド・チョウ
出演者 ジャッキー・チェン
ユン・ピョウ
サモ・ハン・キンポー
音楽 キース・モリソン
撮影 ウォン・ニョクタイ
チェウン・イウジョー
配給 香港の旗 ゴールデン・ハーベスト
日本の旗 東宝東和
公開 香港の旗 1984年8月11日
日本の旗 1984年12月15日
上映時間

98分(香港公開時)[1]
108分(インターナショナル版)

109分(日本公開版)
製作国 香港の旗 イギリス領香港
言語 広東語
英語
製作費 $3,500,000
興行収入 $21,465,013 香港の旗
20億円日本の旗[1]
配給収入 11億1000万円[1][2]日本の旗
テンプレートを表示
スパルタンX
快餐車
各種表記
繁体字 快餐車
簡体字 快餐车
拼音 Kuàicān Chē
注音符号 ㄎㄨㄞˋㄘㄢㄔㄜ
発音: クァィツァン チェ゛ァ
広東語拼音 Faai③ Caan① Ce①
英文 Wheels on Meals
テンプレートを表示

スパルタンX』(スパルタンエックス、原題:快餐車、英題:Wheels on Meals)は、1984年に公開された香港映画ジャッキー・チェン主演、サモ・ハン・キンポー監督作品。

概要

[編集]

スペインバルセロナを舞台に、ワゴンカー「スパルタン号」による軽食販売で生計を立てるトーマス(ジャッキー・チェン)、デヴィッド(ユン・ピョウ)の二人と、探偵モビー(サモ・ハン・キンポー)が謎の集団に誘拐されたシルヴィア(ローラ・フォルネル)を助けだそうとするコメディ調のカンフーアクション映画である。

ジャッキーと元アメリカンキックボクシング世界王者ベニー・ユキーデの対決シーンが特に有名で、ジャッキー自身が選ぶ「ファイティング・トップ10」においてこのシーンを堂々の1位に挙げているほか、ベニーとジャッキーが再戦した「サイクロンZ」における対決を同ランキングの第5位に挙げている[3]

他のジャッキー・チェン作品と同様、現在は21世紀フォックス傘下のスターTV→フォーチュンスターメディアに著作権が移動している。

あらすじ

[編集]

スペインのバルセロナ。パン屋の2階に下宿する、カンフーの達人トーマス(ジャッキー・チェン)といとこのデヴィッド(ユン・ピョウ)は、街の公園広場に移動販売車「スパルタン号」を停めファーストフード店を営んでいた。そんな2人のもとにある日、怪しい男たちに追われる謎の美女シルヴィア(ローラ・フォルネル)が助けを求めて逃げ込んでくる。友人のヘボ探偵モビー(サモ・ハン・キンポー)の手を借り、実はシルヴィアが伯爵の娘で、彼女の遺産を狙う伯爵の弟モンデールが一味の黒幕だと知ったトーマスたち。だが度重なる激しい襲撃に、ついにシルヴィアがさらわれてしまう。3人は彼女を助けるため、最強の戦闘集団と壮絶な肉弾戦を繰り広げる。

それぞれ邸宅に乗り込むもデヴィッドは囚われの身となり、椅子に縛り付けられて晩餐会に無理やり出席させられる。トーマスはデヴィッドを救出するが、そこへモンデールの刺客たちが立ち塞がる。トーマスはアメリカン・ギャングと対決。実力では上を行かれていたが食い下がり続けたことで渾身の一撃を撃ち込む。アメリカン・ギャングは窓まで吹っ飛ばされ落下しそうになり、トーマスに命乞いをする。トーマスは負けを認めるならという条件で彼を助けた。デヴィッドはフレンチ・ギャングと対決。互いに互角の攻防を繰り広げ、接戦の末に気絶させて勝利を手にした。モビーは黒幕であるモンデール伯爵と対決。しかし上記の2人と比べると実力では劣っているため終始劣勢を強いられる。しかしトーマスとデヴィッドが駆け付け、3人の同時攻撃で伯爵を倒した。そしてモビーの決め台詞で戦いの行く末を飾った。

キャスト

[編集]
役名 俳優 日本語版1 日本語版2
トーマス ジャッキー・チェン 石丸博也
デヴィッド ユン・ピョウ 古谷徹
モビー サモ・ハン・キンポー 水島裕
シルヴィア ローラ・フォルネル 土井美加 園崎未恵
デヴィッドの父 ポール・チャン 原田一夫 牛山茂
モンデール伯爵 ペペ・サンチョ 納谷六朗 大塚芳忠
伯爵家の執事 ハーバード・エデルマン 大木民夫 野島昭生
アメリカン・ギャング ベニー・ユキーデ 大滝進矢 小山力也
フレンチ・ギャング キース・ヴィタリ 田原アルノ
マット ハーブ・エデルマン 嶋俊介 岡哲也
ディノ ジョセフ・ルイス・フォノル 小島敏彦 岩崎ひろし
患者 リチャード・ン 斎藤志郎
患者 ジョン・シャム 岡哲也

スタッフ

[編集]

制作[4]

[編集]

プロダクション

[編集]

この映画の予算は350万香港ドルで香港のプロダクションとしてはかなりの額だった。そのためサモ・ハンはこの映画を海外で撮影し通常とは異なるものにしようと考えた。

サモ・ハンがヨーロッパで映画を撮りたいとスペインの配給会社「Lauren Films」にコンタクトをとり、撮影費用の安さ、撮影許可の下りやすさから、カタルーニャでの撮影とローレンによる共同製作となった。

バイクスタント、カーアクション

[編集]

広場でのバイクのアクションシーンでは、香港からブラッキー・コーが連れてこられた。ブラッキーは誰に対しても高慢な態度で、スペインの撮影クルーとの関係がよくなかった。

車のシーンでは有名なレーシングドライバーアラン・プティが起用され危険なシーンはすべて三菱のターボで撮影された。時速140kmで橋を20m以上飛び越え箱でいっぱいのトラックに着地する、このシーンはカステルデフェルスの高速道路で撮影された。

ジャッキーは、アラン・プティの技術にとても興味を持っていた。スポーツカーとスピードマニアで可能な限り身体的危険を伴わない操縦や追跡シーンは、アランの助言を受けながらジャッキーが行った。

撮影が続けられるように三菱は技術者チームを派遣して壊れた車を修理し正常な状態に戻した。これは非常に短期間で行われ修理を行うために部品を満載したトラックを用意していたという。

三菱は3人に三菱のスポーツモデルを個人サービスとして提供した。さらに、トラックの中には専用食堂があり香港側食事班が準備を担当していた。彼らが出す料理はスペインの中華料理店とはまったく違うもので香港から毎日飛行機で送られてくるものだった。

キース・ヴィタリ

[編集]

ある日、キース・ヴィタリは彼らとの食事中に香港スタッフ側があまりにも騒がしいので「食事中は口を閉じてくれ、気が狂いそうだ!!」と注意。ジャッキーは彼を脇に連れて行き、香港では本当においしいものができるとコックを褒めるために騒ぐのだと説明した。

香港側スタッフとスペイン側スタッフ、格闘家などとの確執、ジャッキーはいつもジョークを言ってその場の空気を和ませていたという。

サモ・ハンは、冷淡にすべてを観察していた。何に対しても誰に対しても非常に厳しく、容赦のない完璧主義者で映画をよりよく仕上げるためならどんなことでもした。アクションシーンでは彼はすべてに気を配りどんな細部も見逃さずどんなショットも逃さないためにいくつものカメラを角度を変えて配置した。一方、彼の“兄弟”たちはいつも冗談を言って笑っていた。しかし、ユン・ピョウはキース・ヴィタリとは一定の距離を置いていた。

キース・ヴィタリとの格闘シーンにおいて6テイク目の蹴りがジャッキーの喉に当たり、苦しみもがいてた。これでクビになるかと思ったがクビにはならなかった。それが映画に本編に登場するショット。

ベニー・ユキーデ

[編集]

香港側と格闘家側のライバル意識は渦巻いており次第に悪化していった。ベニー・ユキーデ曰く「ある朝ジャッキーが通訳を連れてやってきて、僕と本気で戦いたいと言ってきたんだ。私は生活のために戦っていること、リングに上がったとしても自分のパンチをどれだけコントロールできるかわからないことを説明した。ジャッキーの返事は「まあ、問題ないよ」だった。スタッフ全員ジャッキーが本気だと思い巨額の賭けが行われるまでになった。

最後のファイトシーンの撮影中、ベニー・ユキーデは何度かパンチが鼻にかすり、ジャッキーは鼻血を出した。ジャッキーは撮影を続けこのショットを生かすように言った。

ジャッキーとユキーデのラストの格闘シーンは本人ら2人で考案したものだという。サモは細かな演技指導程度だったという。

警察沙汰

[編集]

ジャッキー、サモら撮影クルーは、バルセロナのアラゴン通りにある有名レストランでの飲食後に5人乗りの車の連中に絡まれジャッキーは激怒、喧嘩に発展し結果、5人組をボコボコにし警察沙汰となる。ジャッキーとサモはエンリケ・グラナドス通りの警察署で一晩中事情聴取、最終的には示談となり、相手には小切手で支払った説がある。

撮影

[編集]

ジャッキーは当初、バルセロナのコルツ・カタラネス通り668番地にあるホテル・リッツに滞在したが撮影が始まって数週間後、彼はアラゴン通り569番地にアパートを借りた。

ユン・ピョウ、ジャッキー・チェン、ローラ・フォルネルが登場するスケートボードのシーンや、その他のスタントの一部は、バルセロナの有名なシウタデラ公園(城塞公園)で撮影された。ここで記者たちがジャッキーと何度も写真撮影を行った。

ローラ・フォルネルが路地を追いかけるシーンを撮影中、息子連れの親子がみていた。その小さな男の子がジャッキーのファンで一緒に写真を撮りたがっていたものの、なかなか一緒に写真を撮ることができなかった。ようやくジャッキーが気づき撮影を一旦中断、少年と母親と一緒に写真を撮ることができた。母親の目は涙で霞んでいた。

当初の脚本ではベニー・ユキーデとサモが対決し、ユキーデに圧倒されたところにジャッキーが割って入る段取りだったがこのシーンは撮影されなかった。

この映画に参加したスペイン人エキストラによると、ジャッキーとユキーデのさまざまなテイクと多くのコンビネーションやバリエーションが撮影されたという。サモ・ハンはすべてを注意深く観察しカメラやジャッキーに具体的に指示を出したという。採用されなかったアクションシーンがたくさんあったらしい。

日本公開版

[編集]

東宝東和が配給した日本公開版は、英語音声にキース・モリソン(木森敏之)の日本オリジナル曲、及び主題歌「SPARTAN X」を編入し、エンドタイトルロールにもNGシーンが流れる独自仕様で公開された。このバージョンは初ビデオ化となった東和ビデオ・LD版にも使用されていたが、東和の権利が消滅した後、ポニーキャニオン再発売ビデオ版(及びTV放送版)から以後発売されたソフトは、主に広東語オリジナル音源の香港版が収録されるようになっていた[※ 1]

その後、2012年にパラマウントから発売されたブルーレイソフトに、日本公開版と同じ英語音声(スパイク版と同じ)と、その英語音声を元にした新録版の日本語吹き替えを収録。更に、映像特典としてEDにNGシーンが流れる日本公開版を復刻収録(東和LDからダビング収録)され、「SPARTAN X」の流れるバージョンが再び日本の正規ソフトとして発売されるに至った。

2014年には日本公開時フィルムより全編HDテレシネの“日本公開版本編”が収録されたエクストリーム・エディションが発売された。2012年版ではあくまで特典扱いだったためか復刻といいながらタイトル及びEDのみの差し替えだった日本公開版が本当の公開時のままの状態でHD収録されている。

  • SPARTAN X(作詞:Larry Johnston 作曲:キース・モリソン 歌唱:南田伝)
日本版主題歌はプロレスラー三沢光晴の入場テーマ曲として知られていた。全日本プロレス所属時代から20年近く使用し、全日本時代は原曲のまま使用していたが、2000年8月のプロレスリング・ノア旗揚げ時から2009年2月までは前奏にピアノの旋律を加えてアレンジしたものを使用し、2009年3月には新たなバージョンを使用していた。また、1980年代中盤には上田馬之助の入場テーマ曲としても使用されていた。プロ野球読売ジャイアンツではチャンステーマとして使用されており、高校野球においてもヒッティングマーチに採用する高校も存在する。

作品解説

[編集]
  • 撮影はスペインのバルセロナを中心に、ヨーロッパでのオールロケで行われ、半年の期間を要した。しかし2ヶ月間滞在してから撮影を開始したため、実質の撮影期間は4ヶ月間だった。主演のジャッキー・チェンはバルセロナに5ヶ月間滞在した[5]
  • ユン・ピョウは本作で初めてスケートボードに乗ることになり、撮影の合間に日本人コーチから指導を受けた。
  • ペペ・サンチョ扮する伯爵のフェンシング対決ではユン・ピョウがスタントを務めた。
  • カーチェイスシーンは「007」シリーズにも出演したカースタント専門のドライバーをヨーロッパ中から召集した。
  • 当初、本作の英語のタイトルは「Meals On Wheels」だったが、配給ゴールデン・ハーベストの『Megaforce(メガフォース)』と『Menage A Trios』が失敗に終わったばかりで、両作どちらもタイトルが「M」で始まっていたため、縁起を担いで"Meals"と"Wheels"を逆にして「Wheels On Meals」とした。
  • 当時のジャッキーは1980年頃から愛用しているアディダスのマジックテープ式スニーカーを履くことが多かった。この靴を含む数足を、このときも香港から持ちこんでいる。本作の撮影中、ジャッキーは20足前後の靴に囲まれて生活していたのだった[6]
  • 本作はジャッキー・チェンの作品舞台が香港を離れた海外進出第一弾の作品でもある[7]
  • 1985年の香港映画賞(Hong Kong Film Award)にて「優秀アクション振付賞」にノミネートされた[8]

ビデオゲーム版

[編集]
  • PCゲーム
    • 『ジャッキー・チェンのスパルタンX』というタイトルで、PONYCAレーベルより発売。PC-8801/8801mkII版、MSX版などが発売された。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ スパイクから発売されたDVDには、英語音声が収録されたが、元となる映像は香港版のためEDのNGシーンは無い。

出典

[編集]
  1. ^ a b c デアゴスティーニ(2014年)目次頁
  2. ^ 1985年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
  3. ^ 『I AM JACKIE CHAN―僕はジャッキー・チェン 初めて語られる香港帝王の素顔』 近代映画社
  4. ^ LOS SUPERCAMORRISTAS”. 2023年6月26日閲覧。
  5. ^ サモ・ハン・キンポーのインタビューより。
  6. ^ 「作品余話『この頃ジャッキーは…』」『ジャッキー・チェン DVDコレクション 第3号』〈デアゴスティーニ・ジャパン〉2014年4月1日、5頁。 
  7. ^ スパルタンX”. allcinema. 2020年6月13日閲覧。
  8. ^ Kuai can che (1984) Awards”. インターネット・ムービー・データベース. 2020年6月13日閲覧。

外部リンク

[編集]