ジョージ・オズボーン

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イギリスの旗イギリスの政治家
ジョージ・オズボーン
George Osborne
GeorgeOsborne2015.jpg
筆頭国務大臣
任期
2015年5月8日 – 2016年7月13日
首相 デーヴィッド・キャメロン
前任者 ウィリアム・ヘイグ
財務大臣
任期
2010年5月11日 – 2016年7月13日
首相 デーヴィッド・キャメロン
前任者 アリスター・ダーリング
後任者 フィリップ・ハモンド
影の財務大臣
任期
2005年5月5日 – 2010年5月11日
指導者 マイケル・ハワード
デーヴィッド・キャメロン
前任者 オリバー・レットウィン
後任者 アリスター・ダーリング
影の財務省主席政務官
任期
2004年6月14日 – 2005年5月5日
指導者 マイケル・ハワード
前任者 ハワード・フライト
後任者 フィリップ・ハモンド
タットン選挙区選出
庶民院議員
就任
2001年6月7日
前任者 マーティン・ベル
得票差 18,241 (40%)
個人情報
生誕 Gideon Oliver Osborne
(1971-05-23) 1971年5月23日(46歳)
ロンドン, パディントン
政党 保守党
配偶者 フランシーズ・ハウエル (1998-現在)
子供 2
出身校 オックスフォード大学モードリン・カレッジ
宗教 アングリカン
公式サイト Official website
Constituency website

ジョージ・オズボーンGeorge Osborne1971年5月23日 ‐ )は、イギリス政治家保守党所属で2001年からタットン選挙区選出の庶民院(下院)議員。2010年5月11日から2016年7月13日までデーヴィッド・キャメロン内閣の財務大臣を務めた。

オズボーンはデイリー・テレグラフに勤務し、その後保守党調査部英語版入りし、政治部部長を務めた。彼は農漁食糧相ダグラス・ホッグ特別補佐官を務め、敗北に終わった1997年の総選挙ではジョン・メージャー首相のキャンペーンチームの一員として働き、その後メージャーの後任のウィリアム・ヘイグ党首のスピーチライターおよび政治秘書を務めた。

2001年の総選挙でオズボーンはタットン選挙区から選出され、庶民院で当時最も若い議員となった。彼は2004年に保守党のリーダー、マイケル・ハワードから影の財務省主席政務官に任命された。2005年の党首選ではデーヴィッド・キャメロンを支援した。キャメロンは2010年の総選挙後にオズボーンを財務大臣に任命した。

財務大臣としてオズボーンは国債の削減を目的とする緊縮財政政策を進めた。保守党が2015年の総選挙で絶対多数を獲得した後、オズボーンは財務大臣に再任され、筆頭国務大臣にも任命された。しかしながらEU離脱国民投票とそれに伴うキャメロンの辞任に従ってオズボーンは閣僚から外れ、バックベンチに戻ることとなった。

生い立ちと教育[編集]

ジョージ・オズボーンはギデオン・オリバー[1]としてロンドンパディントンで生まれた[2]。彼は13歳の時にジョージと改名した。2005年7月のインタビューでオズボーンは「それは私の小さな反乱だった。私は決してその名を好きでは無かった。私が最後に母親にそのことを言うと、彼女は『私はそうしない』と言った。それで私は戦争の英雄だった祖父のジョージの名を付けることにした。人生はジョージとしてより安楽な物となった。それは真っ直ぐな名前だった。[1][3][4]」彼は4人兄弟の最年長であった。父親のピーター・オズボーン卿はファブリック及び壁紙デザイン会社のオズボーン&リトル社の共同設立者であった[5]。母親のフェリシティ・アレクサンドラ・ロクストン=ピーコックはアーティストのクラリース・ロクストン=ピーコックの娘であった[1][6]

オズボーンは私立学校ノーランド・プレイス・スクールコレット・コートおよびセント・ポールズ・スクールで教育を受けた[7]。1990年に彼はオックスフォード大学モードリン・カレッジで奨学金を受け、1993年に現代史で二級優等学位(2:1 upper second class honours)を得て卒業した[5][8]。学生時代に彼はブリンドン・クラブ英語版の一員であった[9]。彼はまた、ノースカロライナ州デビッドソン大学ディーン・ラスク奨学生として1学期間学んだ[10]

1993年、オズボーンはジャーナリズムの職業を続けるつもりであった。彼はタイムズ紙の選抜候補者リストに入れられたが、訓練生になることはできなかった。その後エコノミスト紙の入社試験を受けたが、ギデオン・ラチマンとの面接で不合格とされた[11]。結局彼はフリーランスとしてデイリー・テレグラフのピーターバラ・ダイアリー・コラムの仕事を引き受けることとなった[12]。しばらくして、オックスフォード時代の友人でジャーナリストのジョージ・ブリッジズがオズボーンに保守党本部で求人があることを知らせた[12]

初期の政治経歴[編集]

オズボーンは1994年に保守党調査部に加わり、政治部部長となった。彼の最初の役割の一つは、ブラックプールで1994年10月の労働党大会を観察することであった[13]

1995年から97年にかけて(BSE危機の間)彼は農漁食糧相ダグラス・ホッグの特別補佐官としてダウニング街10番地で勤務した。1997年にオズボーンはジョン・メージャー首相のキャンペーンチームで働き、深刻な敗北に直面した。選挙後彼は再びジャーナリズムへの転職を考え、タイムズ紙にアプローチしたが、何も生じなかった。

1997年から2001年にかけて彼は当時の保守党党首ウィリアム・ヘイグのスピーチライターおよび政治的秘書として働いた。この役割において彼は毎週末行われる首相質問セッションの準備を手伝い、しばしばブレア首相役を務めた。続くマイケル・ハワードデーヴィッド・キャメロン党首のときも、彼は首相質問チームのメンバーを務めた。

国会議員として[編集]

2001年6月、彼はタットン選挙区から当選した。彼は無所属マーティン・ベルに代わって議席を得た。ベルは1997年の選挙で論争の的となった保守党の元大臣ニール・ハミルトンを破って議席を得たが、2001年の選挙には出馬しないという公約を守った。オズボーンは労働党の候補に対して8,611票の差をつけて勝利した。そして、当時下院で最も若い保守党議員となった。オズボーンは2003年のイラク侵攻英語版を強力に支持した[14]。2005年の選挙で彼は11,731票(総投票数の51.8%)を得て再選され、2010年には14,487票を得た。

財務大臣[編集]

2014年、オズボーンは、いわゆるグーグル税を新設する方針を発表した[15]

実質的な外相とされた[16]。英中「黄金時代」の仕掛け人[17]

2016年7月13日、新首相テリーザ・メイによってフィリップ・ハモンドが財務大臣に任命され、オズボーンは退任となった。 オズボーンはメイ内閣をサポートするとし、メイとハモンドの幸運を祈ると述べた[18]

参照[編集]

  1. ^ a b c Charles Mosley, Burke's Peerage and Baronetage, 107th edition, volume 2, page 3030.
  2. ^ George Gideon Oliver Osborne”. 2014年11月3日閲覧。
  3. ^ Rachel Sylvester and Alice Thomson (2005年7月22日). “The future belongs to us, predicts Tory party's young star”. The Telegraph (London). http://www.telegraph.co.uk/news/uknews/1494588/The-future-belongs-to-us-predicts-Tory-partys-young-star.html 2009年8月23日閲覧。 
  4. ^ OSBORNE, Rt Hon. George (Gideon Oliver). Who's Who. 2015 (online Oxford University Press ed.). A & C Black, an imprint of Bloomsbury Publishing plc. http://www.ukwhoswho.com/view/article/oupww/whoswho/U41779.  (要購読契約)
  5. ^ a b White, Michael; Boles, Nick (2009年10月8日). “Britain's Top 10 Tories”. The Guardian (London). http://www.guardian.co.uk/politics/gallery/2009/oct/08/conservatives-toryconference-top-10?picture=353948131 2010年2月23日閲覧。 
  6. ^ Charles Mosley, editor, Burke's Peerage, Baronetage & Knightage, 107th edition, 3 volumes (Wilmington, Delaware, U.S. A.: Burke's Peerage (Genealogical Books) Ltd, 2003), volume 2, page 1989.
  7. ^ Ross, Tim (2008年11月7日). “St Paul's School in £150m rebuild”. London Evening Standard. http://www.thisislondon.co.uk/standard/article-23583566-st-pauls-school-in-150m-rebuild.do 2010年1月10日閲覧。 [リンク切れ]
  8. ^ George Osborne Visits Magdalen - Magdalen College Oxford”. 2013年4月30日閲覧。
  9. ^ Day, Elizabeth (2011年10月1日). “George Osborne and the Bullingdon club: what the chancellor saw”. The Guardian. http://www.theguardian.com/politics/2011/oct/01/george-osborne-bullingdon-club-chancellor 2015年10月25日閲覧。 
  10. ^ Jeopardy! and Other Breaking News”. Daybook Davidson - Davidson College. 2014年11月3日閲覧。
  11. ^ Kuper, Simon (2016年7月7日). “Brexit: a coup by one set of public schoolboys against another”. 2016年7月8日閲覧。
  12. ^ a b The real George Osborne” (2011年11月28日). 2016年7月8日閲覧。
  13. ^ The real George Osborne. Andy Beckett. The Guardian. 28 November 2011.
  14. ^ Mr. George Osborne (Tatton) (2003年10月22日). “Debate: Iraq (Judicial Inquiry)”. Hansard. 2013年4月22日閲覧。
  15. ^ http://www.theguardian.com/business/2014/dec/03/autumn-statement-2014-osborne-to-introduce-google-tax
  16. ^ “英メイ政権、対EU難航も 交渉役に強硬派ずらり”. (2016年7月15日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM14HAK_U6A710C1EA2000/ 2016年7月19日閲覧。 
  17. ^ “英中蜜月の仕掛け人 “次の首相”オズボーンの正体”. (2015年11月26日). http://wedge.ismedia.jp/articles/-/5637 2016年7月16日閲覧。 
  18. ^ George Osborne sacked as Chancellor and replaced by Philip Hammond as Theresa May forms her new Cabinet C. Hope, The Daily Telegraph, 13 Jul 2016

参考文献[編集]

  • Ganesh, Janan (2012). George Osborne: The Austerity Chancellor. Biteback. ISBN 978-1849542142. 

外部リンク[編集]

グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会
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