甲藤啓介
福岡ソフトバンクホークス #48 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 高知県香美市 |
生年月日 | 1983年11月12日(40歳) |
身長 体重 |
180 cm 91 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2005年 大学生・社会人ドラフト4巡目 |
初出場 | 2007年6月24日 |
年俸 | 2500万円(2012年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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甲藤 啓介(かっとう けいすけ、1983年11月12日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(投手)。
経歴
プロ入り前
高知県香美市出身。高知高校3年次に第73回選抜高等学校野球大会に出場するも、当時は福山雄(現三菱ふそう川崎)の控え投手であった。進学した近畿大学でも3年間未勝利だったが、4年次に春季リーグで4勝を挙げ頭角を現すと、さらに秋季リーグでは負けなしの5勝を挙げ、リーグMVPとベストナインを獲得する。2005年の大学・社会人ドラフトで福岡ソフトバンクホークスに4巡目で指名され、入団。
プロ入り後
1年目には登板の機会がなかったが、2007年6月24日の中日ドラゴンズ4回戦(ナゴヤドーム)の9回裏に初登板。翌2008年3月26日には千葉ロッテマリーンズ3回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)では初先発を果たした。
2010年は序盤こそ打ち込まれたものの、監督の秋山幸二が辛抱強く甲藤を起用し続けた結果、5月の中頃から安定した投球を見せ、勝ちパターンの中継ぎ投手としての地位を確立。6月7日には自己最速となる152km/hをマークし、7月27日の楽天戦では2点ビハインドの状況で7回から救援登板。その裏の攻撃で味方打線が岩隈久志を打ち込んで逆転し、プロ初勝利をあげた。これ以降も勝負どころでの起用が続いたが、9月14日の千葉ロッテマリーンズ23回戦(千葉マリンスタジアム)では、1球で危険球退場になるなど不安定な面も見せた。最終的には65試合に登板し、敗戦は1つもなくチームの7年ぶり優勝に貢献した。オフの契約更改においては、推定年俸900万円から400%アップの4500万円の提示を受け、「二度見するくらいびっくりする提示を受けて、これだけもらってもいいものかと…。もう一度考えさせてくださいということです」という理由により保留し[1]、この年の保留第一号となった。もちろん二度目の交渉においてこの条件で更改している。
2011年は、春季キャンプ中に右肘痛を発症[2]し、その影響もあり、1軍登板なしに終わった。オフの契約更改では、1軍登板無しという結果から2000万円ダウンの2500万円の提示に一発サインした。
2012年の開幕は2軍で迎えたが、4月12日に一軍登録された。
人物
この選手の人物像に関する文献や情報源が必要です。(2011年12月) |
野球を始めたきっかけとして、本来はJリーグ元年であった1993年にサッカーを始めようとしたが、当時仲の悪い友達がサッカー部に入部したため野球に目をつけたという。
近畿大学の1学年後輩である大隣憲司と仲が良く、2006年の大学・社会人ドラフトの最大の目玉であった大隣がソフトバンクへの希望枠入団を決めた理由のひとつには甲藤の存在があったとも言われている。
2010年、従来の攝津正、ブライアン・ファルケンボーグ、馬原孝浩による勝利の方程式SBMに甲藤を加え「KSBM」、またはアイドルグループAKB48を捩って「SBM48」(48は甲藤の背番号)などと呼ばれるようになり、AKB48の人気もあり、次第に後者が定着し、在福メディアでも用いられるようになった。その後、森福允彦を加えた「SBM48ちょ」やさらに金澤健人を加えた「火消シックス」とも呼ばれるようになるが、こちらは定着までに至っていない。
「SBM48」と呼ばれるようになった影響もありシーズン途中に登場曲をジャネット・ジャクソンの「All For You」からAKB48の「会いたかった」に変更している。
ビールかけの際には「目標は攝津さん」と発言している。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2007 | ソフトバンク | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 3 | 1.0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.00 |
2008 | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 88 | 18.2 | 22 | 3 | 11 | 0 | 0 | 11 | 1 | 0 | 10 | 10 | 4.82 | 1.77 | |
2009 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 28 | 6.2 | 5 | 1 | 1 | 0 | 1 | 4 | 1 | 0 | 3 | 2 | 2.70 | 0.90 | |
2010 | 65 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 15 | 1.000 | 324 | 76.0 | 66 | 3 | 23 | 3 | 9 | 74 | 1 | 0 | 29 | 25 | 2.96 | 1.17 | |
通算:4年 | 81 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 15 | .667 | 443 | 102.1 | 93 | 7 | 35 | 3 | 10 | 91 | 3 | 0 | 42 | 37 | 3.25 | 1.25 |
- 2011年度シーズン終了時
記録
- 初登板:2007年6月24日、対中日ドラゴンズ4回戦(ナゴヤドーム)、9回裏に4番手として救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、9回裏に澤井道久から
- 初先発:2008年3月26日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、6回5失点で敗戦投手
- 初ホールド:2010年4月27日、対東北楽天ゴールデンイーグルス7回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、7回表に2番手として救援登板、1回無失点
- 初勝利:2010年7月27日、対東北楽天ゴールデンイーグルス15回戦(藤崎台県営野球場)、7回表に3番手として救援登板、1回無失点[3]
背番号
- 48 (2006年 - )
登場曲
- ジャネット・ジャクソン「All For You」
- AKB48「会いたかった」(2010年7月29日より。前述のSBM48に因むもの)