生きものの記録
生きものの記録 | |
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監督 | 黒澤明 |
脚本 |
橋本忍 小國英雄 黒澤明 |
製作 | 本木荘二郎 |
製作総指揮 | 小林一三[要出典] |
出演者 |
三船敏郎 志村喬 |
音楽 | 早坂文雄 |
撮影 | 中井朝一 |
編集 | 小畑長蔵 |
配給 | 東宝 |
公開 | 1955年11月22日 |
製作国 |
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言語 | 日本語 |
『生きものの記録』(いきもののきろく)は、東宝が1955年に製作した映画。黒澤明監督。
概要
当時35歳の三船敏郎が70歳の老人を演じたことが話題となった。音楽の早坂文雄が、ビキニ環礁での水爆実験のニュースに、「こんな時代では、安心して仕事が出来ない」ともらしたことをきっかけに制作された。早坂は、この後結核で死去したので、名コンビだった黒澤と早坂が組んだ最後の作品となった。
この映画のみどころは、三船敏郎演ずる老人が日本の状況に危機感を持ち行動を起こすが、日常の生活を優先する家族に締め上げられ次第に狂っていく綿密な描写にある。
『あらかじめ分かっている問題にどうして対処しようとしないのか』というのがテーマとなっている。映画監督の大島渚は鉄棒で頭を殴られたような衝撃を受けたとしており[1]、徳川夢声は、黒澤に対して「この映画を撮ったんだから、君はもういつ死んでもいいよ」と激賞したという。また映画評論家の佐藤忠男は「黒澤作品の中でも問題作」と述べている[2]。
しかし、脚本家の橋本忍の回想によると「生きる」「七人の侍」の大ヒットに続いた作品にもかかわらず、記録的な不入りで興行失敗に終わった。その原因を、脚本作りのミスと、原爆という扱いづらいテーマを取り扱ってしまったことによる、と橋本は分析している。
それまで黒澤作品において三船と共に主役級を演じてきた志村喬は、加齢のため本作を最後に主役級を退き、以後の黒澤作品では脇役及び悪役に転じていくこととなる。
あらすじ
注意:以降の記述には物語・作品・登場人物に関するネタバレが含まれます。免責事項もお読みください。
歯科医の原田は、家庭裁判所の調停委員をしている。彼はある日、変わった事件を担当した。鋳物工場を経営している中島喜一は、核兵器の脅威から逃れるためと称してブラジルに移住を計画し、そのために全財産を投げ打とうとしていた。喜一の家族は、彼を準禁治産者とする申し立てを提出した。喜一の言葉を聞いた原田は心を動かされるが、結局は申し立てを認めるしかなかった。計画を阻まれた喜一は倒れる。夜半に意識を回復した喜一は工場に放火した。精神病院に収容された喜一を原田が見舞いに行くと、喜一は明るい顔をしていた。彼は地球を脱出して別の惑星に来たと思っていたのだった。病室の窓から太陽を見て喜一は、原田に「地球が燃えとる」と叫んだ。
キャスト
- 三船敏郎(中島喜一)
- 三好栄子(中島喜一の妻・とよ)
- 佐田豊(中島一郎(長男))
- 千石規子(一郎の妻・君江)
- 東郷晴子(山崎よし(長女))
- 清水将夫(よしの夫~山崎隆雄)
- 千秋実(中島二郎(次男))
- 青山京子(中島すえ(次女))
- 水の也清美(中島喜一の三妾~里子)
- 米村佐保子(三妾の女妙子)
- 根岸明美(中島喜一の四妾~栗林朝子)
- 上田吉二郎(朝子の父)
- 志村喬(原田)
- 太刀川洋一(須山良一)
- 東野英治郎(ブラジルの老人)
- 藤原釜足(岡本)
- 三津田健(荒木)
- 渡辺篤(石田)
- 清水元(鋳造所職長)
- 小川虎之助(堀)
- 中村伸郎(精神科医)
- 左卜全(地主)
- 土屋嘉男(鋳造所職員)
- 谷晃(留置人A)
- 高堂国典(工員の家族)
- 本間文子(〃)
- 加藤和夫(原田の息子・進)
- 宮田芳子(田宮書記)
- 大久保豊子(進の妻・澄子)
- 桜井巨郎(鋳造所職員)
- 大村千吉(留置人B)
スタッフ
- 製作:本木荘二郎
- 監督:黒澤明
- 監督助手:丸林久信
- 助監督:野長瀬三摩地、田実泰良、佐野健、中村哮夫
- 脚本:橋本忍、小国英雄、黒澤明
- 撮影:中井朝一
- 撮影助手:斉藤孝雄
- 美術:村木与四郎
- 美術助手:加藤親子
- 録音:矢野口文雄
- 照明:岸田九一郎
- 照明助手:羽田三郎
- 音楽:早坂文雄(遺作)、佐藤勝、松井八郎
- 編集:小畑長蔵
- 記録:野上照代
- 音響効果:三縄一郎
- スチール:副田正男
- 製作担当者:根津博
- 美術小道具:戸田清
- 衣裳:鈴木身幸(京都衣裳)
- 結髪:岡田さだ子
- 粧髪:山田順次郎
逸話
題名についてクレジットには「丸岡明氏の好意による」とあるが、これは先に丸岡の同題の小説があり、丸岡がクレームを付けたためである。もっとも、題名は著作権保護の対象にはならないため、丸岡の抗議に法的根拠はない。また、丸岡の小説と本作とは内容的には何の関連性もなく、タイトルが同じというだけである。