浅野哲也
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名前 | ||||||
愛称 | テツ | |||||
カタカナ | アサノ テツヤ | |||||
ラテン文字 | ASANO Tetsuya | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1967年2月23日(57歳) | |||||
出身地 | 茨城県鉾田市 | |||||
身長 | 185cm[1] | |||||
体重 | 79kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF、DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1985-1987 1987-1991 1992-1999 1994 (loan) 2000 2001 |
トヨタ蹴球団 トヨタ自動車 名古屋グランパス 浦和レッズ FC東京 川崎フロンターレ |
?(?) ?(?) 167(17) 29(2) 8(0) 8(0) | ||||
代表歴 | ||||||
1991-1994 | 日本 | 8 (1) | ||||
監督歴 | ||||||
2011 | アビスパ福岡 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2006年12月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
浅野 哲也(あさの てつや、1967年2月23日 - )は茨城県鹿島郡鉾田町(現鉾田市)出身の元サッカー選手、サッカー解説者・指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはディフェンダーまたは守備的ミッドフィールダー(ボランチ)。
来歴
1985年、茨城県立鉾田第一高等学校を卒業しトヨタ自動車に就職。当初は社内の同好会であるトヨタ蹴球団に所属し、のち1987年に社内で紹介され日本サッカーリーグのトヨタ自動車サッカー部に加入したという異色の経歴の持ち主である。1991年には横山兼三監督時代の代表にも選出された。
1993年にはトヨタ自動車サッカー部を母体として発足した名古屋グランパスエイトに所属し、Jリーグに出場。途中、1994年に導入されたレンタル移籍制度によって同年途中から浦和レッドダイヤモンズに期限付き移籍したが、翌1995年名古屋に復帰し、1999年まで在籍した。特に名古屋がアーセン・ベンゲル監督を招いた時期には、浅野は主力として重用され活躍した。またハンス・オフトおよびパウロ・ロベルト・ファルカンによっても、代表に選出された。
2000年、Jリーグ経験の長いベテランとして期待され、J1に昇格したばかりのFC東京に移籍したが、大熊清監督のもとでは途中出場が多かった。
2001年、出場機会を求めてJ2の川崎フロンターレに移籍するが、同年末に契約非継続となり引退。引退後はテレビ東京のスポーツ番組『スポーツ魂』(サッカーコメンテーター)、WOWOWやスカイパーフェクTV!のサッカー中継などで活動後、2007年に湘南ベルマーレのヘッドコーチに就任して現場に復帰。2009年には湘南ユースの監督も務めた。
2010年からはアビスパ福岡ヘッドコーチに就任し、2011年8月に篠田善之の解任を受けて監督に昇格した。目標のJ1残留を果たせず、同年限りで退任。
所属クラブ
- 鉾田町立野友小学校
- 鉾田町立鉾田南中学校
- 1982年 - 1985年 茨城県立鉾田第一高等学校
- 1985年 - 1987年 トヨタ蹴球団
- 1987年 - 1992年 トヨタ自動車
- 1992年 - 1994年途中 名古屋グランパスエイト
- 1994年 浦和レッドダイヤモンズ
- 1995年 - 1999年 名古屋グランパスエイト
- 2000年 FC東京
- 2001年 川崎フロンターレ
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1985 | トヨタ蹴球団 | - | |||||||||
1986 | - | ||||||||||
1987-88 | トヨタ | JSL1部 | 1 | 0 | 0 | 0 | |||||
1988-89 | JSL2部 | 10 | 2 | 1 | 0 | ||||||
1989-90 | 29 | 3 | 3 | 0 | - | 32 | 3 | ||||
1990-91 | 2 | JSL1部 | 22 | 6 | 2 | 0 | - | 24 | 6 | ||
1991-92 | 16 | 1 | 1 | 0 | 2 | 0 | 19 | 1 | |||
1992 | 名古屋 | - | J | - | 2 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1 | |
1993 | - | 20 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | 23 | 2 | ||
1994 | 名古屋 | - | 3 | 0 | 0 | 0 | - | 3 | 0 | ||
浦和 | - | 29 | 2 | 2 | 0 | 3 | 1 | 34 | 3 | ||
1995 | 名古屋 | - | 50 | 4 | - | 5 | 3 | 55 | 7 | ||
1996 | - | 29 | 5 | 13 | 2 | 1 | 0 | 43 | 7 | ||
1997 | 8 | 29 | 4 | 10 | 0 | 1 | 0 | 40 | 4 | ||
1998 | 23 | 2 | 1 | 0 | 4 | 0 | 28 | 2 | |||
1999 | J1 | 13 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 15 | 1 | ||
2000 | FC東京 | 6 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | |
2001 | 川崎 | 4 | J2 | 8 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 14 | 0 |
通算 | 日本 | J1 | 204 | 19 | 30 | 3 | 17 | 5 | 251 | 27 | |
日本 | J2 | 8 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 14 | 0 | ||
日本 | JSL1部 | 39 | 7 | ||||||||
日本 | JSL2部 | 39 | 5 | ||||||||
日本 | |||||||||||
総通算 |
その他の公式戦
- 1990年
- コニカカップ 4試合0得点
- 1991年
- コニカカップ 3試合1得点
- 1992年
- ゼロックス・チャンピオンズ・カップ 2試合0得点
- 1996年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
- サントリーカップ 1試合0得点
- 1997年
- サンワバンクカップ 1試合0得点
経歴
- 日本代表初出場(国際Aマッチ):1991年6月2日 対タイ戦(山形県総合運動公園)
- 日本代表初得点(国際Aマッチ):1994年5月22日 対オーストラリア戦(広島ビッグアーチ)
- 日本代表初出場:1991年4月4日 対スパルタク・モスクワ戦(国立)
- 日本代表初得点:1992年7月13日 対デン・ヘルダー・アマチュア選抜(オランダ)戦(ザイスト)
- Jリーグ初出場:1993年5月16日 対鹿島アントラーズ戦(カシマ)
- Jリーグ初得点:1993年8月4日 対ジェフユナイテッド市原戦(市原)
- JSL(1部)初出場:1987年
- JSL(1部)初得点:1991年1月26日 対NKK戦(豊田市運動公園陸上競技場)
- JSL(2部)初得点:1988/89年
代表歴
試合数
- 国際Aマッチ 8試合 1得点 (1991-1994)
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1991 | 2 | 0 |
1992 | 3 | 0 |
1993 | 0 | 0 |
1994 | 3 | 1 |
通算 | 8 | 1 |
指導歴
- 2007年-2009年 湘南ベルマーレ
- 2007年 ヘッドコーチ
- 2008年 コーチ
- 2009年 ユース 監督
- 2010年 - 2011年 アビスパ福岡
- 2010年 - 2011年8月 ヘッドコーチ
- 2011年8月 - 12月 監督
参考文献
- 『1990-1991JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1990 ISBN 4-523-31032-7
- 『1991-1992JSLイヤーブック』日本サッカーリーグ編、南雲堂、1991 ISBN 4-523-31033-5
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
- 『Jリーグオフィシャルガイド1992-1993』、小学館、1992 ISBN 4-09-102301-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・サントリーシリーズ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102303-7
- 『Jリーグオフィシャルガイド1993・ニコスシリーズ ヤマザキナビスコカップ』、小学館、1993 ISBN 4-09-102305-3
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・サントリーシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102310-X
- 『Jリーグオフィシャルガイド1994・ニコスシリーズ』、小学館、1994 ISBN 4-09-102314-2
- 『Jリーグオフィシャルガイド1995・サントリーシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102318-5
- 『Jリーグオフィシャルガイド1995・NICOSシリーズ』、小学館、1995 ISBN 4-09-102321-5
- 『Jリーグオフィシャルガイド1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102324-X
- 『Jリーグオフィシャルガイド1997』、小学館、1997 ISBN 4-09-102329-0
- 『Jリーグオフィシャルガイド1998』、小学館、1998 ISBN 4-09-102335-5
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-100-6
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2000』、トランスアート、2000 ISBN 4-88752-102-2
- 『J.LEAGUE Official Fans' Guide 2001』、トランスアート、2001 ISBN 4-88752-104-9
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2007』、コナミデジタルエンタテインメント、2007 ISBN 978-4-86155-839-9
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2008』、コナミデジタルエンタテインメント、2008 ISBN 978-4-86155-847-4
- 『J.LEAGUE OFFICIAL FANS' GUIDE 2010』、コナミデジタルエンタテインメント、2010 ISBN 978-4-86155-852-8
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1994』、小学館、1994 ISBN 4-09-102309-6
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1995』、小学館、1995 ISBN 4-09-102317-7
- 『Jリーグオフィシャルレコード&データ1996』、小学館、1996 ISBN 4-09-102323-1
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 1999』、トランスアート、1999 ISBN 4-88752-099-9
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2000』、トランスアート、2000 ISBN 4-88752-101-4
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2001』、トランスアート、2001 ISBN 4-88752-103-0
- 『J.LEAGUE YEARBOOK 2002』、NTT出版、2002 ISBN 4-7571-8117-5
- 『RED DIAMONDS OFFICIAL HANDBOOK 1994』、南雲堂、1994 ISBN 4-523-31036-X
関連項目
- 名古屋グランパスエイトの選手一覧
- 浦和レッドダイヤモンズの選手一覧
- FC東京の選手一覧
- 川崎フロンターレの選手一覧
- Jリーグ監督経験者
- 礼真琴 - 宝塚歌劇団星組男役。浅野の実子(次女)である[2]。