日本橋本町
日本橋本町 | |
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江戸橋。奥側が日本橋本町。 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 中央区 |
地域 | 日本橋地域 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
103-0023 |
市外局番 | 03 |
ナンバープレート | 品川 |
日本橋本町(にほんばしほんちょう)は、東京都中央区の町名である。現行行政地名は日本橋本町一丁目から日本橋本町四丁目。郵便番号は103-0023。
地理
旧日本橋区にあたる日本橋地域の西側に位置し、千代田区との区境にあたる。北で千代田区神田美倉町・岩本町、東で日本橋小伝馬町・日本橋大伝馬町・日本橋堀留町・日本橋小舟町・南東で日本橋小網町・南で日本橋、西で日本橋室町、北西で千代田区鍛冶町と接する。老舗の商店が数多く軒を連ねており、現在は、薬問屋が多く軒を連ねていた名残として、製薬会社の本社、支店も数多く立地する。日本橋兜町に所在する 中央警察署及び日本橋消防署の管轄区域にあたる。
河川
歴史
江戸時代には江戸本町の名称で、江戸を代表する町として名高い場所であった。徳川家康の江戸入府以前には、福田村ともまた洲崎とも呼ばれていたという。そののち1590年(天正18年)に町地として開発されて以降、寛永の頃にはすでに京・大坂より大店が進出し商業地域として大いに発展を遂げた。本町という町名は、江戸の中ではじめに造られたおおもとの町という意味である。一丁目から四丁目まであり、江戸時代には薬種問屋や呉服屋をはじめとして色々な種類の商店が多く集まった。戯作者の式亭三馬は当時の本町二丁目に住んでいて本町庵と号し、戯作を書くかたわら商売を営んでいた。三代目瀬川如皐も本町四丁目の出身である。江戸城内から、常盤橋、日本橋本町を通り、浅草橋(から浅草)に至る「本町筋」は江戸時代から明治初年まで、江戸=東京の目抜き通りであった(後にその座は直交する京橋-万世橋間の日本橋大通りに移っていく)。
1932年(昭和7年)、関東大震災後の区画整理により、本町は近隣の本石町と同様に町域を変更することになり、周辺の伊勢町、岩附町、大伝馬町、鉄砲町、本小田原町、本石町、本船町などの全部または一部を合併し、現在の本町一丁目から四丁目となっている。
史跡
交通
鉄道
道路
- 国道4号(江戸通り・昭和通り)
- 国道6号(江戸通り)
- 東京都道316号日本橋芝浦大森線(昭和通り)
- 大伝馬本町通り
- 首都高速道路・出入口
施設
- Daiichi Sankyo くすりミュージアム
- 地蔵橋公園
- 地蔵橋南東児童遊園
- アステラス製薬 本社
- アルフレッサ ヘルスケア 本社
- 小津産業 本社
- クマヒラ 本社
- 純正化学 本社
- 千寿製薬 関東第一支店・関東第二支店・東京オフィス
- 第一三共 本社
- 第一三共エスファ 本社
- 東京化成工業 本社
- 鳥居薬品 本社
- わかもと製薬 本社
- 稲畑産業 東京本社
- 岩手銀行 東京営業部
- KISCO 東京本社
- 興和 東京支社
- 水澤化学工業 本社
- 十六銀行 東京支店
- 和光純薬工業 東京本店
- 東邦亜鉛 本社
- 武田薬品不動産 本社
- 宝田恵比寿神社
- かつて存在した施設
- 中外製薬 本社
- 三共 本社
- 住友製薬 東京本社
- 山之内製薬 本社
- 藤沢薬品工業 東京本社
- ゼファーマ 本社・東京支店
- 東京田辺製薬 本社・中央営業所
- 三菱東京製薬 本社・東日本支社・中央営業所
- 三菱ウェルファーマ 東京オフィス
- 田辺三菱製薬 東京本社
参考文献
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編 『角川日本地名大辞典13 東京都』 角川書店、1978年
- 『日本歴史地名大系13 東京都の地名』 平凡社、2002年
- 岸井良衛 『江戸・町づくし稿』(上巻) 青蛙房、2003年
関連項目
外部リンク
- 中央区ホームページ
- 日本橋本石町・日本橋室町・日本橋本町地区 町名の由来 - 中央区ホームページ
- 本町[日本橋・京橋エリア] - 中央区観光協会
- 日本橋室町・日本橋本町 - 古今・お江戸日本橋 日本橋”町”物語