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新井場徹

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新井場 徹
名前
愛称 イバ
カタカナ アライバ トオル
ラテン文字 ARAIBA Toru
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1979-07-12) 1979年7月12日(44歳)
出身地 大阪府枚方市
身長 182cm
体重 74kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 鹿島アントラーズ
ポジション DF
背番号 7
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2003
2004-
日本の旗 ガンバ大阪
日本の旗 鹿島アントラーズ
140 (13)
231 0(9)
1. 国内リーグ戦に限る。2010年2月4日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

新井場 徹(あらいば とおる、1979年7月12日 - )は、大阪府枚方市出身のサッカー選手・サッカークラブ代表者。ポジションは左右のサイドバックJ1鹿島アントラーズ所属。元日本代表候補。

来歴

ガンバ大阪

ガンバ大阪ユース出身。ユース時代の同期生には稲本潤一橋本英郎らがいる。トップチーム昇格時、夢として「満員の万博を自分のプレーで沸かせたい」と語っていた(入団後の初の満員の試合は1998年5月フランスワールドカップ直前のベルマーレ平塚戦。皮肉にも当日の観衆はガンバ大阪を応援するというよりも中田英寿見たさの所謂にわかの客だったため彼のプレーに沸くことはなかった。しかもゴール裏はトラブルにより応援自粛中だった)。

2001年9月に行われたトルシエ監督時代の日本代表候補メンバー合宿に招集されているが、正式な代表メンバーに選出されるには至らず、その時は候補止まりであった。しかし、それまではドリブルを中心にサイドから切れ込んでシュートで終わるというのが彼のプレースタイルだったがこの合宿以後、トルシエから指導されたサイドを持ちあがりクロスを入れるプレーを多く見せるようになった。

鹿島アントラーズ

その後、出場機会を求め2004年鹿島アントラーズへ完全移籍。移籍問題に揺れていた2003年12月20日の天皇杯(vsセレッソ大阪)でゴールを決め、ユニフォームのガンバエンブレムに惜別のキス。ガンバに別れを告げた。

2011年のJリーグ第32節では、チームメイトの負傷のため本職ではないセンターバックをこなした[1]

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯天皇杯 期間通算
1997 G大阪 31 J 2 0 0 0 0 0 2 0
1998 17 30 0 3 0 0 0 33 0
1999 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2000 24 7 4 1 1 0 29 8
2001 29 3 4 0 3 1 36 4
2002 30 1 8 1 2 0 40 2
2003 25 2 4 1 2 1 31 4
2004 鹿島 7 28 1 7 0 3 0 38 1
2005 28 1 4 0 2 0 34 1
2006 30 2 11 0 4 0 45 2
2007 30 1 9 0 5 0 44 1
2008 30 2 2 0 2 0 34 2
2009 29 0 2 0 2 0 33 0
2010 33 1 2 0 5 0 40 1
2011 23 1 3 0 2 0 28 1
2012
通算 日本 J1 371 22 63 3 33 2 467 27
総通算 371 22 63 3 33 2 467 27
  • 1997年はユース所属

その他の公式戦

  • 2008年
  • 2009年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2010年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2011年
    • スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2008 鹿島 7 7 0
2009 4 0
2010 6 1
2011 7 0
通算 AFC 24 1

代表歴

獲得タイトル

クラブ

鹿島アントラーズ

脚注

  1. ^ 【J1:第32節 大宮 vs 鹿島】レポート:大宮の先制から始まった、残り25分の手に汗握る攻防。鹿島が土壇場で勝負強さを見せ勝点1を分け合う。(11.11.20)

関連項目

外部リンク