愛知教育大学
愛知教育大学 | |
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愛知教育大学正門 | |
大学設置 | 1949年 |
創立 | 1943年 |
学校種別 | 国立 |
設置者 | 国立大学法人愛知教育大学 |
本部所在地 | 愛知県刈谷市井ヶ谷町広沢1 |
学生数 | 3,844 |
学部 | 教育学部 |
研究科 |
教育学研究科 教育実践研究科 |
ウェブサイト | http://www.aichi-edu.ac.jp/ |
愛知教育大学(あいちきょういくだいがく、英語: Aichi University of Education)は、愛知県刈谷市井ヶ谷町広沢1に本部を置く日本の国立大学。1943年創立、1949年大学設置。大学の略称は愛教大。
概観
大学全体
1949年に愛知第一師範学校、愛知第二師範学校、愛知青年師範学校を包括して、新制大学の愛知学芸大学として設置された。1966年から現校名。
教育および研究
教員養成大学で、愛知県の幼稚園、小学校、中学校の教諭や講師はかなりの割合でこの大学の卒業生が占めている。
沿革
略歴
1943年に名古屋市に設置された愛知第一師範学校、1944年に岡崎市に設置された愛知第二師範学校、同年に安城市に設置された愛知青年師範学校の3つ師範学校を母体として、1949年に愛知学芸大学として設立した。
愛知学芸大学発足にあたっては、岡崎市に本部を設置。名古屋市に名古屋分校が、安城市に安城分校が設置された。このうち、安城分校は校地を名古屋大学農学部に譲って本部に統合された。一方、岡崎高等師範学校との統合も検討されたが、師範学校と高等師範学校の校風の違いなどから、岡崎高等師範学校は名古屋大学との統合を選択した。
両市の間では、ことあるごとに機関の誘致合戦が起こる状態だった。大学側は1965年、ついに附属学校を除く全機関を両市の中間に位置する刈谷市へ移転することを決定した。両市からは反発が大きかったが、1970年には完了した。現在、岡崎市には、附属小学校、附属中学校、附属養護学校が、名古屋市には附属小学校、附属中学校、附属幼稚園が残るのみである。ちなみに、附属高校もこの影響で、大学と敷地を共有する形で刈谷に置かれている。
刈谷市統合後、岡崎の旧本部キャンパスは大学共同利用機関法人自然科学研究機構の3研究所、旧名古屋分校キャンパスは、名古屋大学大幸キャンパスに転用された。
年表
- 1949年 新制愛知学芸大学を設立。学芸学部を設置。
- 1966年 愛知教育大学に改名。学芸学部を教育学部に。
- 1970年 愛知県刈谷市の現在地に統合。本部を移転。
- 2004年 国立大学法人 愛知教育大学発足。
教育および研究
組織
学部
- 教育学部
- 初等教育教員養成課程
- 幼児教育選修
- 教育科学選修
- 情報選修
- 国語選修
- 社会選修
- 数学選修
- 理科選修
- 音楽選修
- 美術選修
- 保健体育選修
- 家庭選修
- 英語選修
- 中等教育教員養成課程
- 教育科学専攻
- 情報専攻
- 国語・書道専攻
- 社会専攻
- 数学専攻
- 理科専攻
- 音楽専攻
- 美術専攻
- 保健体育専攻
- 技術専攻
- 家庭専攻
- 英語専攻
- 特別支援学校教員養成課程
- 養護教諭養成課程
- 現代学芸課程
- 国際文化コース
- 日本語教育コース
- 臨床福祉心理コース
- 造形文化コース
- 情報科学コース
- 自然科学コース
- 初等教育教員養成課程
大学院
- 教育学研究科(定員100名)
- 学校教育専攻
- 国語教育専攻
- 英語教育専攻
- 社会科教育専攻
- 障害児教育専攻
- 数学教育専攻
- 理科教育専攻
- 芸術教育専攻
- 保健体育専攻
- 家政教育専攻
- 技術教育専攻
- 養護教育専攻
- 学校教育臨床専攻
- 教育実践研究科(教職大学院, 定員50名)
- 教職実践基礎領域
- 教職実践応用領域
附属機関
- 附属図書館
- 保健管理センター
- 教育実践総合センター
- 障害児治療教育センター
- 教育創造センター
- 情報処理センター
- 理系機器共同利用センター
- アイソトープ実験施設
学生生活
学園祭
大学祭実行委員会により、例年5月の平日3日間と土日2日間、合計5日間にかけて開催されている。スポ祭、ミニゲーム、ステージ発表、夜祭、お笑いなどの企画がある。
子どもまつり
子どもまつり実行委員会により、例年5月と12月の土日2日間にかけてそれぞれ開催されている。主に教員を目指す本大学生と周辺地域の小学生を対象に、学生と子どもがふれあう機会を提供することを目的としている。
秋の祭典
秋祭実行委員会により、例年11月の土日2日間にかけて開催されている。スポ祭、ミニゲーム、ステージ発表、目玉などの企画がある。
大学関係者と組織
大学関係者組織
かつては、愛知第一師範学校の同窓会である「芳陵会」と、愛知第二師範学校の同窓会である「竜城会」があった。愛知学芸大学の発足に当たって、名古屋が分校になったことに芳陵会は反発。竜城会との対立を生み、刈谷市への統合後に卒業した出身教諭が大勢を占めるまで、愛知県の小中教育界はこの2つの学閥で二分される時代が続いた。
大学関係者一覧
施設
キャンパス
近くに鉄道駅がないため、通うためにはバスを使う必要がある。最寄りバス停は名鉄バスの「愛知教育大前」バス停で、刈谷駅・知立駅・富士松駅・日進駅から出ている。他の交通アクセスが不便であるため、名古屋市内在住者でも単身生活する学生も多い。豊明市、豊田市、東郷町、みよし市、知立市との境界にも近いため、これらの市の在住者は自宅から自転車やバイクで通学することもよく見られる。ちなみに車通学も可能である(1年生は原則不可)。豊明駅や富士松駅から自転車やバイクで通学する学生も少数いる。 愛知県内の高校からの進学率がかなり高く入学者の7割以上を占める。
附属学校
Wiki関係他プロジェクトリンク
- 愛知教育大対策(ウィキブックス)
公式サイト
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