岡田隆 (外交官)

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岡田 隆(おかだ たかし)は、日本外交官外務省総合外交政策局審議官内閣官房内閣審議官ジュネーブ国際機関日本政府代表部大使、サイバー政策担当大使(2015年)、在英国大使館公使を経て、2020年よりアフガニスタン駐箚特命全権大使を務めている[1][2]

人物・経歴

東京都出身。1984年東京大学教養学部卒業後キャリア外交官として外務省入省。1999年在南アフリカ共和国日本国大使館一等書記官。2001年在南アフリカ共和国日本国大使館参事官。同年外務省北米局北米第二課日米協力推進室長。2002年外務省総合外交政策局総務課企画官。2004年外務省総合外交政策局総務課外交政策調整官。2005年外務省大臣官房広報文化交流部総合計画課長[3]

2006年内閣官房内閣参事官内閣官房副長官補付) 内閣官房拉致問題対策本部事務局政策企画室長。小泉政権時、中山参与の下、日本人拉致被害者帰国に尽力。2008年外務省欧州局政策課長。2009年在タイ日本国大使館公使。2012年在ジュネーブ国際機関日本政府代表部大使。2014年外務省大臣官房審議官国会担当)。2015年外務省大臣官房審議官兼総合外交政策局(大使)、領事局。同年内閣官房内閣審議官内閣情報調査室) 、内閣官房内閣情報調査室次長。2017年在英国日本国大使館特命全権公使[3]

2020年アフガニスタン国駐箚特命全権大使[3]

カーブル陥落後の対応

2021年8月、岡田大使は日本に出張中であった。(外務省への報告.協議)14日予定を早め首都カーブル(カブール)に向かう。乗継地イスタンブールにてアシュラフ・ガニー大統領逃亡、カーブル陥落、フライトはキャンセルとなる。在アフガニスタン日本大使館はカーブル陥落当日15日に閉鎖[4]在イスタンブール総領事館内に在アフガニスタン大使館臨時事務所を設置。17日に日本人大使館員12名が英国軍機でカーブル脱出[5]

8月20日、中東訪問中の茂木敏充外相と面会して指示を受ける[6]。8月23日、岸信夫防衛大臣が邦人救出のため自衛隊派遣を命令(在アフガニスタン・イスラム共和国邦人等の輸送)。8月27日に自衛隊機による救出が遂行されたが、同機に搭乗できたのは邦人1名のみで現地人の大使館職員らが置き去りになった[7]

9月1日、在アフガニスタン日本国大使館臨時事務所をイスタンブールからターリバーン(タリバン)事務所のあるカタール・ドーハへ移転[8]

11月24日、岡田大使が陥落以降初めてカーブル入りしてターリバーン幹部と会談し、日本がカーブルの大使館を再開する可能性を示唆した[9][10]

2022年9月末、約1年1ヶ月ぶりにカーブルの大使館を再開した[11]

同期入省

出典

先代
小笠原一郎
外務省審議官(国会担当)
2014年 - 2015年
次代
三上正裕