山本拓 (政治家)
衆議院議員 山本 拓 | |
---|---|
生年月日 | 1952年7月7日(71歳) |
出身地 | 福井県鯖江市 |
出身校 | 法政大学文学部 |
学位・資格 | 文学士 |
前職 | 福井県議会議員 |
所属委員会 | 農林水産委員会 |
世襲 |
2世 父・山本治 |
選出選挙区 | 福井2区 |
当選回数 | 5回 |
所属党派 |
(自由民主党→) (自由党→) (自由改革連合→) (新進党→) (無所属→) 自由民主党(町村派→無派閥) |
党役職 | 副幹事長 |
会館部屋番号 | 衆議院第1議員会館732号室 |
ウェブサイト | 山本拓公式ホームページ |
山本 拓(やまもと たく、1952年(昭和27年)7月7日 ‐ )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(5期)。元福井県議会議員(2期)。
父は鯖江市長、福井県議会議長、自民党福井県連幹事長を歴任した山本治。父方の祖父は山本雅雄(元福井県議会議員)。妻は同じく自民党の高市早苗衆議院議員。
来歴
福井県鯖江市生まれ。福井県立武生高等学校、法政大学文学部卒業。郷里・鯖江市の鯖江青年会議所理事長を経て、福井県議会議員選挙に出馬し、2期務める。1990年(平成2年)、第39回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で福井県全県区から出馬し、当選した。
1994年(平成6年)、新井将敬、太田誠一、柿澤弘治、佐藤静雄、米田建三と山本の6人で自民党を離党し、後に結婚する保守系無所属の高市早苗を加えて自由党(柿澤自由党)を結党。羽田内閣で党首の柿澤が外務大臣に就任し、与党入りするが、日本社会党の連立離脱により羽田内閣は少数与党政権に転落し、羽田孜首相はわずか2ヶ月で退陣を表明した。その後、羽田内閣総辞職に伴う首班指名選挙で自民・社会・さきがけ3党が推す日本社会党委員長の村山富市に敗れた海部俊樹元首相を党首に自由改革連合を結成し、同年末の新進党結党に合流する。
小選挙区比例代表並立制導入に伴い、1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙では福井県第2区から新進党公認で出馬したが、自民党の牧野隆守に敗れ、落選。1997年(平成9年)1月に新進党を離党し、福井県知事選挙に無所属で出馬したが、栗田幸雄知事に大差で敗北した。2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙への出馬も見送ったが、この間に自民党に復党。2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙には自民党公認で福井2区から出馬し、当選。政界に復帰した。
2004年(平成16年)、当時は落選中だった高市早苗と結婚。高市が2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙で当選したことで、夫婦共に衆議院議員となった。山本は初当選同期の福田康夫の数少ない側近として知られるが、高市はかねてから安倍晋三のシンパを公言しており、2006年(平成18年)に発足した安倍内閣で高市は内閣府特命担当大臣(男女共同参画・少子化対策・科学技術政策・食品安全)に就任し、初入閣を果たす。山本も安倍内閣で農林水産副大臣に任命された。
2008年自由民主党総裁選挙では麻生太郎に投票したが、翌2009年(平成21年)6月、世論調査で麻生内閣の支持率が2割を切ると、麻生の自由民主党総裁としての任期が切れる9月の総裁選を、第45回衆議院議員総選挙前に前倒しして実施するよう求める署名運動を自民党内で開始(麻生おろし)。6月22日、108人の賛同者がいると発表したが、賛同者の名前は明かさなかった[1]。108人という数字について、党内には真偽を疑う声もあったが、山本は「麻生首相が「やけくそ解散」の準備を始めるなら、前倒しに必要な署名(216人分)を確保して総裁選を実現する」と発言していた[2]。所属派閥・町村派では、同派相談役の森喜朗が山本の派閥除名を要求した[3]。その後、党執行部の巻き返しにより、総裁選の前倒しの動きは頓挫する。
第45回衆議院議員総選挙では、福井2区で民主党の糸川正晃[4]を破り、5選を果たした。
2010年(平成22年)11月、翌2011年(平成23年)の第17回統一地方選挙で実施される福井県知事選挙に立候補する準備を進めていることが報じられた[5]が、最終的に出馬を見送り、自民党は西川一誠を支援した。同年町村派を離脱し無派閥となる[要出典]。
人物
- 2006年(平成18年)11月15日、国民新党の糸川正晃衆議院議員に対し「教育基本法の採決に協力したら将来的に自民党に入党させる」と持ちかけたため、同党代表の綿貫民輔、亀井久興幹事長、亀井静香代表代行から「党の存亡を揺るがすことだ」と強く抗議を受けた。
- 2009年(平成21年)2月、衆議院予算委員会で九州国立博物館の展示物の購入に関する質問を行った民主党の細野豪志に対し、再三にわたり「モナリザはいくらですか」というヤジを飛ばした。
所属団体・議員連盟
関連項目
脚注
- ^ “総裁選前倒しに賛同者が「108人に」 自民党・山本拓氏”. 産経新聞. (2009年6月22日)
- ^ “「総総分離論」自民内に浮上 麻生首相続投でも総裁選前倒し”. 日本経済新聞. (2009年6月23日)
- ^ “山本拓氏の派閥除名求める 森氏、総裁選前倒し署名で”. 47NEWS (共同通信社). (2009年7月1日) 2012年2月19日閲覧。
- ^ 衆議院解散まで国民新党に所属していたが、解散後に同党を離党し民主党に入党した。
- ^ “選挙:知事選 自民衆院議員・山本氏が出馬準備 後援会要請「前向きに検討」 /福井”. 毎日新聞. (2010年11月15日) 2010年11月22日閲覧。[リンク切れ]
外部リンク
公職 | ||
---|---|---|
先代 宮腰光寛 三浦一水 |
農林水産副大臣 国井正幸と共同 2006 - 2007 |
次代 今村雅弘 岩永浩美 |