姨捨駅
姨捨駅 | |
---|---|
駅舎 | |
おばすて Obasute | |
◄冠着 (5.9 km) (8.7 km) 稲荷山► | |
所在地 | 長野県千曲市大字八幡姨捨4947 |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
所属路線 | ■篠ノ井線 |
キロ程 | 54.2 km(塩尻起点) |
電報略号 | ステ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
71人/日(降車客含まず) -2007年- |
開業年月日 | 1900年(明治33年)11月1日 |
備考 |
無人駅(乗車駅証明書発行機 有) スイッチバック駅 標高:551.2m* |
* 駅観光案内標では海抜547m。 |
姨捨駅(おばすてえき)は、長野県千曲市大字八幡姨捨にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)篠ノ井線の駅である。
概要
標高551mの山の中腹に位置し、全国でも数少ないスイッチバック方式を擁する駅である。
当駅のホームから見下ろす善光寺平は絶景として知られ、根室本線の狩勝峠(現在はルート変更により廃止)、肥薩線の矢岳駅と共に日本三大車窓の1つに数えられる。姨捨地区からの景観は上高地や天竜峡、寝覚の床、光前寺庭園と並び長野県下にある国指定の名勝5ヶ所のうちの一つでもある。
日本経済新聞社の2007年アンケート「足を延ばして訪れて見たい駅」の全国第2位にランクされた(1位は北九州市門司港駅、3位が霧島市嘉例川駅で東京駅は4位であった)。また2008年には全国に数ある月の名所の中から当駅周辺が第1位の「お月見ポイント」に選ばれた。高知県桂浜や滋賀県石山寺(京都東山との説もある)とともに従来から日本三大名月に数えられていた。
見下ろす善光寺平は、甲越両軍が12年にわたり5たび繰り返したと伝えられる、川中島の戦いの場である。麓の武水別神社では上杉謙信が武田信玄の討滅を祈願したと伝えられる。
駅構造
相対式ホーム2面2線を有するスイッチバック方式の地上駅である。駅付近の本線は、稲荷山付近から冠着トンネルまでずっと25 ‰の上り勾配である。また、スイッチバックの引き上げ線内も奥へ向かって25 ‰の上り勾配になっていて、水平になっているのは駅の着発線付近のみである。かつては駅の着発線のさらに奥に66.7 ‰の急勾配が設置されており、ブレーキが効かずにオーバーランした車両を受け止める避難線となっていた。この線路の跡地は、姨捨変電所と駐車場になっている[1]。
本線上にホームは設置されておらず、通過列車は当駅のホームには入線しない。当駅に停車する場合、上り列車は急な上り勾配が続く本線から左側に分岐して水平に行き止まりの引き上げ線に入り、そこで進行方向を後ろ向きに変え本線を横切ってホームに入線する。発車時は再び進行方向を前向きに変え、本線へ進む。下り列車は逆に本線から左側に分岐して水平のホームに入線し、発車時は後進し本線を横切って引き上げ線に入ったのち改めて前進する。
駅舎は大正デモクラシーの時代の設計であり1934年(昭和9年)に完成したものである。木造で約100平方メートルある[2]。古くは貨物や小荷物も取り扱っていたが、1972年(昭和47年)3月に国鉄の駅としては無人駅となった。無人化後も、平成初めごろまでは構内に売店があり、委託として硬券の乗車券が販売されていた。しかし店主の引退に伴い売店が閉店となり、完全に無人駅となった。駅の管理は篠ノ井駅によって行われている。
なお、スイッチバック方式の駅として設置された目的に「蒸気機関車への給水」があったが、1970年(昭和45年)2月に蒸気機関車の運行が行われなくなったため、現在では給水設備は撤去されている。ちなみに、この区間の電化は1973年(昭和48年)3月28日であり、蒸気機関車廃止から電化までの間は気動車(ディーゼル車)による運行がされた。
2010年(平成22年)に駅舎のリニューアル工事が行われ、7月24日に記念式典が行われた。このリニューアルでは、1934年当時の様子の復元が行われ、手小荷物扱い窓口が再現され、内壁や天井、建具などの修繕が行われた。[3]さらに9月7日には2番線ホームに半径2.5mの展望台が設置された[4]。
のりば
1 | ■篠ノ井線(下り) | 篠ノ井・長野方面 |
---|---|---|
2 | ■篠ノ井線(上り) | 松本・塩尻方面 |
駅周辺
夜景100選に選ばれている長野自動車道の姨捨サービスエリアまでは当駅から直線距離約200m(徒歩だと1km)で、ほぼ同じ眺望を共有する。
駅直下には長楽寺があり境内には芭蕉来訪から約80年後に建碑のおもかげ塚など多くの歌碑や句碑、月見堂、伝説の姥岩、天然記念物となっている桂の大木がある。
棚田の周辺には小規模ながら古墳が散在する。駅南側の踏み切りを渡って左側に入った小古墳上のベンチからの景観は穴場と言える。眺望のポイントは駅からのほか、下記の地点が標高差や方位、時代背景、環境変化と共に推奨されて来た。
- 姨捨山(冠着山) - 当駅名の由来となった山。伝説では長楽寺庭の姨岩を姨捨山としてもいる。
- 姨捨棚田(田毎の月)
- 長野自動車道姨捨SA
- 姨捨山放光院長楽寺 駅から北方向約500mの下りで蕎麦店「姨捨観光会館楽月庵」あり。徒歩で約100mの下りコースもある。
- 姨捨公園
- 姨捨孝子観音(冠着神社里宮) 駅から南方向約500mの下りで蕎麦店「さらしなの里展望舘」あり。
- 国道403号沿い千曲川展望公園
上記のほかに次についても当駅が最寄である。
- 桜清水天下一名水
- 縄文遺跡さらしなの里・歴史資料館
歴史
- 1900年(明治33年)11月1日 - 国鉄篠ノ井線 篠ノ井駅 - 西条駅間の開通と同時に開業。旅客・貨物の取扱を開始。
- 1934年(昭和9年) - 駅舎改築。
- 1960年(昭和35年)6月1日 - 貨物の取扱を廃止。
- 1972年(昭和47年)3月 - 無人化。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道の駅となる。
- 2010年(平成22年)
その他
- 休日に限らず駅周辺からの写真を撮る人が多い。列車と雪景色、桜、新緑、田植、稲刈、紅葉、夜景など季節毎の景観を撮りこんでの題材が得られ人気がある。
- 近年は姨捨発着の臨時列車の設定が盛んで、平成20年5月には豊田車両センターの201系四季彩号を使用した「姨捨フォトトレイン四季彩号」、平成21年5月には高崎車両センターの旧形客車を使用した「快速ナイトビュー更科号」が設定(前年にも更科ロマン号として設定実績あり)された。いずれの列車も客扱い終了後は一旦聖高原まで回送され、定期列車を待避している。
- 松本 - 篠ノ井間で保安装置変更が行われ、従来のATS-SNからATS-P型に更新されたが姨捨駅構内はATS-SN型のまま残置され、保安装置の「P」から「S」(またはその逆)への切り替えを示す標識が駅手前の本線上や折り返し線に取り付けられている。また、その看板は2010年1月ごろから設置されていてATS-Pの使用開始までは黒いビニールのようなものがかけられ隠されていた。
隣の駅
- 東日本旅客鉄道
- ■篠ノ井線
関連項目
脚注
- ^ 小西純一「篠ノ井線の歴史と技術」『鉄道ピクトリアル』2009年1月(No.813) pp.35 - 40 電気車研究会
- ^ “棚田眺める展望台も整備 姨捨駅で姨捨駅で改装工事”. 信州Live on (2010年6月17日). 2010年8月11日閲覧。
- ^ 交通新聞2010年7月27日
- ^ JR姨捨駅に展望台新設 日本三大車窓の一つ 信濃毎日新聞
- ^ 千曲市観光協会 姨捨駅
- ^ 名月の里 さらしな・姨捨(千曲市観光協会)