唯物論

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唯物論(ゆいぶつろん、マテリアリズム、: Materialism: Materialismus)とは、 観念精神などの根底には物質があると考え、それを重視する考え方[1]

対義語は観念論(イデアリズム、: Idealism)で、精神のほうが根源的で、物質は精神の働きから派生したとみる。

概説

唯物論は、文脈に応じて様々な形をとるが、よく知られたものに以下のようなものがある。

世界の理解については、原子論と呼ばれる立場がよく知られている。これは原子などの物質的な構成要素とその要素間の相互作用によって森羅万象が説明できるとする考え方で、場合によっては、森羅万象がそのような構成要素のみから成っているとする考え方である。非物質的な存在を想定し、時にそのような存在が物質や物理現象に影響を与えるとする二元論や、物質の実在について否定したり、物質的な現象を観念の領域に付随するものとする観念論の立場と対立する。→経験論現象学も参照のこと

生物や生命の理解に関しては、生命が物質と物理的現象のみによって説明できるとする機械論があり、生気論と対立する。また、生物が神の意志や創造行為によって産み出されたとする創造論を否定し、物質から生命が誕生し、進化を経て多様な生物種へと展開したとする、いわゆる進化論の立場も、唯物論の一種と考えられることがある。例えば、ソ連の生化学者アレクサンドル・オパーリンが唱えた化学進化説はその典型である。

歴史社会の理解に関しては、科学的社会主義(=マルクス主義)の唯物史観(史的唯物論)が特によく知られている。理念や価値観、意味や感受性など精神的、文化現象が経済や科学技術など物質的な側面によって規定(決定ではないことに注意)されるとする立場をとる。また、社会の主な特徴や社会変動の主な要因が経済の形態やその変化によって規定される、とする。

唯物論の歴史

インドにおける唯物論とは一般にチャールヴァーカおよびローカーヤタ順世)を指しており、彼らの著作としては8世紀後半の『タットヴァ・ウパプラヴァ・シンハ』が残るのみであるが、他にバラモン哲学仏教ジャイナ教の諸文献に、彼らの思想内容への言及やそれに対する批判が数多く残されている[2]。それらの資料から推察するにそれは、真の実在は地・水・火・風の四元素のみだとし、身体や感覚器官なども四元素の集合に対して人為的に名称をつけたまでである、とし、知覚のみが唯一確かなpramana(認識手段)であるとし、人が目指し得る最高の目的は解脱でも天界でもなく、ただ現世における最大限の快楽に尽きる、との主張であった[2]

「唯物論」と言う呼び名は、17世紀西欧に遡る。17世紀末、ライプニッツは、すべての実体を物体的なものであるとするエピクロスにならう者たちを『materialistes』と呼び、デモクリトス主義者やホッブスの名をあげ、不敬を醸成する者たちとした。同時に、自然学において目的因を認めない機械論的哲学や原子論を敬虔にとって危険なものとした。

古代ギリシャ哲学において、レウキッポスの原子論を承けたデモクリトスは、決定論的原子論を展開した。知覚・思考を含めて万物を原子論的に説明したと伝えられている。宗教批判と快楽主義で知られるエピクロスは、経験主義的立場からデモクリトスの決定論を緩和した理論を展開した。彼らの著作は断片しか残らず、ディオゲネス・ラエルティオス著『哲学者列伝』[3]ルクレティウスの哲学詩『事物の本性について』[4]が、後世に概要を伝えた。これらの著作は、ルネッサンス期にラテン語に翻訳され、哲学に新風を吹き込むものとして西欧知識人の間で受け入れられた。

17世紀フランスの哲学者ガッサンディは、キリスト教と融和を図ったエピクロス的原子論を展開する。イギリスの哲学者ホッブスは『リヴァイアサン』を著し、生命を物体的なものとし、国家もまた人によって作られた人工的人間に過ぎないとして、政治・社会を論じ、ローマ・カトリック教会を批判した。

18世紀自然科学の進展により目的因による説明は衰退する。啓蒙時代、フランス唯物論の系譜が生れる。生理学的知見の増加を背景にして、思考などもの働きとして説明できるとするラ・メトリは、『人間機械論』[5]を著す。ディドロドルバック等は『百科全書』を企画し、教条的・キリスト教的学問体系に抗して、知識を経験主義的に関連付ける立場を採る。

19世紀ドイツの哲学者ヘーゲルは、唯心論も唯物論も共に事態の一面を見ているに過ぎないとし、感覚も類的性質を持ち生理学のみでは解けないとした。その後、ヘーゲル学派は宗教にたいする見方をめぐって分裂し、フォイエルバッハは、ヘーゲルを批判して、神性とは人類の本質の反照であるとする唯物論を展開した。フォイエルバッハの現実的人間主義の立場を受け継いだ[6]マルクスエンゲルスは、従来の人間機械論的あるいは生理学的な唯物論はその時代に制約されたものであったとして、ヘーゲルの弁証法を継承した唯物論を展開した。これを弁証法的唯物論という。 19世紀は後に「科学の世紀」と呼ばれるほどの自然科学の発達した時代であり、K・モレスコット(1871~95)、J・フォークト(1822-93)、ルートヴィヒ・ビューヒナーらは、自然科学的な知のみを体系化することによって哲学は不要になると主張するようになった。他方、弁証法的唯物論の立場をとったソビエト科学アカデミーは、モレスコットらの生理学的な唯物論は浅薄で俗流の唯物論であると結論づけた[7]

日本では、西欧思想の紹介・導入時期には、「物質学」「実質学」と訳されていた。19世紀後半、精神主義的思想の確立を図る者たちによって “唯物論” という訳語が定着される。社会主義的・共産主義的思想に随伴したものではない本格的論考は、20世紀第1次世界大戦後、私費留学生たちが帰国するようになってのち、現れるようになった。1932年結成された唯物論研究会において、戸坂潤らは物質を基底的とする唯物論を唱えた。

20世紀を通じて心の哲学で最大の影響力をもってきた学説は唯物論だった、とサールは著書で概観した[8]。唯物論では「心的状態があるとしても、それはある意味でなんらかの物理的な状態に還元できるはずだ。それ以外にない」と考える[8]。この唯物論は哲学・心理学・認知科学などの専門領域の専門家らの間では時代の宗教と言ってもいい状態である、とジョン・サールは解説した。唯物論者はなかば宗教的とも言える信仰心によって自分の正しさを信じきっているのだが、実はこれまでけっして満足ゆく説明や、他の哲学者、そして唯物論者自身に受け入れられるような説明を定式化できないでいる、その点で興味深い、とサールは指摘する[8]。というのは、世にとって本質的な心的な性質、つまり哲学的な立場がどうであれ、誰もがその存在を知っている《》的な性質を扱うことを放棄してしまっている、だがその現実に絶えず直面してしまっている、とサールは指摘した[8]

20世紀に学者の世界でまず影響力を持ったのは行動主義と呼ばれる唯物論であり、それは当初「心とは身体の行動にすぎない」と主張された[8]。つまり、心的なものを構成する身体行動の他には何も存在しない、と主張した。これには「方法論的行動主義」と「論理的行動主義」の2種類がある、とサールは指摘した[8]

方法論的行動主義は心理学上の運動で、「心理学は客観的に観察できる行動だけを研究すべきだ」と主張した[8]。この行動主義者は、入力される刺激と出力される反応(=行動)の相互関係を示す“法則”を発見することを期待していた[8]。こうした方法論的行動主義者として著名な人物としてはジョン・B・ワトソンやB・F・スキナーがいる[8]。(彼ら自身の主張はともかくとして)彼らのような主義を標準的な教科書では「方法論的行動主義」としているという[8]。この主義は数十年にわたって大きな影響力を及ぼした[8]。だが20世紀なかばには行動主義は、それ自体が方法論的な困難により行き詰まり、さらに痛烈な批判も浴び、全般的に弱体化し、結局は破棄されるに至った[8]チョムスキーなどからも痛烈に批判されたのであり、「心理学を研究するために行動を研究する」という発想は、「物理学を研究するために計測を研究する」というのと同じくらいばかげている、との指摘であり、証拠と研究対象自体を混同するのは間違っている、という批判である[8]。心理学の研究対象は人の《》であって、行動は証拠になるにしても、それ自体は心そのものではない、という指摘である[8]。こうしてこの主義は破棄された[8]

論理的行動主義はまず哲学運動として現れ、ある人物の心的状態に関する言明はその人の現実の行動や可能な行動に関する一連の言明とまったく同じ意味を持っていて、心的状態に関する言明は行動に関する言明へと翻訳できる、と主張し、その言明は行動に関する一連の仮定的な言明(たとえば「その行為者はかくかくしかじかの条件のもとではそうするだろう」とか「かくかくしかじかの条件ではそう言うだろう」といった行動に関する言明)に翻訳できるはずだ、と主張した[8]。論理的行動主義もその難点が注目の的になった[8]。ひとつの難点は、そもそも、どうしたら心に関する言明を行動に関する言明に翻訳できるのか?、という問題に多少なりともまともな説明を与えられた者が誰ひとりとしていなかったことである[8]。「 pならばq 」の前件pをどうやって特定するのか? 循環論法に陥らずにpを特定する方法があるのか? ということについて数々の難問がたちはだかったのである[8]。この主義では例えば『「雨が降るだろう」というAさんの信念は、Aさんによる雨回避行動についての言明へと還元的に分析される』と説明したが、問題なのは、諸々の行動へと還元できるのは、あくまで「Aさんは濡れたくないという欲求を抱いている」と仮定した場合に限られるということだった[8]。そこには循環論法があるように思われる、とサールは指摘する。この分析では、信念は行動だけに還元されたのではなく、実際には《行動》と《欲求》に還元されてしまっており、結局、分析が必要な心的状態《欲求》が残ってしまう[8]。同様に欲求を分析しても還元の手順によって《信念》が登場し、堂々めぐりになる[8]。二つ目の難点は、心的な状態と外的な行動のあいだには因果関係がある、という我々の誰もが認識している直観に反していることだった。行動主義は実質上、外的な行動以外に内的な経験があることを否定していたからである[8]。さらにまた、指摘された行動主義の難点は、我々の思考や感情や痛みむずがゆさまでも、「行動に等しい」とか「行動への傾向性に等しい」などと仮定するような、理にかなわないことを論理的行動主義がしていたことである[8]。痛みの感覚と痛みの感覚によっておこる行動は別ものである[8]。行動主義者になるためには(現実に反して)自分が知覚麻痺のふりをする必要があり、それはあまりに荒唐無稽なので、行動主義はしばしば人々からからかわれているという[8]

通念としての「唯物論」

マルクス主義がその理論の基盤に唯物論を置いていることもあり、ヨーロッパ(イタリアなど)やアメリカの人々の多くや、日本の伝統的な人々のなかには、「唯物論 即イコール マルクス主義」あるいは「唯物論 = 社会主義」ととらえ、唯物論="資本主義陣営の敵"、であるかのような反応を示すことが少なからずある。しかし論理的に検討すれば、唯物論とマルクス主義・社会主義は必ずしも同一ではない。「唯物論者かつ社会主義者」もいれば、「唯物論者かつ資本主義者」もおり、「唯心論の(非マルクス主義的な)社会主義者」もありうる。


出典

  1. ^ 岩波 哲学・思想事典 p.1616【唯物論】
  2. ^ a b 岩波 哲学・思想事典 p.1616【唯物論】1.インド 丸井浩執筆
  3. ^ ディオゲネス・ラエルティオス 『ギリシア哲学者列伝』岩波文庫(岩波書店) 1984年 上巻 ISBN 400336631X 1989年 中巻 ISBN 4003366328 1994年 下巻 ISBN 4003366336
  4. ^ ルクレティウス『事物の本性について』
  5. ^ ラ・メトリ 『人間機械論』 岩波書店 1957年 ISBN 4003362012
  6. ^ 中村雄二郎ほか 『思想史 第二版』 東京大学出版会、1977年、186頁。
  7. ^ 渡辺雅男「自然科学的唯物論者の物質観-ビュヒナー・モレスコットを中心に-」一橋研究2巻4号PP125-139
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z ジョン・サール『マインド ― 心の哲学 』朝日出版社、2006、ISBN 4255003254 pp.72-94

参考文献

関連項目

外部リンク

日本語

英語