吉沢やすみ
吉沢 やすみ (よしざわ やすみ) | |
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本名 | 吉沢 保己(よしざわ やすみ)[要検証 ] |
生誕 |
1950年1月8日(74歳) 山梨県 |
国籍 | 日本 |
職業 | 漫画家 |
ジャンル | ギャグ漫画 |
代表作 | 『ど根性ガエル』 |
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吉沢 やすみ(よしざわ やすみ、1950年1月8日[1] - )は、日本の男性[1]漫画家、同人作家、実業家。本名は吉沢 保己[要検証 ][1](よしざわ やすみ)。東京都練馬区石神井町に在住[2]。
略歴
山梨県出身、山梨県立日川高等学校卒業[1]、一年後輩に元全日本プロレスのジャンボ鶴田がいる。
高校時代より同人作家として活動しており、貝塚ひろしが主催する同人誌「まんがマニア」に漫画を投稿していた。高校卒業後には弟と母に向かって「絶対マンガ家になる」と発して旅立ち[3]、上京。貝塚ひろしに師事する。
1970年、貝塚の紹介で『週刊少年ジャンプ』に『ど根性ガエル』の読切(吉沢 保己名義)を投稿。編集長の長野規の目にとまり、週刊少年ジャンプ1970年17号にて漫画家デビュー。その後すぐに同タイトルの作品を連載し、後に2度のアニメ化を果たすなど当時のジャンプを支える人気作となった。
『ど根性ガエル』のヒットにより23歳で一戸建の家を建てた[4]。
その後アニメ化されて5 - 6年は4 - 5千万円稼いだが、当時の税理士のずさんな会計処理のため税務署の査察が入り1000万円以上の追徴課税を受け[2]、さらに『ど根性ガエル』で稼いだお金は数年間の失踪中のギャンブル生活ですべて失った[5]。『ど根性ガエル』以降はヒット作に恵まれず低迷が続き、プレッシャーやスランプに苦しむようになる。何度か漫画の依頼があったもののペンを持つと手が震えるようになり、その後吐き気も止まらなくなり、思うように作品が描けなくなる[6]。1982年[7]の秋から大晦日までの3か月間も精神的に追い詰められて失踪し[6]、失踪中は麻雀やパチンコなどのギャンブル生活をしており[8]、ビルの屋上から飛び降り自殺を図ろうとした[9]。その後は無職で収入ゼロになり、生計を立てるため看護師資格を持つ妻が働きに出た[2]。平成に入って完全に廃業状態になってからは(おそらく『パパとゆっちゃん』連載終了後)[9]、デパートで警備員として3年、赤羽駅で清掃員として1年半働いた[4]。
転機が訪れたのは1990年代、ドラマ『ひとつ屋根の下』で江口洋介演じる柏木達也がピョン吉のTシャツを着ていたことで『ど根性ガエル』が再び注目され始めたことである[2]。その後はピョン吉がパチンコ機やパチスロ機、大鵬薬品工業「ソルマック」のCMなどでキャラクターに起用されたり、ユニクロでTシャツが売られた[2]ことでキャラクター版権による収入が確保され、経済的に安定するようになった[2]。
現在は好きな麻雀三昧の日々を送っており[2]、2010年11月1日に行われた竹書房麻雀大会では2位を獲得した[10]。また、孫と2人でスケッチブックを持って公園に行くことを日課としており、絵を描く事に伴う精神的苦痛を徐々に克服している[6]。
この他、山梨県観光大使を務めている。
家族
看護師資格を持つ妻と、一男一女。長女は漫画家・イラストレーターの大月悠祐子(かなん)で、その夫は漫画家の大井昌和[4]。長男はレントゲン技師の吉沢康宏[6]。自宅では長男夫婦と暮らしており普段は孫の世話もしている。また、長女夫婦もすぐ近くに住んでいる[2]。
吉沢やすみ | |||||||||||||||
大月悠祐子 | 大井昌和 | ||||||||||||||
評価の声
作品一覧
連載
- ど根性ガエル:全27巻(集英社ジャンプコミックス・週刊少年ジャンプ1970年17号、1970年31号-1976年24号、別冊少年ジャンプ→月刊少年ジャンプ1974年4月号-12月号)
- 全5巻(集英社漫画文庫)
- 全2巻(集英社文庫コミック版)
- 全8巻(徳間書店わんぱっくコミックス)
- 新・ど根性ガエル(月刊少年ジャンプ1981年9月号-1982年8月号、週刊少年ジャンプ1981年増刊Dr.スランプスペシャル、月刊少年ジャンプ1982年1月10日増刊号)
- スーパーど根性ガエル(わんぱっくコミック1988年10月号-1989年1月号)
- I am 梅さん(フロムA1990年)
- 新々ど根性ガエル(コミックフィギュア王)
- 20世紀最後のど根性ガエル(月刊PC2000年12月号)
- 梅さんの独立
- ど根性ガエル2001(コミック伝説マガジン2001年No.2-No.7)
- べらんめぇホームズ(週刊少年ジャンプ1976年29号-43号)
- やっちん(週刊少年ジャンプ1977年15号-29号)
- オモチャくん(月刊少年ジャンプ1975年1月号-12月号)
- おっとこ雷太(月刊少年ジャンプ1976年1月号-12月号)
- オッス! 杉山くん(中二時代・中三時代1976年 - 1979年頃)
- 熱球ビビンバ(マンガくん1977年16号-20号)
- とびだせめだかちゃん(幼稚園1977年4月号-8月号)
- ぼくのハートちゃん(小学四年生1978年9月号-12月号[11])
- -(マイナス)3ちゃん(月刊少年ワールド)
- -(マイナス)8ちゃん(少年ジェッツ1981年10月号-)
- ポケットくん(中一時代1980年4月号-1981年6月号[12])
- うちの大将(小学二年生)
- ふしぎなガッツくん(小学五年生)
- がんばりガン子ちゃん(別冊少年ジャンプ)
- サッカーボーイけん(小学二年生1985年6月号・8月号 - 1986年1月号)
- パパとゆっちゃん(まんがタイム1991年 - 1996年)
- 海からきたパフパフ(毎日中学生新聞1991年)
読切
- とびだせクロちゃん(別冊少年サンデー1972年)
- ど根性やすみ(別冊少年ジャンプ1972年)
- どろぼう源さん(週刊少年ジャンプ1973年16号)
- 怪人ゲジゲジ魔王(週刊少年ジャンプ1974年15号)
- どすこい鬼が島(週刊少年ジャンプ1975年13号)
- スーパータヌキマン(週刊少年ジャンプ1976年10号)
- ヘンデレヘレンチョくん(週刊少年ジャンプ1977年3・4合併号)
- おれのヤドカリちゃん(週刊少年サンデー1973年)
- スター誕生(週刊少年サンデー1974年)
- にくいぜ角太郎(週刊少年サンデー)
- やすみの夏休み(週刊少年サンデー)
- イヤ〜ン! 弁慶(週刊少年サンデー1974年10号)
- 恐怖のナンデ君!!(週刊少年サンデー)
- うわさの大吉くん!(週刊少年サンデー1974年30号)
- 怪物あんちゃん(週刊少年サンデー)
- とつげき!! 次郎丸(週刊少年チャンピオン1972年)
- バリカン戦争(週刊少年チャンピオン1973年)
- ドンと鯉太郎(中学二年コース1974年)
- がんばれ!! ピエロくん(月刊少年マガジン1974年)
- わたしのクロベエ(週刊マーガレット1975年27号)
- 強打者バットくん(週刊少年ジャンプ1975年4月20日増刊号)
- 名たんていブンブンちゃん(小学五年生1976年4月号、6月号)
- 海のゴロー(テレビランド1976年)
- ぼくのハートちゃん(冒険王増刊)
- ちっちゃなちっちゃなおっきなゾウ(冒険王1977年お正月増刊)
- よいどれお酒くん(マンガくん1977年4号)
- ダックスくん(月刊少年ジャンプ1977年9月号)
- ぼくはムクムク(小学二年生1981年)
- ふわーりふわふわストーリー(月刊少年ジャンプ1981年夏期増刊)
- UFOレモン(月刊コロコロコミック1985年3月号)
- おばけ先生
描き下ろし単行本
- ペットのふしぎイヌとネコ(小学館)
師匠
関連する人物
- 吾妻ひでお(吉沢と同じく漫画家で失踪歴がある)
脚注
- ^ a b c d e まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月25日初版発行、ISBN 4-8169-1760-8、416頁
- ^ a b c d e f g h “【あの人は今こうしている】 「ど根性ガエル」吉沢やすみさん 今は「遊び人とみられて…」”. ゲンダイネット (2015年3月1日). 2015年3月19日閲覧。
- ^ a b 大月悠祐子:作 『ど根性ガエル』を生んだ父の宝物:『ど根性ガエルの娘』第4話 - 週刊アスキー
- ^ a b c “【あの人は今こうしている】 吉沢やすみさん(売れっ子漫画家だった)”. ゲンダイネット (2008年3月18日). 2009年6月10日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 大月悠祐子:作 『ど根性ガエル』を失った作家と家族の”そのあと”:『ど根性ガエルの娘』第3話 - 週刊アスキー
- ^ 大月悠祐子:作 もう1つの泣ける『ど根性ガエル』連載開始 知られざる家族の再生物語:『ど根性ガエルの娘』第1話 - 週刊アスキー
- ^ 大月悠祐子:作 話題沸騰! 『ど根性ガエル』ヒットの陰に隠された家族再生物語:『ど根性ガエルの娘』第2話 - 週刊アスキー
- ^ a b 大月悠祐子:作 『ど根性ガエルの娘』第5話:『ど根性ガエル』を描かなくなった父と、忘れられない出会い - 週刊アスキー
- ^ ど根性親子とぴょん吉争奪戦!!【VS吉沢やすみ&大井昌和先生編】 - 麻雀ウォーカー×麻雀王国 業界ニュース
- ^ 12月号は他者による代筆
- ^ 7月号以降は、ふくいかんじ筆