フィンガー5
フィンガー5 | |
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別名 |
オールブラザーズ ベイビー・ブラザーズ (※いずれも前身グループ) |
出身地 | 日本 沖縄県具志川市(現:うるま市) |
ジャンル | ポップス、アイドル歌謡曲 |
活動期間 |
1972年 - 1978年 2003年 |
レーベル |
フィリップスレコード (1973年 - 1975年) ポリドール (1976年 - 1978年) |
メンバー |
玉元光男(1972年 - 1978年、ドラムス・コーラス) 玉元正男(1972年 - 1978年、ベース・ボーカル) 玉元晃(1972年 - 1978年、ギター・メインボーカル) 玉元妙子(1972年 - 1978年、キーボード・ボーカル) 具志堅実(1975年 - 1978年) 安広司(1978年) |
旧メンバー | 玉元一夫(1972年 - 1975年、リードギター、コーラス) |
フィンガー5(フィンガーファイブ、Finger 5)は、日本の男女混合歌謡アイドルグループ。1970年代を中心に活躍。メンバーは沖縄県出身の5人の兄弟(男4女1)であり、ダンスをこなしながら歌うスタイルと、メインボーカルの四男・晃の変声期前のハイトーンボイスとその歌唱力やルックスなどで人気となり、ミリオンセラーを記録した。簡単にいえば、アメリカの黒人一家の子供を中心に形成されたバンド「ジャクソン5」のコピーバンドである。
バンドという名目ではあったが、全盛期に楽器演奏を披露する場面はほとんどなかった。解散後も時折音楽活動を行ったり、テレビ出演などをしている。
略歴
生い立ち
米国占領下の沖縄で、父親が米兵相手のAサインバーを経営していたこともあり、アメリカのロック、ポップスに触れる機会が多い環境のもと、当時小学生だった長男・一夫、次男・光男、三男・正男が「オールブラザーズ」という名でバンド活動を始める。晃は「自分と妙子は後から無理やり参加させられた」と述べている[要出典]。英語の歌詞は聞こえた音をカタカナでメモし、キーボードは紙に書いた鍵盤で練習した。
なお、このバーは後に他の経営者の手に渡ったが、少なくとも21世紀初頭までは存在し、店の写真がテレビや書籍で紹介されている。
オールブラザーズからベイビー・ブラザーズ、そしてフィンガー5へ
オールブラザーズは沖縄のテレビ番組のコンテストで優勝したのを契機にテレビ局のプロデューサーに薦められ、1969年にパスポートを手に東京へ進出、東京都東村山市に移転。上京した一家は「歩くのが早い、しゃべるのも早い、お札の色が緑(米ドル)でない」ことに驚いたという。母が自ら車を運転し、日本中の在日米軍基地を回って慰問コンサートを行いながらデビューの機会を待った。
翌1970年、ベイビー・ブラザーズと名を変え、メジャーデビューを果たす。しかし売れずに苦しい時代を過ごし、転校した学校では「売れない歌手」と悪口も言われた。妙子はそれまで着たこともない琉球王朝時代の服を着せられたりし、晃はその時期に出した曲にタイトルさえもう覚えていないものがあるという。
不遇の末に沖縄に帰る準備をしていた頃、子供向けに子供を使った歌手をデビューさせたいという企画の担当者がたまたま彼らの存在を知り、「少し出来るだけのガキだろう」と思いながらデモテープを聴いた途端、これは本物だと眼の色を変え、一家を説得、1972年に「フィンガー5」として再デビューを果たす。名付け親は母で、米国で当時大ヒットを飛ばしていた、5人兄弟で結成された同じ形態のグループ、ジャクソン5を意識したものである。
黄金時代
初めてのテレビ出演は、子供の視聴が多い土曜の夕方を狙って放映され、放映直後のテレビ局には問い合わせの電話が殺到した。翌1973年にリリースした世志凡太プロデュースによる「個人授業」がミリオンセラーとなり、一気に知名度が上がる。その後「恋のダイヤル6700」「学園天国」などをリリース、いずれもミリオンセラーとなった。テレビ・映画にも多く出演した。楽曲のテーマは学校における恋愛で一貫していた。
5人の中でも特に、年少の晃と妙子に注目が集まった。デビュー当時は11歳と10歳であり、まだあどけない姿で大人顔負けのステージをこなす姿が人気となった。また晃は特大のサングラス姿がトレードマークとなっており、それが流行にもなった。
また、芸能人は一般にマネージャーを随行するのに対し、彼らは基本的に自らの意思で活動を始めたこともあり、一夫がマネージャーを兼任し、仕事の交渉やスケジュール管理までこなしていた[1]。
だが、大人気によるハードスケジュールのため、晃が過労で病院にかつぎこまれ、入院中の写真が週刊誌に掲載されたこともある[いつ?]。その際、医者が関係者に「あなたたちは、この子を殺すつもりか」と言ったという。また晃が変声期が迎える際には、「声変わり」を防ぐためにスタッフが「女性ホルモン」の注射を強く勧めたが、本人は断った[2]。
その後
1975年、長男の一夫がマネージャーに専念するために脱退。代わりに、甥(長女の息子)の具志堅実が加入する。ハードスケジュールは限界に達し、休養も兼ねて1975年から1976年に米国に留学、レッスンをつむ。これまで芸能活動で得た収入は、この時の費用で全て使い切った。これは芸能活動に一切口を出さなかった父の「芸能界で稼いだ金など、あぶく銭だ」という考えも反映されていた。
帰国後は、長く日本を留守にしていたこと、メインボーカルの晃が変声期で従来のようなハイトーンが出せなくなったこと、彼らのやりたい音楽とファンのニーズが乖離[要出典]してヒットに結びつかないことなどから人気が急落した。後の晃の述懐によると、どうすれば売れるかは分かっていたがそれは自分たちがやりたくないことであり、割り切って自分たちのやりたいことをやろうとしたら売れなくなったという。
末期には、晃に代わり妙子をメインボーカルに据えたり、バンドとしてメンバー自らの演奏を前面に出すなどグループの方向性を変えたりしたが人気は回復せず、1978年に実質的に解散した。その後、メンバーの一部は、ザ・フィンガーズ[3]など、いくつかのバンドを結成し活動するが、大きくブレイクすることはなかった。
2003年の「The 30th Anniversary!!」では、兄弟5人揃ってのフィンガー5を再結成し、全国から大勢のファンが集まった。
メンバー
- 玉元 一夫(たまもと かずお、1955年4月8日 - A型 ) 長男。リードギター担当。コーラス。
- 玉元 光男(たまもと みつお、1957年2月3日 - O型) 次男。ドラムス担当。コーラス。
- 玉元 正男(たまもと まさお、1959年2月2日 - O型) 三男。ベース担当。ボーカル。
- 玉元 晃(たまもと あきら、1961年5月9日 - O型) 四男。ギター担当。メインボーカル。
- 玉元 妙子(たまもと たえこ、1962年6月7日 - A型) 次女。キーボード担当。ボーカル。
- 現在は専業主婦である。日出高等学校卒業。
末期には若干のメンバーの入れ替えがあるが、基本は上記の五人。末期には、下記の二人がメンバーになる。
- 具志堅 実(ぐしけん みのる、1967年1月23日 - O型)上記兄弟の甥っ子。1975年、マネージャーに専念した長男に変わってメンバー入り。
- 現在、メンバーの中で最も大柄。光男の代りにテレビ出演することが多い。
- 安 広司(やす ひろし、1960年4月29日 - A型)上記兄弟のいとこ。最後のシングル『悩ませないで』のみ参加。
ディスコグラフィー
シングル(ベイビーブラザーズ時代)
シングル(レコード)
- キディ・キディ・ラブ(1972年8月25日)
- 個人授業(1973年8月25日)
- フィンガー5とクリスマス・パーティー 聖しこの夜・聖しこの夜(1973年12月1日)
- 恋のダイヤル6700(シックスセブンオーオー)(1973年12月5日)
- 学園天国(1974年3月5日)
- 公称105万枚[5]、オリコン集計では55万枚近いセールス。1988年、小泉今日子によってカヴァーされた。また、2006年4月1日から放送のテレビアニメ「ふしぎ星の☆ふたご姫 Gyu!」のエンディングで、ワンダー☆5が同曲をカヴァー。2011年にはダンス&ボーカルユニットDream5もカヴァーしている。
- 恋のアメリカン・フットボール(1974年6月25日)
- 恋の大予言(1974年9月10日)
- フィンガー5とクリスマス・パーティー 聖しこの夜/赤鼻のトナカイ(1974年11月10日)
- 華麗なうわさ(1974年12月25日)
- フィンガー5のシングルA面では初めて妙子がメインボーカルを務めた楽曲。チャールストン風の軽快なナンバー。19世紀を思わせるステージ衣装で、特に妙子のロングドレス姿は話題になった。
- 名犬ラッシー(1975年2月5日)
- バンプ天国(1975年3月5日)
- ジャケットに、バンプを踊っている晃と妙子のイラスト(画:水島新司)が掲載。
- ぼくらのパパは空手の先生(1975年6月21日)
- 帰ってくるよ(1975年11月21日)
- ジェット・マシーン(1976年2月21日)
- 飛べ!すてきなベイビー(1976年6月1日)
- 101人ガールフレンド(1976年9月21日)
- モンローウォークのお嬢さん(1976年12月21日)
- 恋のラッキー・ストライク(1977年5月1日)
- スーパーカー ブギ(1977年7月21日)
- ぼくは眠れない(1977年11月1日)
- やきもちボーイ(1978年2月1日)
- 悩ませないで(1978年6月21日)
シングル (CD)
アルバム(レコード)
- ファーストアルバム(1973年12月5日)
- 「個人授業」とそのB面曲「恋の研究」の他、ジャクソン5やマイケル・ジャクソンらの英語曲の日本語カヴァーソングを収録。
- セカンドアルバム(1974年4月10日)
- フィンガー5・オリジナル わたしの恋人さん(1974年5月25日)
- サードアルバム(1974年10月25日)
- フォースアルバム(1975年2月5日)
- ジェット・マシーン ニュー"フィンガー5"から愛をこめて(1976年3月21日)
- フィンガー5 NOW!!(1977年12月21日)
アルバム (CD)
- THE VERY BEST OF フィンガー5(1999年4月21日)
- 個人授業(2001年7月25日
- 学園天国(2001年7月25日)
- 恋の大予言-サード・アルバム(2001年7月25日)
- 華麗なうわさ-アルバムNo.4(2001年7月25日)
- COMPLETE COLLECTION(2001年7月25日)
- 学園天国・Re Mix天国!!(2001年8月22日)
- フィンガー5コンプリートCDBOX(2003年2月8日)
- ゴールデン☆ベスト フィンガー5(2003年11月26日)
- CD&DVD THE BEST フィンガー5 [CD+DVD](2005年7月6日)
- Best & Nonstop Finger5(2012年7月25日)
テレビ
当時の出演番組
現在からふりかえる過去の特集
- 驚きももの木20世紀(フィンガー5伝説) - 驚きももの木20世紀 放送リストを参照。
- Dのゲキジョー(2006年8月4日) - 晃、妙子、正男が登場し、当時のことを振り返った。
- あの人は今!? - 定期的に出演している。
- 日めくりタイムトラベル(2007年、NHK BS2) - 「昭和48年」の回で、光男がVTR出演した。
- 売れなきゃよかった…金曜日の告白SP!大壮絶人生(2008年3月7日、フジテレビ)
映画
- 超能力だよ!全員集合(主演はザ・ドリフターズ)
- ハロー!フィンガー5(1974年) - 製作=東宝映像 / 配給=東宝
- フィンガー5の大冒険(1974年) - 製作=東映 / 監督:石森章太郎(石森家4人のカメオ出演もあり) / 特別出演:仮面ライダーV3
※『ハロー!...』は「東宝チャンピオンまつり」内で、『...大冒険』は「東映まんがまつり」内で、それぞれ上映された。同年に両まんがまつりに登場したのは彼らのみ。なお、この回の「東映まんがまつり」は、正式名が「フィンガー5と遊ぼう!東映まんがまつり」である。
CM
脚注
- ^ 『驚きももの木20世紀』で高田文夫が証言。
- ^ 『売れなきゃよかった…金曜日の告白SP!大壮絶人生』より。
- ^ 1960年代のバンド、ザ・フィンガーズとは無関係。
- ^ NHK BS2『日めくりタイムトラベル 昭和48年』より
- ^ a b c あの人NOW! “フィンガー5”三男、東京で沖縄料理店を経営!、ZAKZAK(夕刊フジ)、2012年4月13日。