ジャワ原人
ホモ・エレクトス・エレクトス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ジャワ原人の頭蓋骨の復元
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地質時代 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
更新世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
分類 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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学名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Homo erectus erectus |
ジャワ原人(ジャワげんじん)とは、ウジェーヌ・デュボワが1891年にオランダ領であったインドネシアジャワ島トリニールで発見した化石人類に対する通称である。年代は 170~180万年前ごろ[1]。
オーストラリア先住民などに進化したとする研究者もいたが、現生人類の直接の祖先はアフリカのホモ・エレクトス(ホモ・エルガステル)[2]であって、アジアにいた北京原人やジャワ原人は直接の祖先ではないとする意見が支配的である[3]。
発見の経緯
19世紀後半、ドイツの生物学者ヘッケルは、東南アジア方面で人類の進化が起こった事を主張した。ほとんどの学者は無視したが、デュボアはこの説を信じ、軍医となってインドネシアに渡って発掘を行なった[4]。その結果、1891年[5]に脳頭骨と大腿骨を発見し、Pithecanthropus erectus(ピテカントロプス・エレクトス)の学名を与えた[6]。しかし保守的な学者の多くは否定的であった[7]。1920年代になって北京原人が発見されるに及び、当時わかっていた最古の人類の一員として認められた。その後も、第二次世界大戦をはさんで何体分かの化石が発見されたが、多くは脳頭骨で、下顎などがわずかに出土したに過ぎない。だが1971年に顔面(上顔部)の大部分が残った頭骨が見つかり、ジャワ原人の特徴解明に大きな成果があった。
特徴
脳頭骨は小さく、脳容量も900cc程度[8]と推定された。対照的に眼窩上隆起は大きく、額は現代人のように丸く膨らまないで低く倒れたように傾斜するなど、原始的な特徴が多いが、大腿骨はまっすぐで長く、現代人によく似ていた。そのため、両者は別の時代に由来するのではないかと疑われた事もあった。顔面は幅広く平坦で、ヨーロッパの同時期の原人(ホモ・ハイデルベルゲンシス)は顔幅が小さいなど、はっきりとした違いが見られる。
2012年現在はヒト属に変更され、Homo erectus(ホモ・エレクトス)の亜種の一つ Homo erectus erectus(ホモ・エレクトス・エレクトス)となっている。ピテカントロプス・エレクトスはピテクス(猿)+アントロプス(ヒト)であり、直立する猿人を意味するので、かつては「直立猿人」と呼ばれた事もある。また、ホモ・エレクトスは直立するヒトを意味する。
その他
インドネシアのフローレス島で発見されたホモ・フローレシエンシス(約1万2000年前まで生息していたと推定され、小型のヒト属の新種とする説もある。)については論争が続いている。ホモ・フローレシエンシスをホモ・エレクトスの子孫とする説もある。
脚注
参考文献
- イヴ・コパン、馬場悠男,奈良貴史『ルーシーの膝 : 人類進化のシナリオ』紀伊國国屋書店、2002年。ISBN 4314009101。