AGS・JH24

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AGS・JH24
カテゴリー F1
コンストラクター AGS
デザイナー フランスの旗 クロード・ギャロパン
先代 AGS・JH23
後継 AGS・JH25
主要諸元
シャシー カーボンファイバー/ケブラー モノコック
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン, コイルスプリング, プッシュロッド
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン, コイルスプリング, プッシュロッド
エンジン フォード-コスワース DFR, 3.5リッター, 600ps, V8 (90°), NA, ミッドエンジン, 縦置き
トランスミッション AGS L, 6速, MT
重量 500 kg (1,100 lb)
燃料 エルフ
タイヤ グッドイヤー
主要成績
チーム Automobiles Gonfaronnaises Sportives
ドライバー イタリアの旗 ガブリエル・タルキーニ
フランスの旗 ヤニック・ダルマス
初戦 フランスの旗 1989年フランスグランプリ
出走優勝ポールFラップ
1 (11)000
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AGS・JH24は、AGSチームが1989年のF1世界選手権用に製作したフォーミュラ1カー。JH24は失敗作であった。全てのレースで予選落ちした。

背景

1988年から89年にかけてAGSは深刻な変化に見舞われた。1988年の終わりに創設者アンリ・ジュリアンはチームを新たな組織構造を導入しようとした起業家シリル・ド・ルーブルに売却した。その数ヶ月前にAGSは長年のデザイナー、クリスチャン・バンダープレインを失っていた。バンダープレインは1970年以来チームの全てのレーシングカーを設計し、1988年の晩夏にコローニに移籍していた。彼の後任としてクロード・ギャロパンが新たな車の設計を担当したが、それはチームの所有権変更まで行われなかった。結果として車の完成は1989年の夏まで延期された。チームは昨年のモデルJH23Bで1989年シーズンの前半を戦わなければならなかった。

開発

JH24はクロード・ギャロパンによる設計だった。モノコックは再設計され、炭素繊維強化プラスチック製でより剛性が高められた[1]。車体はコンパクトに設計され、ホイールベースは2,794mmと1989年のF1マシン中最短であった[2]。エンジンは以前のモデルよりも2.5cm低く造られ、この特性は重量配分およびハンドリングに利点となった。サスペンションは当初JH23Bと変わらないものが採用された[3]。これは1989年の冬から90年にかけてギャロパンが設計したものだが、1990年シーズンの序盤2戦に使用された後、JH25に引き継がれた[1]。 JH24のボディは完全に再設計された。尖ったノーズと非常に低いコクピットを持ち、新たな特徴としてドライバーの頭上に空気取り入れ口を持つエンジンカバーが採用された。エンジンは前作でも採用されたハイニ・マーダーチューンのコスワースDFRで、トランスミッションは6速、これは1989年6月に完成してカナダグランプリのJH23Bにてデビューしたものであった[4]。 JH24は技術的に未熟だった。冷却システムは容量不足で[5]、1989年シーズンのほぼ全てのレースでエンジン冷却に問題があり、またブレーキも「重大な欠点」を有していた[6]

JH24は3台が製作され、シャシーナンバーは037、038、039であった。最初のシャシーはイギリスグランプリ前に完成しガブリエル・タルキーニがドライブした。2台目の完成は9月のベルギーグランプリまで遅れ、3台目は秋に製作された。

レース戦績

1989

1989年シーズンはフィリップ・ストレイフヨアヒム・ヴィンケルホックの2台体制であったが、ストレイフは2戦目からガブリエル・タルキーニと交代、ヴィンケルホックも8戦目からヤニック・ダルマスと交代した。 問題は、参加台数の増加により予備予選が行われ、AGSは前半戦1台がその対象であったことである。タルキーニはその対象ではなかったものの、AGSは前半戦を時代遅れのJH23Bで戦わなければならず、成績不振のため後半戦は2台とも予備予選の対象に降格した[7]

JH24は7月に完成し、第8戦のイギリスグランプリでタルキーニによってデビューしたが、予選落ちしている。AGSはJH24の問題をシーズン中に解決することはできなかった。限られた予算の中でテストはほとんど行うことができず、車は即実戦投入されたものの、ドライバー両名は全戦予備予選落ちすることとなった。

1990

1990年シーズンもタルキーニとダルマスの2台体制であったが、序盤2戦をJH24のサスペンションを改良したJH24Bで戦った。タルキーニは2戦とも予備予選落ちしたが、ダルマスはブラジルグランプリで予選を通過、ポールポジションアイルトン・セナから3.8秒遅れのタイムで決勝進出した。決勝では28ラップ目にサスペンショントラブルでリタイアした。 このレースの後、JH24はミッシェル・コスタの設計したJH25によって代わられた。

F1における全成績

(key) (太字ポールポジション

シャシー エンジン タイヤ No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位
1989年 JH24 フォード-コスワース
DFR, V8, 3.5
G BRA
ブラジルの旗
SMR
サンマリノの旗
MON
モナコの旗
MEX
メキシコの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
CAN
カナダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
ESP
スペインの旗
JPN
日本の旗
AUS
オーストラリアの旗
1[8] 15
40 イタリアの旗 ガブリエル・タルキーニ DNQ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ
41 フランスの旗 ヤニック・ダルマス DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ
1990年 JH24 フォード-コスワース
DFR, V8, 3.5
G USA
アメリカ合衆国の旗
BRA
ブラジルの旗
SMR
サンマリノの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
MEX
メキシコの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
ESP
スペインの旗
JPN
日本の旗
AUS
オーストラリアの旗
0 NC
17 イタリアの旗 ガブリエル・タルキーニ DNPQ DNPQ
18 フランスの旗 ヤニック・ダルマス DNPQ Ret

その後

3台製作されたJH24の内2台は1990年代にAGSレーシングスクールで使用された。ここでは代金を支払うことでフォーミュラカーの走行を体験することができる[9]。ウェブサイトの情報では2012年に5台のJH24を所有しているとしている[10]

参考文献

  • Kevin Blick: Damon for a day. Top Gear, Heft 8/1998, S. 110 ff.(ドイツ語)
  • Adriano Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports, Stuttgart 1997, ISBN 3-613-01848-9.(ドイツ語)
  • Allan Henry: auto course, Jahrbuch 1988–1989. ISBN 2-85120-308-8.(ドイツ語)
  • David Hodges: A–Z of Grand Prix Cars 1906–2001, 2001 (Crowood Press), ISBN 1-86126-339-2.(英語)
  • David Hodges: Rennwagen von A–Z nach 1945, Stuttgart 1993, ISBN 3-613-01477-7.(ドイツ語)
  • Pierre Ménard: La Grande Encyclopédie de la Formule 1, 2. Auflage, St. Sulpice, 2000, ISBN 2-940125-45-7.(フランス語)

参照

  1. ^ a b Hodges: A-Z of Grand Prix Cars 1906-2001, S. 8.
  2. ^ Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports, S. 409.
  3. ^ Hodges: Rennwagen von A-Z nach 1945, S. 9.
  4. ^ Motorsport Aktuell, Heft 23/1989, S. 24.
  5. ^ Motorsport Aktuell, Heft 39/1989, S. 8.
  6. ^ Ménard: La Grande Encyclopédie de la Formule 1, S: 105 („graves déficiences“).
  7. ^ ガブリエル・タルキーニは第4戦メキシコGPでポイント1を獲得したが、ミナルディは第8戦イギリスGPで3ポイントを獲得し、AGSを上回って予選組に昇格した。
  8. ^ JH23Bによるポイントを含む。
  9. ^ Top Gear, Heft 8/1998, S. 110 ff.
  10. ^ s. Internetseite www.agsformule1.com (abgerufen am 19. Januar 2012).

外部リンク