1908年アメリカ合衆国大統領選挙
1908年アメリカ合衆国大統領選挙(1908ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英:United States presidential election, 1908)は、1908年11月3日に投票が行われた。人気があった現職大統領セオドア・ルーズベルトは、3期目を求めないという約束を守り、その親友で陸軍長官であるウィリアム・タフトを後継者として指名することで共和党を説得した。民主党は、1904年の選挙で保守的な候補者を立てて大敗したこともあり、1896年と1900年の2回大統領候補となり、2回ともウィリアム・マッキンリーに敗れていたウィリアム・ジェニングス・ブライアンの指名に転換した。ブライアンは2回敗れていても、民主党の進歩派や人民主義派の間に頗る人気を保っていた。ブライアンは全国の実業家特権階級に対する活発な選挙運動を行ったが、3回の大統領選挙の中では最悪の結果となり、タフトが十分な差を付けて勝利した。
候補者の指名
共和党の指名
共和党の指名候補者
- ジョーゼフ・キャノン、アメリカ合衆国下院議長、イリノイ州出身
- チャールズ・W・フェアバンクス、現職副大統領、インディアナ州出身
- ジョーゼフ・B・フォラカー、オハイオ州選出アメリカ合衆国上院議員
- チャールズ・エヴァンズ・ヒューズ、ニューヨーク州知事
- フィランダー・C・ノックス、ペンシルベニア州選出アメリカ合衆国上院議員
- ロバート・M・ラフォレット・シニア、ウィスコンシン州選出アメリカ合衆国上院議員
- レスリー・ショウ、元財務長官、アイオワ州出身
- ウィリアム・タフト、陸軍長官、オハイオ州出身
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下院議長、ジョーゼフ・キャノン、イリノイ州出身
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副大統領、チャールズ・W・フェアバンクス、インディアナ州出身
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上院議員、ジョーゼフ・B・フォラカー、オハイオ州出身
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ニューヨーク州知事チャールズ・エヴァンズ・ヒューズ
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上院議員、フィランダー・C・ノックス、ペンシルベニア州出身
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上院議員、ロバート・M・ラフォレット・シニア、ウィスコンシン州出身
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元財務長官、レスリー・ショウ、アイオワ州出身
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陸軍長官、ウィリアム・タフト 、オハイオ州出身
1908年共和党全国大会はシカゴで、6月16日から19日まで開催された。著名な指名候補としては、下院議長ジョーゼフ・キャノン、ニューヨーク州知事チャールズ・エヴァンズ・ヒューズ、元財務長官レスリー・ショウおよび上院議員ロバート・M・ラフォレット・シニアがいたが、陸軍長官ウィリアム・タフトが現職大統領セオドア・ルーズベルトの推薦を受けて大統領候補になった。ニューヨーク州選出下院議員ジェームズ・S・シャーマンが副大統領候補の指名を受けた。
副大統領候補指名投票 | |
ジェームズ・S・シャーマン | 702 |
---|---|
エドワード・F・マーフィー | 77 |
カーティス・ギルド | 75 |
ジョージ・L・シェルドン | 10 |
チャールズ・W・フェアバンクス | 1 |
民主党の指名
民主党の指名候補者
- ウィリアム・ジェニングス・ブライアン、1896年と1900年の民主党大統領候補、ネブラスカ州出身
- ジョージ・グレイ、元デラウェアア州選出アメリカ合衆国上院議員
- ジョン・アルバート・ジョンソン、ミネソタ州知事
-
元大統領候補、ウィリアム・ジェニングス・ブライアン、ネブラスカ州出身
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元上院議員、ジョージ・グレイ、デラウェアア州出身
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ミネソタ州知事、ジョン・アルバート・ジョンソン
1908年民主党全国大会はコロラド州デンバーで、7月7日から10日まで開催された。ミネソタ州知事ジョン・アルバート・ジョンソンの挑戦もあったが、過去2回候補者になったウィリアム・ジェニングス・ブライアンが直ぐに党の圧倒的支持を得た。
一般選挙
選挙運動
ブライアンは銀の自由鋳造問題がもはや有力ではなくなったので、「特権による政府」を攻撃するリベラルな綱領で選挙戦に臨んだ。その選挙スローガン「人民は支配するか?」が多くのポスターや選挙道具に表示された。しかし、タフトはブライアンの進歩主義者的概念の幾つかを受け入れて、そのリベラルな支持者を切り崩し、ルーズベルトの進歩的政策が両党の違いを不鮮明にした。共和党も「今回はタフトに投票しよう、ブライアンへの投票はいつでもできる」をスローガンにし、ブライアンが過去2回の大統領選挙で敗北したことを皮肉った。実業家は共和党の支持を継続し、ブライアンは労働者の支持を確保できなかった。この結果、ブライアンは3度の一般選挙の中でも最悪の結果で終わり、北部州のほとんど全てをタフトにさらわれ、一般投票の得票率では8%の差を付けられた。このことでブライアンが大統領選挙に出るのは最後となった。しかし、民主党の中では人気ある存在であり続け、1912年にはウッドロウ・ウィルソンを大統領候補に指名するときに重要な役割を演じた。
結果
オクラホマ州が1年前に州昇格を果たしたので、46州が参加した。
大統領選の結果 | ||||||
大統領候補者 出身州 |
党 | 得票数 | 得票率 | 選挙人得票数 | 副大統領候補者 出身州 |
選挙人得票数 |
ウィリアム・タフト オハイオ州 |
共和党 | 7,678,395 | 51.6% | 321 | ジェームズ・S・シャーマン ニューヨーク州 |
321 |
ウィリアム・ジェニングス・ブライアン ネブラスカ州 |
民主党 | 6,408,984 | 43.0% | 162 | ジョン・W・カーン インディアナ州 |
162 |
ユージーン・デブス インディアナ州 |
アメリカ社会党 | 420,793 | 2.8% | 0 | ベンジャミン・ハンフォード ニューヨーク州 |
0 |
ユージン・W・チャフィン イリノイ州 |
禁酒党 | 254,087 | 1.7% | 0 | アーロン・S・ワトキンス オハイオ州 |
0 |
トマス・L・ヒスゲン マサチューセッツ州 |
独立党 | 82,571 | 0.6% | 0 | ジョン・T・グレイブス ジョージア州 |
0 |
トマス・E・ワトソン ジョージア州 |
人民党 | 28,822 | 0.2% | 0 | サミュエル・ウィリアムズ インディアナ州 |
0 |
その他 | - | 15,550 | 0.1% | 0 | - | 0 |
合計 | 14,889,261 | 100% | 483 | - | 483 | |
選出必要数 | 242 | - | 242 |
参考文献
- Daniels, Josephus (July?December 1908). “Mr. Bryan's Third Campaign”. Review of Reviews 38: 423?31 .
外部リンク
- 1908 popular vote by counties
- The Republican Campaign Textbook 1908
- How close was the 1908 election? - Michael Sheppard, Michigan State University
- 一般選挙に関する出典:[1]. [2]. (2005年7月27日).
- 選挙人選挙に関する出典:[3](2005年7月31日)