1904年アメリカ合衆国大統領選挙

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選挙結果の図。赤色がルーズベルトとフェアバンクス、青色がパーカーとデイビス、が勝利した州を示す。数字は各州の選挙人数。

1904年アメリカ合衆国大統領選挙(1904ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英:United States presidential election, 1904)は、1904年11月8日に投票が行われた。ウィリアム・マッキンリー暗殺の後を受けた共和党現職の大統領セオドア・ルーズベルトが容易に自身では初めての当選を果たし、任期途中で大統領職を継いだ者として次期にも選ばれた最初の例となった。

候補者の指名[編集]

共和党の指名[編集]

共和党の指名候補者


セオドア・ルーズベルトは共和党の重鎮の中では特に人気があるわけではなく、1903年初めにまだ若い現職に対してマーク・ハンナを候補に立てる打ち合わせがあったが、この話も長くは続かなかった。ハンナの支持者は1903年6月のオハイオ州党員集会で数で負けており、ルーズベルトは1年も前に候補者として是認された。続いてハンナは自ら出馬しないことを宣言した。こうして全く反対も無いままに(ハンナは1904年早くに死んだ)、ルーズベルトはシカゴで開催された党大会で満場一致で大統領候補に指名された。保守派のインディアナ州選出アメリカ合衆国上院議員チャールズ・W・フェアバンクスが副大統領候補に指名された。

党大会での投票結果
大統領候補指名投票 副大統領候補指名投票
セオドア・ルーズベルト 994 チャールズ・W・フェアバンクス 994

民主党の指名[編集]

民主党の指名候補者

ルーズベルトの人気はその頂点にあり、1896年1900年民主党候補者ウィリアム・ジェニングス・ブライアンは今回は出馬しないことに決めたので、民主党の指名争いは1872年以来となる本命のいない、価値の無いものと考えられるものになった。元大統領のグロバー・クリーブランドも引退した身からの再出馬を拒み、ミズーリ州セントルイスで開催された民主党大会は険悪で抑圧された雰囲気にあった。本気で指名を望んだ候補者はウィリアム・ランドルフ・ハーストだけだったが、代議員達は無名でニューヨーク州控訴裁判所判事のブルボン民主党員アルトン・パーカーを選び、パーカーは党の綱領に金本位制の堅持を入れることを要求しそれが受け入れられた後で、候補指名を受諾した。ウエストバージニア州の81歳で百万長者の工業実業家ヘンリー・デイビスが副大統領候補に指名された。デイビスは表向き自分の資産で選挙費用を賄うとされた。実際の選挙運動期間、デイビスは185,000ドル(2002年の価値で370万ドル)を献じ、これは大変少ない選挙資金の3分の1以上だった。

党大会での投票結果
大統領候補指名投票 副大統領候補指名投票
アルトン・パーカー 679 ヘンリー・デイビス 654
ウィリアム・ランドルフ・ハースト 181 ジェイムズ・ウィリアムズ 165
フランシス・コックレル 42 ジョージ・ターナー 100
リチャード・オルニー 38 ウィリアム・ハリス 58
エドワード・ウォール 27
ジョージ・グレイ 12
ジョン・ウィリアムズ 8
ロバート・パッティソン 4
ジョージ・マクレラン・ジュニア 3
ネルソン・マイルズ 3
アーサー・ピュー・ゴーマン 2
チャールズ・タウン 2
バード・シム・コーラー 1

出典: Keating Holland, "All the Votes... Really," CNN [1]

社会党の指名[編集]

アメリカ社会党ユージン・V・デブスとベン・ハンフォードの選挙ポスター

社会党の指名候補者

1904年の選挙はアメリカ社会党が初めて参加したものだった。アメリカ社会党は工業都市に地盤を置く地方政党の高度の党派連衡であり、通常はドイツ人やフィンランド人など少数民族社会に根を下ろしていた。以前の人民党の支持基盤である西部の田舎や鉱業地域にも支持者がいた。著名な社会主義者ユージン・V・デブスが大統領候補に、ベン・ハンフォードが副大統領候補に指名された。

一般選挙[編集]

選挙運動[編集]

精彩を欠いたパーカー判事は全国的に人気のあるルーズベルトに対してほとんど対抗できなかった。ルーズベルトは既に 大企業の規制強化や自然環境の保護、パナマの「獲得」は言うまでも無く、ノーザン証券訴訟、フィリピンの征服、ベネズエラ問題、等々枚挙にいとまがない事項で、人気のある改革者としての立場を勝ち得ていた。全国的にルーズベルトの選挙運動を喝采する中で、「ペルデカリを生かせ、ライスリを殺せ」というけたたましい声が上がっていた。パーカーが勝つためにやれることはほとんど無かった。

パーカーにとって一条の光と言えば、ジョーゼフ・ピューリツァーの「ニューヨーク・ワールド」紙が企業局の汚職とされるものについて全面記事を載せたことだった。ルーズベルトはある支払が行われたことを認めたが、いかなる「恐喝」も否定した。ルーズベルトは人気があったのでこの問題も尾を引かず、パーカーは南部州のみを制することとなり、カリスマ的ルーズベルトは、1872年以来となる大勝を得た。

結果[編集]

ルーズベルトは北部と西部の州を制して地滑り的勝利を得た。ミズーリ州も制することでソリッドサウスにも浸透を果たした。

大統領選の結果
大統領候補者
出身州 
党   得票数 得票率 選挙人得票数 副大統領候補者
出身州
選挙人得票数 
セオドア・ルーズベルト
ニューヨーク州
共和党 7,630,457 56.4% 336 チャールズ・W・フェアバンクス
インディアナ州
336
アルトン・パーカー
ニューヨーク州
民主党 5,083,880 37.6% 140 ヘンリー・デイビス
ウエストバージニア州
140
ユージーン・デブス
インディアナ州
アメリカ社会党 402,810 3.0% 0 ベンジャミン・ハンフォード
ニューヨーク州
0
サイラス・スウォロー
ペンシルベニア州
禁酒党 259,102 1.9% 0 ジョージ・キャロル
テキサス州
0
トマス・ワトソン
ジョージア州
人民党 114,070 0.8% 0 トマス・ティブルス
ネブラスカ州
0
チャールズ・コレガン
ニューヨーク州
社会主義労働者党 33,454 0.2% 0 ウィリアム・コックス
イリノイ州
0
その他 - 1,229 0.0% 0 - 0
合計 13,525,002 100% 476 - 476
選出必要数 239 - 239

参考文献[編集]

書籍
  • Blum, John Morton (1954). The Republican Roosevelt. 
    • Series of essays that examine how Roosevelt did politics
  • Gould, Lewis L. (1991). The Presidency of Theodore Roosevelt. 
  • Harbaugh, William Henry (1963). The Life and Times of Theodore Roosevelt. 
  • Morris, Edmund (2001). Theodore Rex. 
    • Biography of Roosevelt during the years 1901–1909
ウェブ
  • 一般選挙に関する出典:[2]. [3]. (2005年7月27日).
  • 選挙人選挙に関する出典:[4](2005年7月31日)