1800年アメリカ合衆国大統領選挙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
選挙結果の図。数字は各州の選挙人数。緑がジェファーソン、赤がアダムズが獲得した州を示す。

1800年アメリカ合衆国大統領選挙(1800ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英:United States presidential election, 1800)は、時として「1800年の革命」とも呼ばれ、トーマス・ジェファーソンジョン・アダムズを破った選挙である。この結果で民主共和党が支配する時代となり、連邦党の時代は終わりを告げた。

この選挙はアメリカ合衆国憲法に元々あった欠陥を露呈した。選挙人団になった人々は大統領にのみ投票した。副大統領はこの選挙で次点となった者とされていた。民主共和党はジェファーソンに対する投票は計画通りだったが、アーロン・バーのことは考えておらず、これが手抜かりとなり、ジェファーソンとバーの投票結果が同点になった。選挙の行方は連邦党の優勢な下院の手に握られることになった。連邦党員の大半はジェファーソンが大統領になることを阻止するためにバーに投票し、その結果は1週間に及ぶ行き詰まりとなった。連邦党のアレクサンダー・ハミルトンはバーよりもジェファーソンを好んでおり、ジェファーソンのために集票に動き、これでジェファーソンが大統領になった。このハミルトンの行動は1804年にバーとの決闘を引き起こし、ハミルトンはその時に死んだ。

ジェファーソンの勝利は、当時としてアメリカで最も辛辣な大統領選を終わらせた。1804年にアメリカ合衆国憲法修正第12条が批准された。この修正では、選挙人は大統領と副大統領の候補をはっきりと区別して投票することとなった。

一般選挙[編集]

選挙運動[編集]

1800年の大統領選挙は1796年の選挙の再現となった。選挙運動は両陣営の中傷や個人攻撃で辛辣な性格となった。連邦党は、民主共和党がその敵を殺し、教会を焼き、国を滅ぼす急進派であるという噂を流した(民主共和党がイギリスよりもフランスを好むということに基づいていた。当時はかなり激しいフランス革命が続いていた)。1798年連邦党のジョージ・ワシントンは、「民主党の原則を変えると同じくらい容易に黒人をこすって白くできるかもしれない。この国の政府を転覆させるには何もしなくても良いだろう。」と不平を漏らした[1]。一方で、民主共和党は、連邦党が外国人・治安諸法共和制の価値を破壊していると非難した。また反共和制の価値観を持つ貴族政治を推進するためにイギリスに味方しているとも非難した[2]

アダムズは反対党の民主共和党からも、またハミルトンを担ぐ共和党の中の「高位共和党員」からも攻撃を受けた。民主共和党は、アダムズの外交政策があまりにイギリス寄りであり、擬似戦争のために新しい軍隊を召集して民衆を抑圧することを恐れ、アダムズの新税に反対し、外国人・治安諸法は州の権限を侵すものとして攻撃した。「高位共和党員」の一派はアダムズが中道的過ぎると考えた。連邦党の指導者アレクサンダー・ハミルトンは副大統領候補のチャールズ・コーツワース・ピンクニーを大統領にしようと画策した。ハミルトンの書いた手紙が公になり、アダムズを当惑させ、ピンクニーのために謀ったハミルトンには打撃となった[3]

ジェファーソンの綱領[編集]

1790年代の政党は今日のような公式綱領を公表しなかった。しかし、ジェファーソンは1799年1月26日エルブリッジ・ゲリーに宛てた公開の手紙で声明を公表し、印刷されて広く出回った。これはジェファーソンの人生でも最も良く知られた政治信条になった。[4]

私はあらゆる国との自由貿易に賛成する。政治的な結びつきはどことも結ばない。外交的機関はほとんどないかあるいは無である。私は新しい条約を結んでヨーロッパの紛争に入って行こうとは思わない。ヨーロッパの均衡を保つために虐殺の戦場に入ろうとは思わない。自由の原則に対抗する戦争に対して国王達と同盟を結ぼうとは思わない。

私は信教の自由に賛成し、一つの派が他に対して法的に優越となるような操作全てに反対する。私は言論の自由に賛成し、力で沈黙させるような憲法侵害、また理由も無く市民の代理の行動に対する不平や批判、公平さや不公平さを黙らせるような憲法違反に反対する。また私は科学のあらゆる分野でその進歩を奨励することに賛成し、哲学者の神聖な名前に対して叫び声を上げることや、人間の心を怖い話で怖がらせてその心に不信を生み、暗黙の内に他人の心に入り込むようなこと、改善点を探すために前には回らず後ろへ進むこと、政府、宗教、道徳および他の科学が無知の暗闇の時代に高い完成度にあるかのように信じること、および我々の祖先によって打ち立てられたことよりも完全なものは何も生み出せないと信じることに反対する。これらのことに加えて、私はフランス革命の成功を誠実に願う者であり、自由で秩序有る共和国ができて終わることを願っている。しかし、私は我々の貿易に加えられる残虐な略奪行為に黙っているという訳ではなかった。[5]

選挙方法の変更[編集]

両陣営の党員は見つけられる利点なら何でも捜し求めた。幾つかの州では、望ましい結果を得るために選挙のやり方を変えることも行った。ジョージア州では、民主共和党の議員が一般選挙に代えて州議会による選出とした。連邦党の議員もマサチューセッツ州ニューハンプシャー州で同じ事をした(このことはマサチューセッツ州で思わぬ結果を生んだ。アメリカ合衆国下院の議員数が連邦党12対その他2であったものが、怒った選挙民によって連邦党8対その他6まで減少した。)。ペンシルベニア州も議会による選出に変えたが、その結果はほとんど同数の選挙人を選ぶということになった。バージニア州は選挙区ごとの選挙人選出という方法を総取り方式に変え、連邦党の1ないし2票が民主共和党に流れることになった。

投票[編集]

各州が選挙日を選択できたので、投票は4月から10月まで続いた。4月、バーがニューヨーク州議会で連邦党の多数をひっくり返し、民主共和党の多数を得ることに成功した。選挙人団投票では連邦党と民主共和党が65対65の同数となり、最後の州サウスカロライナ州が8人の民主共和党票を選んで、ジェファーソンとバーを選出することになった。

アメリカ合衆国憲法の規定では、大統領選挙人は2票ずつ持っており、大統領、副大統領の区別無く投票することになっていた。過半数の票を得た者が大統領になり、次点の者が副大統領になることになっていた。それ故に連邦党は1票をジョン・ジェイに投じ、副大統領候補のピンクニーの得票がアダムズより1票だけ少なくなるようにしていた。民主共和党も同じような考え方で選挙人の一人がバーではない候補に1票を投じるつもりであったが、偶発的にそうならなかった。その結果、民主共和党の選挙人はジェファーソンとバーの2人に同数の73票を投じた。下院で臨時の選挙を行う必要が生じた。下院は1798年の選挙による勢力図であった[6]

欠陥のある認定証[編集]

選挙人投票は1801年2月11日に開票され集計されたがジョージア州の選挙認定証に欠陥があることが分かった。選挙人はジェファーソンとバーに投じたことは明らかだったので、憲法に規定される「投票した全ての人を特定しそれぞれの得票数を特定する」という措置が採られなかった。ジェファーソンは上院議長の役目として投票を集計していたが、ジョージア州の投票もジェファーソンとバーの得票としてすぐに計算に入れてしまった。これについて異論は出なかった。エリク・カールソンですら異議を出さなかった。ジェファーソンとバーの得票総数は共に73票で過半数であった。

結果[編集]

ジェファーソンとバーが同数で1位となり選挙は下院に送られた。

投票結果[編集]

投票の結果
大統領候補者 出身州 一般得票数
(得票率%)
選挙人得票数
トーマス・ジェファーソン 民主共和党 バージニア州 41,330
(61.4%) 
73 
アーロン・バー 民主共和党 ニューヨーク州 -   73 
ジョン・アダムズ 連邦党 マサチューセッツ州 25,952
(38.6%) 
65 
チャールズ・コーツワース・ピンクニー 連邦党 サウスカロライナ州 -   64 
ジョン・ジェイ 連邦党 ニューヨーク州 -   1 
合計 67,282  276
選出必要数 70

出典 (一般選挙): U.S. President National Vote. Our Campaigns. (February 10, 2006).

出典 (選挙人選挙): National Archives EV source| year=1800| as of=July 30, 2005

(注1) 一般投票で連邦党が得た票はジョン・アダムズに、民主共和党が得た票はトーマス・ジェファーソンに割り当てられた。

(注2) 16州のうち6州のみが何らかの形の一般投票で選挙人を選んだ。

(注3) 一般投票で選挙人を選んだ州では、参政権に必要とされる資産の額がそれぞれ異なっていた。

組み合わせによる結果[編集]

投票の結果
大統領候補者    副大統領候補   選挙人得票数
トーマス・ジェファーソン アーロン・バー 73 
ジョン・アダムズ チャールズ・コーツワース・ピンクニー 65 
ジョン・アダムズ ジョン・ジェイ 1 

臨時選挙[編集]

下院議員はジェファーソンとバーのどちらを大統領にするか州ごとに決めて投票を行った。当時は16州だったので、過半数を取るためには9州以上の支持が必要だった。

ジェファーソンが大統領候補でありバーが副大統領候補であることは周知の事実であったが、下院は死に体に近かった連邦党が多数派であり、党派の敵であるジェファーソンに投票することを渋った。ジェファーソンは1798年以降連邦党の宿敵であった。連邦党議員の多くがバーに投票することになり、連邦党の支配する8州のうち6つまでがバーを選んだ。民主共和党の支配する7州はすべてジェファーソンを選んだ。ジョージア州の唯一の連邦党代議員がジェファーソンに投じたのでジェファーソンは8州を獲得することになった。バーモント州は議員の投票が同数となり、白票を投じた。残る1州メリーランド州は5人の連邦党議員と3人の民主共和党議員だったが、連邦党議員の一人がジェファーソンに投じたので、同数となり、白票を投じることになった。

2月11日から2月17日まで下院では35回の投票が繰り返され、毎回、ジェファーソンの獲得州は8と絶対多数に1つ足りないままであった。混乱の中で、ハミルトンがジェファーソンはバーと比べて「それほど危険な男ではない」と言ってジェファーソン支持を表明した。デラウェア州の連邦党議員ジェイムズ・A・バヤードとメリーランド州およびバーモント州のその同調者がそれまでのバーへの投票から白票に転じ、最終的にジェファーソンが10対4で勝った[7]

結果[編集]

ジェファーソン バー 白票
1回目 – 35回目の投票 8 6 2
36回目の投票 10 4 2

下表は各州ごとの投票結果であり( )内はジェファーソン-バー-白票の数を表す。

1回目の投票 2回目-35回目の投票(a) 36回目の投票
ジョージア州 (b) ジェファーソン
(1-0-0)
ジェファーソン
(1-0-0)
ジェファーソン
(1-0-0)
ケンタッキー州 ジェファーソン
(2-0-0)
ジェファーソン
(2-0-0)
ジェファーソン
(2-0-0)
ニュージャージー州 ジェファーソン
(3-2-0)
ジェファーソン
(3-2-0)
ジェファーソン
(3-2-0)
ニューヨーク州 ジェファーソン
(6-4-0)
ジェファーソン
(6-4-0)
ジェファーソン
(6-4-0)
ノースカロライナ州 ジェファーソン
(9-1-0)
ジェファーソン
(6-4-0)
ジェファーソン
(6-4-0)
ペンシルベニア州 ジェファーソン
(9-4-0)
ジェファーソン
(9-4-0)
ジェファーソン
(9-4-0)
テネシー州 ジェファーソン
(1-0-0)
ジェファーソン
(1-0-0)
ジェファーソン
(1-0-0)
バージニア州 ジェファーソン
(16-3-0)
ジェファーソン
(14-5-0)
ジェファーソン
(14-5-0)
メリーランド州 白票
(4-4-0)
白票
(4-4-0)
ジェファーソン
(4-0-4)
バーモント州 白票
(1-1-0)
白票
(1-1-0)
ジェファーソン
(1-0-1)
デラウェア州 バー
(0-1-0)
バー
(0-1-0)
白票
(0-0-1)
サウスカロライナ州 (c) バー
(0-5-0)
バー
(1-3-0)
白票
(0-0-4)
コネチカット州 バー
(0-7-0)
バー
(0-7-0)
バー
(0-7-0)
マサチューセッツ州 バー
(3-11-0)
バー
(3-11-0)
バー
(3-11-0)
ニューハンプシャー州 バー
(0-4-0)
バー
(0-4-0)
バー
(0-4-0)
ロードアイランド州 バー
(0-2-0)
バー
(0-2-0)
バー
(0-2-0)

(a) 代議員の投票結果は典型的なものを示しており、投票ごとに多少の変動はあった。しかし各州の選定結果に影響は無かった。
(b) ジョージア州には2議席が割り当てられていたが、ジェームズ・ジョーンズの死去により1議席は欠員であった。
(c) サウスカロライナ州には6議席が割り当てられていたが、トマス・サムターは病気のため欠席、エイブラハム・ノットは最初の投票と最後の投票の間サウスカロライナに帰っていたため欠席した。

選挙人の選挙[編集]

選挙人選挙の結果
選挙人の選定方法   州  
州内を選挙人選挙区に分割、選挙区あたり1人を選出 ケンタッキー州
メリーランド州
ノースカロライナ州
全州の選挙で選挙人を選出 ロードアイランド州
バージニア州
州内を選挙人選挙区に分割、選挙区あたり1人を選出。各郡が選挙人代議員を一般投票で選出。
地区内の郡代議員が選挙人を選出。
テネシー州
州議会で選挙人を指名 上記以外の州

脚注[編集]

  1. ^ Mintz, S. (2003年). “Gilder Lehrman Document Number: GLC 581”. Digital History. 2006年9月20日閲覧。
  2. ^ Buel (1972)
  3. ^ Ferling (2004)
  4. ^ Peterson, Merrill (1975). Thomas Jefferson. pp. 627. 
  5. ^ Jefferson, Thomas (1799-01-26). Letter to Elbridge Gerry
  6. ^ Ferling (2004)
  7. ^ Ferling (2004)

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • Annals of the Congress of the United States. Washington, D.C.: Gales and Seaton. (1834?1856). pp. 10:1028?1033. http://memory.loc.gov/ammem/amlaw/lwac.html. 
  • A Historical Analysis of the Electoral College”. The Green Papers. 2008年5月3日閲覧。
  • Doron Ben-Atar and Barbara B. Oberg, eds., ed (1999). Federalists Reconsidered. 
  • Jeffrey L. Pasley, et al., eds., ed (2004). Beyond the Founders: New Approaches to the Political History of the Early American Republic. 
  • Beard, Charles A. (1915). The Economic Origins of Jeffersonian Democracy. 
  • Bowling, Kenneth R.; Donald R. Kennon (2005). Establishing Congress : The Removal to Washington, D.C., and the Election of 1800. 
  • Buel, Richard (1972). Securing the Revolution: Ideology in American Politics, 1789-1815. 
  • Chambers, William Nisbet (1963). Political Parties in a New Nation: The American Experience, 1776-1809. 
  • Cunningham, Noble E., Jr. (1965). The Making of the American Party System 1789 to 1809. 
  • Dunn, Susan (2004). The Election Crisis of 1800 and the Triumph of Republicanism. 
  • Elkins, Stanley; Eric McKitrick (1995). The Age of Federalism. 
  • Ferling, John (2004). Adams vs. Jefferson: The Tumultuous Election of 1800. 
  • Fischer, David Hackett (1965). The Revolution of American Conservatism: The Federalist Party in the Era of Jeffersonian Democracy. 
  • Freeman, Joanne B. (1999). “The election of 1800: a study in the logic of political change”. Yale Law Journal 108 (8): 1959-1994. 
  • Goodman, Paul (1967). “The First American Party System”. In William Nisbet Chambers and Walter Dean Burnham, eds.. The American Party Systems: Stages of Political Development. pp. 56-89. 
  • Hofstadter, Richard (1970). The Idea of a Party System. 
  • Horn, James P. P.; Jan Ellen Lewis, Peter S. Onuf (2002). The Revolution of 1800: Democracy, Race, and the New Republic. 
  • Miller, John C. (1959). Alexander Hamilton: Portrait in Paradox. 
  • Schachner, Nathan (1961). Aaron Burr: A Biography. 
  • Sharp, James Roger (1993). American Politics in the Early Republic: The New Nation in Crisis. 

外部リンク[編集]