鷲谷修也

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鷲谷 修也
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道登別市
生年月日 1988年10月3日(25歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
160 lb =約72.6 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2009年 MLBドラフト14巡目
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

鷲谷 修也(わしや なおや、1988年10月3日 - )は、北海道登別市出身の元プロ野球選手外野手)。

来歴・人物[編集]

小学3年生の時に野球を始める。登別市立西陵中時代はリトルシニアチームでプレーし、3年時に道大会で準優勝。複数の強豪校から勧誘を受けたが、見学した時の雰囲気が気に入ったという駒大苫小牧に特待生として入学[1]。同期に田中将大(現:ヤンキース)がいた[2]

1年夏までは「落ちこぼれ組」だったが、香田誉士史監督のアドバイスで打撃が向上し秋の明治神宮野球大会で初めてベンチ入りする[1]2005年第87回全国高等学校野球選手権大会に出場、優勝メンバーとなる[2][3]。翌2006年春には不振となり一時ベンチ入りメンバーからも外れたが[4]、夏の南北海道大会では2打席連続本塁打、第88回全国高等学校野球選手権大会にはレギュラーとして出場し3回戦の青森山田戦でも本塁打を放つ[1]早稲田実業と対戦した決勝と再試合では斎藤佑樹(現:日本ハム)に対し6打数0安打3三振。再試合の途中で代打を送られたこともあって自信をなくし、卒業後は野球から離れることにした[1]

スポーツトレーナーの勉強をするつもりで筑波大学をスポーツ推薦で受験するが不合格となり[5][6][1]、半年間英語を勉強した後アメリカ・カリフォルニア州デザート短大の一般入試を受けて合格[3]。学歴を得るための入学だったが、評価の足しになればと送った高校時代のプレーのビデオが関係者の興味を引き、野球部へ入ることになる[1]

同州南部の短大などが集まるリーグで4番・右翼手として4割近い打率を残したことで複数のメジャー球団から調査書が送られてくるようになり[1]2008年ドラフト会議ワシントン・ナショナルズより42巡目(全体で1261番目)で指名を受ける。「気持ちの準備ができていない」として指名を辞退[2][6]したものの、この指名によって野球に対し真剣に取り組む気持ちになったという[1]

2年目も打率3割をキープし盗塁数も増えるなど活躍。2009年6月のドラフト会議で再びナショナルズから14巡目(全体で412番目)指名され[7][8]、当初は4年制大学への編入を希望したが指名を許諾した。その理由について「オフに北海道に戻って多くの人が応援してくれていることを知りチャレンジを決めた」と語っている[6]。日本人選手がドラフト指名を経て選手契約を結ぶのは、2002年コロラド・ロッキーズ坂本充(当時アリゾナ・ウェスタン短大所属)を指名したのに続き2例目である[3][6][8]

短大は首席で卒業し、卒業式ではスピーチを行った。

2009年、ルーキークラスのガルフコーストリーグ・ナショナルズで40試合に出場し打率.246、14打点、12盗塁、左翼手で18試合、右翼手で12試合、中堅手で6試合に出場しチームのリーグ優勝に貢献した[2]。2010年1月にはピッツバーグ・パイレーツに所属する岩村明憲の合同自主トレーニングに参加しハイA(1A)でのプレーを目指した[9][10]

春のキャンプでは有望選手のグループに入れなかったものの、ウエイトトレーニングなどの効果が表れ始めていた[1]同年6月中旬、ルーキーリーグ開幕を前に同チームから解雇され、日本に帰国した[11][12]。その後社会人野球チームから誘いがあったものの元プロであることから断念。駒大苫小牧高監督だった香田のつてでベースボール・チャレンジ・リーグ石川ミリオンスターズを紹介され、2010年7月15日に入団が発表された。守備が安定せず指名打者での出場が増え、打率も当初は4割を超えていたものの肩の痛みもあって最終的に3割まで低下した[1]

2011年5月4日、本人の希望により石川を退団した。5月6日、右肩痛などの影響もあり引退を表明。12月に上智大学外国語学部への編入試験を受験し合格、2012年4月に入学した。入学後は陸上短距離に転身している[13]

実用英語技能検定1級合格、TOEIC公開テスト945点を取得。2014年度、外資系投資銀行に就職予定。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]









































O
P
S
2010 石川 33 115 14 35 4 2 1 10 10 7 1 12 1 24 0 .304 .375 .400 .775
2011 7 14 2 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 4 0 .071 .133 .007 .140
通算:2年 40 129 16 36 4 2 1 10 10 7 1 13 1 28 0 .279 .347 .419 .766

背番号[編集]

  • 3 (2010年 - 2011年)

関連書籍[編集]

  • 『鷲谷修也の挑戦』文武両道で叶えるメジャーへの道[14] (遠藤友彦 エイチエス、2009年) ISBN 978-4-903-70714-3 (新装版として同社より2010年に発行分有 ISBN 978-4-864-08918-0
  • 節丸裕一『最強世代1988 田中将大、斎藤佑樹、坂本勇人、前田健太・・・・・・11人の告白』講談社、2011年

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『最強世代1988 田中将大、斎藤佑樹、坂本勇人、前田健太・・・・・・11人の告白』
  2. ^ a b c d 苫小牧からアメリカへ、鷲谷修也という男の挑戦。~MLBにドラフト入団した21歳~”. Sports Graphic Number (2010年2月9日). 2010年11月6日閲覧。
  3. ^ a b c Nationals pick Japanese outfielder in draft”. japanball.com (2009年6月11日). 2010年11月6日閲覧。
  4. ^ 駒大苫小牧 鷲谷 修也選手”. 朝日新聞 (2006年7月26日). 2010年11月6日閲覧。
  5. ^ 駒苫甲子園V戦士・鷲谷さんが米留学”. 日刊スポーツ (2007年4月6日). 2010年11月6日閲覧。
  6. ^ a b c d 東京中日スポーツ・2009年6月12日付 6面
  7. ^ ナショナルズが鷲谷を指名 駒大苫小牧高優勝メンバー”. 共同通信 (2009年6月11日). 2010年11月6日閲覧。
  8. ^ a b Jason Coskrey (2009年7月15日). “Washiya eyes quick climb to majors”. ジャパン・タイムズ. 2010年11月6日閲覧。
  9. ^ 岩村に怒られた駒苫出身外野手「僕があまりにも適当で…」”. スポーツニッポン (2010年1月14日). 2010年11月6日閲覧。
  10. ^ 西武・中島、ハマ内川を祝福「おめでとう」”. サンケイスポーツ (2010年1月14日). 2010年11月6日閲覧。
  11. ^ ナショナルズ傘下の鷲谷修也が解雇 日刊スポーツ 2010年7月1日
  12. ^ ナ軍傘下の鷲谷が解雇 楽天・田中の同級生”. サンケイスポーツ (2010年7月1日). 2010年11月6日閲覧。
  13. ^ マー君と駒苫で同期の鷲谷 ボルトに“弟子入り” スポニチ
  14. ^ 米マイナーリーグで活躍 駒苫V戦士 鷲谷さんの挑戦紹介”. 北海道新聞 (2009年8月4日). 2010年11月6日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]