西葛西
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西葛西(にしかさい)とは、東京都江戸川区南部にある葛西地域の地名・町名。住居表示では西葛西一丁目から西葛西八丁目がある。郵便番号は〒134-0088。
面積は1.9888平方km。世帯数18,001。人口38,727人(平成18年1月1日現在)
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[編集] 地域
隣接する地域は北は北葛西、東は中葛西、南は清新町および臨海町、西は第一級河川中川および荒川放水路を挟んで対岸に江東区。
荒川放水路と併走する一級河川中川の東岸、葛西地域の西部に位置する。 地区域の北を葛西橋通り・棒茅場通りを境に北葛西、南を新左近川を境に臨海町、東を葛西中央通りを境に中葛西、西を清新町と荒川・中川を境に江東区東砂と隣接する。
- 住宅街
西葛西地区の主要鉄道駅は地区を東西に横貫する東京メトロ東西線の西葛西駅である。西葛西地区の住宅街の発展は、1979年(昭和54年)にこの駅が開業したことでもたらされた。駅周辺にはいわゆる一戸建ての住宅は少なく、アパートやマンションなど中高層の集合住宅が多い。都市再生機構(UR)の大規模団地もあり、小島町二丁目団地がある。近隣の清新町には同じく都市再生機構が管理する葛西クリーンタウンがある。
- 在留インド人
近年、IT技術者を中心にインド人が多く居住しており、「日本におけるインド」という観点からメディアで取り上げられる事も多い。しかし大久保のコリア・タウンや横浜の中華街のように、街全体が異国の風情を帯びたいわゆる「インド人街」にはなっていない。これは本国からの派遣・転勤により来日する人が多く、数年で帰国するからである。インド人相手の商店も数えるほどしかない。町内会を通じた交流があり、2008年(平成20年)10月25日、東京ディワリフェスタ西葛西が開催された。
- 中国残留日本人
中葛西に中国残留日本人の自立支援施設「常磐寮」(現在の障害者支援ハウス)があった為、葛西周辺には中国残留日本人が多く居住していた。2世の一部が結成した暴走族「怒羅権」は悪名を轟かせた。区画整理が行き届いたことで、道路の広い葛西地区は皮肉なことに、暴走行為にはうってつけだった。2000年(平成12年)、布施博への暴行事件や殺人傷害事件を起こし、取締りが強化された為、暴走行為は行われなくなった。
- 専門学校
学校法人滋慶学園グループが運営する専修学校が多い。東洋言語学院や滋慶COMに属する、東京コミュニケーションアート専門学校、東京スクールオブミュージック専門学校、東京フィルムセンタースクールオブアート専門学校。滋慶EASTに属する東京福祉専門学校、東京スポーツ・レクリエーション専門学校、東京ベルエポック製菓専門学校、東京ベルエポック美容専門学校などがある。
この他に明治安田生命西葛西研修所(西葛西2)が有名である。明治安田生命の入社式が行われる。また「AIB食品安全システム」の教育・監査を行う、社団法人日本パン技術研究所がある。
- 宿泊施設
大手町や日本橋に東京メトロ東西線で直接アクセスでき、東京ディズニーリゾートにも近いため、西葛西駅周辺にはビジネス客と観光客の双方をターゲットとした宿泊施設がある。
- ホテルパークレーン西葛西
- 東横イン東西線西葛西
- ホテルサンパティオ
- ホテル ルミエール西葛西
などがあり、一部のホテルではディズニーリゾートへの送迎バスを運行している。
- スポーツ施設
西葛西や清新町には、江戸川区球場などプロの使用にも耐える本格的なスポーツ施設が整備されている。これらの施設は総合レクリエーション公園や都市再生機構の団地、親水公園と一体的に都市設計されており、緑や水辺を楽しめるように工夫されている。「葛西沖地区」は「都市景観100選」に選ばれている。
- 海抜ゼロメートル地帯
東京湾から埋立地の臨海町を挟んで1.5kmほどしか隔てられておらず、堤防がなければ干潮時であっても水没してしまう海抜ゼロメートル地帯にある。しかし東京湾に面した臨海町や清新町は盛り土により水面上に作られている為[1]、海没の心配は少ない。むしろカスリーン台風のような荒川上流域の決壊が心配されている[2]。低地化の一因は地盤沈下である。特に西葛西二丁目は、1968年(昭和43年)の1年間に23.89cmの沈下という記録を作った[3]。中葛西3丁目も1890年(明治23年)から1970年(昭和45年)頃までに、2メートル以上地盤が下がっている[4]。原因は南関東ガス田での天然ガスの採掘である。
[編集] 歴史
西葛西は20世紀後半まで東京湾に面しており、一帯は「葛西浦」や「葛西海岸」と呼ばれていた。沖合いの三枚洲まで、遠浅の海が広がっていた[5]。
西葛西駅の北側は町名が統合される以前は、小島町と呼ばれていた。近隣には長島町という地名も残っており、中世までは島が点在していたと思われる。近隣の東葛西の北部は中世に、宇喜田町や東葛西の南部は江戸時代に開発された。しかし江戸時代の西葛西は長島村、ニ之江村、下今井村、桑川村の飛び地にすぎず、戦後まで人家はまばらだった。
治水の問題もあった。1910年(明治43年)に発生した「明治43年の大水害」により1930年(昭和5年)、荒川放水路[6]が作られた。カスリーン台風やキティ台風により、1957年(昭和32年)に「葛西海岸堤防」が作られた。1972年(昭和47年)に「葛西沖開発事業」が始まった。遠浅の海が埋め立てられ[7]、西葛西は東京湾から切り離された。区画整理によって、広い道路と整然とした町並みが形作られた。
1963年(昭和38年)に新しい葛西橋が完成。1969年(昭和44年)に東西線が全線開通した。ただし西葛西駅が設置されたのは、その10年後の1979年(昭和54年)である。1974年(昭和49年)に着工した成田新幹線は江戸川区の反対などにより幻に終わった。1989年(平成元年)、近隣に葛西臨海公園が開園した。その後、西葛西は急速に発展したが、2000年(平成12年)の西葛西駅の大規模改善工事、2004年(平成16年)の清砂大橋の完成により、街作りは一服した感がある。
[編集] 交通
[編集] 公共交通
ほとんどの系統が西葛西駅南口から発着する。すべて都営バス江戸川営業所または都営バス臨海支所が担当。
- 都営バス
- 新小21系統:船堀駅・江戸川区役所経由、新小岩駅行き
- 亀29系統:旧葛西橋・境川方面、亀戸駅行き/なぎさニュータウン行き
- 西葛26系統:行船公園経由、船堀駅行き/東京臨海病院経由、葛西臨海公園駅行き
- 両28系統:旧葛西橋・境川・錦糸町駅経由、両国駅行き/臨海車庫行き
- 臨海22系統:船堀駅行き/臨海車庫行き
- 西葛20甲系統:なぎさニュータウン行き
- 西葛20乙系統:葛西臨海公園駅行き
- 西葛27系統:清新町経由、臨海町五丁目団地行き
[編集] 道路・橋梁
- 葛西橋通り(東京都道475号永代葛西橋線、東京都道10号東京浦安線)
- 棒茅場通り(ぼうしば どおり。西葛西1丁目の北端で、旧葛西橋に繋がっていた)
- 一之江通り
- 船堀街道
- 葛西中央通り(都市計画道路補助第290号線)
- 放射16号線
[編集] 施設
- 文化
- 西葛西図書館
- 教育
- 江戸川区立西葛西小学校
- 江戸川区立第六葛西小学校
- 江戸川区立第七葛西小学校
- 江戸川区立新田小学校 (『天才てれびくん』内のドラマ『転校生マオ』の撮影に使用された)
- 江戸川区立西葛西中学校
- 公園・スポーツ・レクリエーション
- 江戸川区スポーツセンター
- 総合レクリエーション公園
- 江戸川プールガーデン
- 江戸川区球場
[編集] 史跡
- 八幡神社
- 葛西海岸堤防記念碑(平成17年に清砂大橋の脇に移設)。海岸堤防は東京都道450号新荒川葛西堤防線沿いに臨海町まで延びていた。堤防の跡は親水公園などになっている。
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ "江戸川区 地盤標高拡大図". 2007年12月31日 閲覧。
- ^ "荒川浸水想定区域図". 2007年12月31日 閲覧。
- ^ "荒川防災教室 地盤沈下". 2007年12月31日 閲覧。
- ^ "第五建設事務所の古井戸と地盤沈下". 2007年12月31日 閲覧。
- ^ "国土地理院 国土変遷アーカイブ 空中写真閲覧". 2008年8月5日 閲覧。
- ^ "荒川放水路改修平面図". 2007年12月31日 閲覧。
- ^ "あらかわ思い出アルバム". 2007年12月31日 閲覧。
[編集] 参考文献
- 江戸川区教育委員会編『江戸川区の民俗4 葛西地区の民俗』
[編集] 外部リンク
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