宇野浩二

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宇野 浩二(うの こうじ、1891年7月26日 - 1961年9月21日)は、日本小説家作家。本名は、宇野格次郎。

福岡県福岡市南湊町(現在の福岡市中央区荒戸一丁目)に生まれる。

3歳のときに福岡県立師範学校の教員であった父が脳溢血で急死、親戚を頼って神戸へ移る。その後4歳のときに大阪に移住、大阪市東区糸屋町一丁目、次いで花柳界に近い南区宗右衛門町に住んだ。育英第一高等小学校を経て天王寺中学校(天王寺高等学校の前身校)に入学。校友会雑誌『桃陰』に作品を投稿した。同期生に後の横綱大錦卯一郎がいた。

親戚から学資の援助を得て早稲田大学英文科に入学。

1913年4月に小説集『清二郎 夢見る子』を白羊社から出版。1919年に『蔵の中』を『文章世界』に発表、さらに同年、『苦の世界』を『解放』に発表し、新進作家として文壇で認められる。また、広津和郎谷崎精二芥川龍之介を友人とした。私小説作家だが、『子を貸し屋』のようなフィクションもある。 「文学の鬼」と呼ばれた。

また童話作家としても活躍し、のちのちまで読み継がれる作品を残している。

妻のほかに芸妓などと交遊をもち、それらを小説化していった。始めの頃の恋人、伊澤きみ子は早世し、妻を得るが村上八重、星野玉子などの愛人があり、一子守道は玉子の所生である。昭和初年に精神を病み、斎藤茂吉の治療を受ける。その直後、親友芥川の自殺にあう。

病気から回復したのちは、かつての饒舌な文体も一変して枯れた作風になり、早世した画家小出楢重を描いた『枯木のある風景』(1934)で復活を遂げる。また嘉村礒多牧野信一など不遇の作家の評価に務め、『嘉村礒多全集』、『牧野信一全集』、『近松秋江傑作選集』を独力で編纂、芥川賞選考委員を没する少し前まで務め、後進の育成にも努めた。1949年に日本芸術院会員。1951年に『思ひ川』で読売文学賞

晩年には広津とともに松川事件被告の救援運動に参加したことで知られている。妻が死んだ後は、星野玉子を入籍。弟子として水上勉がいる。全集は中央公論社で全12巻が刊行された。

墓所は、東京都台東区松が谷一丁目の広大寺にある。

[編集] 作品

  • 清二郎 夢見る子 (1913)
  • 蔵の中(1919)
  • 苦の世界(1920)
  • 恋愛合戦(1920)
  • わが日我が夢(1922)
  • 子を貸し屋(1923)
  • 魔都(出世五人男)(1926)
  • 軍港行進曲(1927)
  • 高天ヶ原(1927)
  • 枯木のある風景(1934)
  • 思ひ草(1950)
  • 思ひ川(1951)
  • 芥川龍之介(1952)

[編集] 参考文献