羨望

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テオドール・ジェリコーによって描かれた強烈な羨望に囚われた女性の肖像

羨望(せんぼう、: envy ラテン語: invidia)とは、自らの持たない優れた特質、業績、財産などを他者が持つときに起こる、それらへの渇望、ないしは対象がそれらを失うことへの願望である[1]。羨望は他者が自分が持たない望ましい物品を持つときに、自己肯定感の低下という感情的な苦痛として現れる場合がある。バートランド・ラッセルは羨望は不幸の最も強力な原因であると述べた[2]。妬み深い人々は自らを不幸にするだけでなく、他者が不運に苦しむことを望むからである。羨望は一般に否定的に捉えられるが、ラッセルは羨望が民主主義へと向かわせる原動力であり、より公正な社会制度実現のために認容されなければならないとも考えた[3]。近年、心理学者は悪性の羨望と良性の羨望の2種類があると考えており、良性の羨望は動機付けの一種として捉えられている[4][5]

嫉妬との比較[編集]

ジョット・ディ・ボンドーネによって1305-1306頃に描かれた羨望の寓意図

「嫉妬(jealousy)」と「羨望(envy)」は通俗的には同じ意味で用いられるが、厳密には異なる2つの感情である[1]。嫉妬が愛着している誰か(例えば恋人)、ないしは保有している何かが他者に奪われた結果、ないしは奪われることへのおそれであるのに対し、羨望は自らが欲望するにも関わらず所有しないものを他者が所有していることに対する腹立たしさである[6]

精神分析における羨望[編集]

羨望の感情は精神分析の理論の発展のなかで数多くの論者によって考察されてきた。メラニー・クラインは、羨望を自分がもっていないものを他者が有している時に生じる怒りの感情と表現した。羨望の感情は特に自己愛的な人々(自己愛性パーソナリティ障害)に顕著に見られ、自分が有していないものを持つ人々に対する否定的感情や憤激として生じるものである。

哲学[編集]

アリストテレスは『弁論術』において、羨望 (φθόυος、phthonos) とは「他者の幸運によって引き起こされる痛みである」と定義している[7][8]。 また、イマヌエル・カントは『道徳形而上学原論』において、羨望とは「我々の幸福が他者の幸福によって翳らされたことによる失望である。なぜなら我々の幸福感とは先天的なものではなく、他者との比較によるからである」と述べている。

宗教[編集]

キリスト教[編集]

ジャック・カロ作『七つの大罪 - 羨望』

羨望(envy)[注 1]カトリックでは七つの大罪の一つとされている。創世記においては、羨望はカインの犯した兄弟殺しの動機とされている。これは神がカインよりも兄弟であるアベルの供物を好んだためである。

ヒンドゥー教[編集]

クリシュナバガヴァッド・ギーターにおいて「妬まず、誰に対しても共感する友であるもの…そのような帰依者がもっとも好ましい」と述べている。ヒンドゥー教において、羨望は破滅的な感情であるとみなされている。ヒンドゥー教は精神のバランスを崩すものは何にしろ不幸につながると考えている。この考えはマハーバーラタにおいて、ドゥルヨーダナが従兄の財産に対する羨望からクルクシェートラ戦争英語版を起こすという形でも示されている。彼は「父よ!パーンダヴァ (従兄)の財産が私を焼きつくします!彼が私より豊かであると知って、食べることも眠ることも、生きることすらできません」と述べている。それゆえヒンドゥー教では、羨望の対象は前世の因果を受け取っているだけであることを認識して、この感情を克服するよう教えている。マハーバーラタにおける敵対者と同じ運命に苦しまぬよう、そのような歪んだ感情を持つべきでないとしている。

イスラム教[編集]

イスラム教において、羨望 (: حسد‎、Hasaad ) は心の不純物であり、善行を無に帰すものであると言われている[要出典]。各人は神の意志に満足し、造物主の公正を信じなければならない。ムスリムは嫉妬で他者を苦しめることを禁じられている[要出典]ムハンマドサヒーフ・アル=ブハーリーおよびサヒーフ・ムスリムにおいて「互いに羨み、憎しみ、敵対し、関係を断ち切ってはならない。兄弟としてアラーの下僕であるべきである。ムスリムがその兄弟と会って言葉を交わさなかったのち、3日以上離れていることは許されない。自ら挨拶をするものが最も好ましい。」と述べている。ムスリムは他人の持つ恩寵を、その者から取り去られることを望まない限り、自らのために願うことは許されている。これはhasaad とは呼ばれず、ghibtah と呼ばれる。「2つの場合を除き羨望は存在しない。アラーが知恵を与え、彼がこれによって支配し、人々を導く場合と、アラーが権力とともに富を与え、彼が正当にこれを用いる場合である。」

仏教[編集]

仏教において (しつ、: īrṣyā: issā)とは一般に羨望、妬み、または嫉妬と解される。嫉とは富や名声を得るためにひどく熱心になっているが、他人がそれらを得ることが我慢できない状態とされる。喜無量心とは相手の幸福を共に喜ぶ心であり、これが嫉に対する解毒剤となるとされている。

文化[編集]

英語圏では、羨望はしばしば「羨望で緑である (green with envy)」というようにと結び付けられる。「緑の目の怪物 (Green eyed monster)」とは、現在の行動が羨望ではなく嫉妬により動機づけられている人物を指す。これはウィリアム・シェイクスピアオセローに基いており、シェイクスピアは『ヴェニスの商人』においてもポーシャ英語版に"How all the other passions fleet to air, as doubtful thoughts and rash embraced despair and shuddering fear and green-eyed jealousy!" と述べさせている。

社会進化論的観点[編集]

人間の行動における羨望とその影響を説明する一つの理論が社会進化論である。チャールズ・ダーウィン自然選択説に基づき、社会進化論は人間は個体の生存と再生産を強化するように行動すると予想する。これによってこの理論は例えば羨望のような社会的行動を、生物の生存と再生産に動機づけられたものとして理解する枠組みを提供する[9]。近年の研究では羨望は認知機能や記憶の強化に影響することが示されている[10]

俗語[編集]

メシウマとは、他人の不幸を喜ぶことであり、特定の状況における羨望の副産物として理解される。ドイツ語におけるシャーデンフロイデという言葉と意味内容が近い。

脚注[編集]

  1. ^ 七つの大罪において、その元の言葉はいくつかの日本語に翻訳することができるが、その一例として envy が挙げられる。envy は「羨望、嫉妬、羨み、妬み」等と翻訳することができる。それらは心理学領域では嫉妬(jealousy)と羨望(envy)という近似した、しかし異なる感情として議論されることがあるが、七つの大罪における元々の言葉は envy 一つであり、そうした議論とは無縁である点に注意が必要である。

出典[編集]

  1. ^ a b Parrott, W. G.; Smith, R. H. (1993), “Distinguishing the experiences of envy and jealousy”, Journal of Personality and Social Psychology 64: 906--920, doi:10.1037/0022-3514.64.6.906, PMID 8326472 
  2. ^ Russell, Bertrand (1930). The Conquest of Happiness. New York: H. Liverwright. 
  3. ^ Russell(1930), pp. 90–91
  4. ^ van de Ven N., Zeelenberg, M., Pieters R., "Leveling up and down: the experiences of benign and malicious envy," Department of Social Psychology, Tilburg Inst. for Behav. Econ. Res. (Tilburg Univ. 2009).
  5. ^ PsyBlog, "Why envy motivates us," 31 May 2011 (citing, inter alia, van de Ven).
  6. ^ Neu, J., 1980, "Jealous Thoughts," in Rorty (ed.) Explaining Emotions, Berkeley: U.C. Press.
  7. ^ Pedrick, Victoria; Oberhelman, Steven M. (2006). The Soul of Tragedy: Essays on Athenian Drama. Chicago, IL: University of Chicago Press. p. 22. ISBN 978-0-226-65306-8. 
  8. ^ 2.7.1108b1-10
  9. ^ Yoshimura, Christina G. (2010), “The experience and communication of envy among siblings, siblings-in-law, and spouses”, Journal of Social and Personal Relationships 27: 1075--1088, doi:10.1177/0265407510382244 
  10. ^ Fields, R (2011年). “Eat Your Guts Out: Why Envy Hurts and Why It's Good for Your Brain”. 2014年6月10日閲覧。

参考文献[編集]

  • H・スィーガル(著)岩崎徹也(訳) 『メラニー・クライン入門』 岩崎学術出版社、1977年ISBN 9784753377060

関連項目[編集]