吉田えり
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| 神戸9クルーズ #17 | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 神奈川県横浜市 |
| 生年月日 | 1992年1月17日(17歳) |
| 身長 体重 |
155cm 52kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 2008年 ドラフト7位 |
| 年俸 | 180万円(2009年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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吉田 えり(よしだ えり、1992年1月17日 - )は、関西独立リーグ、神戸9クルーズに所属する野球選手(投手)。愛称はナックル姫。
目次 |
[編集] 経歴
神奈川県川崎市生まれ、横浜市出身。2つ上の兄の影響で横浜市立北山田小学校2年から野球を始め、横浜市立中川西中学校では軟式野球部で一塁手のレギュラーだった。3年時に部活を引退した後すぐに硬式野球を始め、父親の勧めで投手に転向した。
川崎北高校に進学後は硬式野球部に入部したが、右手甲の炎症により5日で退部。男子との体力差を感じるようになったが、テレビで観たティム・ウェイクフィールドに注目し、自身もナックルボールを習得すれば男子と同じ土俵で野球を続けられるのではないかと考え、自宅地下の練習場で1年間練習を続け小指を立ててボールに付けないウェイクフィールド独自の握り方でのナックルを習得。
高校の野球部退部後は社会人野球クラブチームの千葉熱血メイキング、西多摩倶楽部に所属。2008年9月からは女子クラブチームのアサヒトラストでプレーし、同年の全日本女子硬式クラブ野球選手権で3試合に登板した。
2008年11月2日から11月4日まで行われた関西独立リーグの合同トライアウトを、元高校球児の兄と共に受験。兄は1日目の選考で落選したが自身は最終の3日目まで残り、最終日のシート打撃では打者4人に対し、ナックルで空振り三振、四球、直球で二ゴロ、直球で遊飛と1回を無安打1奪三振無失点に抑えた。
11月16日に行われた関西独立リーグのドラフト会議で神戸9クルーズより7位指名(全体27番目)を受け、12月2日に入団発表。日本プロ野球リーグ所属の女子選手としては日本女子野球連盟(1950 - 1951年)以来、日本人女子プロ野球選手としては鈴木慶子以来で、男子に混ざってプレーする日本初の女子プロ野球選手となる。9クルーズの中田良弘監督は女子選手としての存在には興味を示さなかったがナックルを見て獲得を決意したという。
2009年にエイベックス・エンタテインメントとマネジメント契約を結び[1]、川崎北高校から通信制のKTC中央高等学院神戸キャンパスに編入[2][3]。3月27日に関西独立リーグ開幕戦の対大阪ゴールドビリケーンズ戦(京セラドーム大阪)で9回裏から2番手としてリリーフ登板。先頭打者には四球を与え、続く古屋隆行は三振に打ち取った。
[編集] プレースタイル
サイドスロー[4]から、最速101km/hの直球と80km/h台のナックルボールを投げる。直球はジャイロ回転しているとも言われている。課題は制球力であり、四死球の多さが目立つ。
ナックルについて9クルーズ監督の中田は「本当に揺れながら落ちるし、おもしろい戦力になる」と評している。
また、2009年3月15日に横浜ベイスターズ対オリックス・バファローズのオープン戦で始球式を務めた際に打席に立っていた一輝は「スーッときてパッと揺れた。普通に空振りしたかも」とコメントした[5]。
本人曰く納得できるレベルのナックルは10球中2球程度と語っており、中田監督は土台から鍛えて4、5年後にNPB入り出来れば、とコメントしている[6]。
[編集] 背番号
- 17(2009年 - )
[編集] 脚注
- ^ えりちゃんがエイベックスと業務契約 - 野球 - SANSPO.COM
- ^ ナックル姫:今春から通う神戸キャンパスに登校 - 毎日jp(毎日新聞)
- ^ <関西独立>初登校「マウンドより緊張」 えり投手、学業にも意欲 : 一般スポーツ : スポーツ : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
- ^ 日本初「女子プロ野球選手」誕生へ デイリースポーツ 2008年11月5日。女子高生ナックルボーラー吉田がプロ指名! スポーツニッポン 2008年11月17日。
- ^ えりちゃん横浜“凱旋”しナックル始球式 日刊スポーツ 2009年3月16日
- ^ 報道ステーション2009年3月31日放送分より。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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