南部大型自動拳銃

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南部式大型自動拳銃
南部式大型自動拳銃(甲)
南部式大型自動拳銃(甲)
概要
種類 自動拳銃
製造国 日本の旗 日本
設計・製造 東京造兵廠
小倉造兵廠
東京瓦斯電気工業
性能
口径 8mm(大型)
7mm(小型)
銃身長 110mm
ライフリング 6条右回り 
使用弾薬 8mm南部弾(大型)
7mm南部弾(小型)
装弾数 8+1発(大型)
6+1発(小型)
作動方式 反動利用銃身後座式
全長 229mm
重量 945g(大型)
548g(小型)
銃口初速 315m/s(大型)
280m/s(小型)[1]
有効射程 50m

南部式大型自動拳銃(なんぶしきおおがたじどうけんじゅう)は、1902年(明治35年)に南部麒次郎によって開発された日本初の自動拳銃であり、南部大拳と略して呼ばれる。

海軍が陸式拳銃という名称で採用したほか、改良を加えられたものが十四年式拳銃として陸軍に採用されている。

歴史[編集]

南部麒次郎が自動拳銃の開発を始めたのは、欧州で各種の自動拳銃が開発されはじめた19世紀末であり、南部式自動拳銃の製作に成功したのは義和団の乱直後の1902年(明治35年)とかなり早い時期にあたる。1904年(明治37年)に東京砲兵工廠での生産準備が整ない[2]、同年の日露戦争に於いて早くも実戦使用された記録が残されている[3] [4]。その後二十六年式拳銃を更新する拳銃として南部式自動拳銃乙型が検討され[5]1908年(明治41年)の1月22日から2月5日の間に“四一式自動拳銃”と仮称して陸軍技術審査部主体でテストされたが[5]、予算の関係上早急な装備更新はすべきでないとして採用には至らなかった[5]。補助火器である本銃の更新は見送られ[2]、陸軍将校に小口販売されたほか、明治末期からは泰平組合などを通じて中国やタイなど海外へ輸出 [6] [7] され、軍人以外の官吏にも支給 [8] されていた。

1919年(大正8年)には、陸軍内で南部式自動拳銃500挺を京漢線従業員へ供給するための製作外注計画が立てられ [9] [10]1920年(大正9年)には、南部式自動拳銃 大型・小型各5挺が制式検討のため陸軍技術本部へ送られている。 [11]

1921年(大正10年)には、東京瓦斯電気工業株式会社より南部麒次郎(当時は少将)を南部式自動拳銃および三年式重機関銃製造のため顧問として招請したいとの依頼がなされ、南部麒次郎本人が田中義一陸軍大臣宛てに許可を願い出ている。 [12]

1925年(大正14年)には中国の軍閥である孫岳より南部式自動拳銃(大型)の弾薬20~30万発の購入打診があったものの、在庫が足りず2,000発しか引き渡せない旨の記録が残されている。 [13]

また、南部式自動拳銃(小型)は1913年(大正2年)には東京砲兵工廠で製造された同弾薬11万発が軍へ納品された記録が残り [14]第一次大戦時の青島出兵時には、青島守備軍より陸軍省宛に南部式自動拳銃(小型)の実包備蓄許可願いが提出されており、守備軍内に若干数の南部式自動拳銃が存在していた事が判明 [15] しているほか、大型と同様に輸出もされている [16]

1924年(大正13年)に大型(乙)が海軍陸戦隊に採用され、陸式拳銃という名で約10,000挺が納入され、1925年(大正14年)に陸軍が名古屋造兵廠で大型(乙)に改良を加えたものを試作し、これが十四年式拳銃として採用された。

1938年(昭和13年)にも南部式自動拳銃(小型)が現用兵器として部隊へ支給された記録 [17] が残されているほか、陸軍大学校の成績優秀者に対する恩賜品として下付されたとされる。

概要とバリエーション[編集]

十四年式拳銃に米兵が付けた“Japanese Luger”の呼び名から、南部式拳銃全般をシルエットの似たルガーP08のコピーとみなす誤解が存在するが、南部式自動拳銃およびその派生品の内部機構はいずれもルガーとは全く異なっており、当時最も完成度が高かったモーゼル軍用拳銃プロップ・アップ機構をアレンジしたデザインとなっている。

南部式自動拳銃[編集]

南部式自動拳銃は、大型(甲)、大型(乙)、小型の3種類が製造され、使用実包は大型が8mm南部弾、小型が7mm南部弾だった [1]

装弾数は大型8発・小型7発であり、共通してストライカー(撃針)による発火機構を持ち、銃把前面にあるグリップ・セーフティを唯一の安全装置としている。

大型(甲)はグリップ後端にストック(銃嚢・ホルスターを兼ねる)を取り付けて銃床として利用できる(参照)

製造は東京造兵廠小倉造兵廠東京瓦斯電気工業株式会社などで行われているが、その製造数については諸説があり特定されていない。

本銃は生産数が少ない上に、多くが中国の戦地へ輸出されたため現存数が少なく、海外のガンコレクターに人気のある一品であり、大型甲がグランパ南部、大型乙がパパ南部、小型がベビー南部と呼ばれ、装具やオリジナル実包も希少価値が高い。 特に製造数が少ない小型は米国拳銃市場でも稀少品とされ極めて高額で取引されている。(参照:ベビー南部の実射動画

米国スタームルガー社のスタームルガーMkIはベビー南部にデザインが酷似しているが、社長のビル・ルガーは実際ベビー南部のファンでデザインのベースにしたことを認めている。(ただし構造は内蔵ハンマー式で異なる)

十四年式拳銃[編集]

北支一九式拳銃[編集]

南部式・十四年式から派生した最末期の製品である。 生産数は不明ながら、米国に比較的状態の良いものが残されており、北京の軍事博物館にも展示されている。

十四年式からの改良品だが、そのデザイン・構造には相違点が多く、十四年式の非実戦的なデザインの多くが改善され、大量生産を意識した構造となっている。生産も日本本土ではなく日本軍占領下の中国・北平(北京)で行われた。

北支一九式の十四年式南部式)からの主な変更点は下記の通りである。

  • 別パーツだった用心鉄と機関部が一体化し、引き鉄がピン固定へ変更された。
  • 用心鉄根元(右側面)のレバーで、銃身・ボルトグループと機関部が分解できるようになった。
  • 安全装置レバーが用心鉄根元からグリップ後方へ移され、シアを直接ブロックする確実なものへ変わるとともに、片手での操作が可能になった。
  • 十四年式にあるマガジン脱落防止スプリングが無くなり、用心鉄のサイズは小型のものに戻された。

試製拳銃付軍刀[編集]

南部式自動拳銃に軍刀の刀身を取り付けた変形拳銃の一種[5]騎兵用刀剣拳銃[5]とも呼ばれ、アメリカ陸軍兵器博物館ではJAPANESE OFFICER'S SWORD PISTOLとして展示されている[18]

この拳銃は、三八式騎銃から四四式騎銃への過渡期に試作されたもので[5]、射撃から斬り合いへ素早く移行できるよう、三十二年式軍刀甲の柄部分に南部式自動拳銃のグリップ部分を一体化させている。基本となった拳銃はベビー南部とされ[18]、様々な改良が施されており、握りやすいようグリップが延長された[18]他、グリップパネルは鋳物により製作されている[18]。また、用心金も存在しない。グリップの延長線上に刀身が存在する。抜刀した状態で弾倉の交換ができる。この試作品は4振作られたが、扱いに難があるのに加えて故障が頻発した。これは関東大震災で焼失したが、その後研究は再開し十四年式拳銃をベースにしたものが3振作られた。こちらも実用性に疑問が残り、1929年(昭和4年)に研究は中止された。試作品の中には用心鉄をサーベル護拳の様に伸ばしたものもあった[19]

開発には南部麒次郎が関わっていたとされるが[5][18]、実際には定かではない[18]。使用感に関しては、拳銃として使用するには刀身が斜め前方に延びていることと、拳銃自体の重量が過多であることが合わさり構えづらい[18]。そのため純粋な拳銃としてよりも、敵との斬り合いにおけるつばぜり合い時に、相手の胸に発砲するよう作られている[18]

なお、拳銃と刀剣を融合させた武器はヨーロッパに多く[5]火縄銃の時代から様々な国、発明家のもとで開発されてきたが[18]、自動拳銃を基本としたものは世界的にも類を見ないとされる[18]。日本においてもこの拳銃が開発される以前の1894年(明治27年)3月[5]に、東京在住の藤原政治[5][18]により、刀剣拳銃[5]という特許(2183号)[18]が認定されている。装弾数6発のリボルバー拳銃を軍刀の柄に組み合わせたものだが、特に量産されずに終わっている[5]

注釈[編集]

  1. ^ a b Refcode:C02030552600
    『26年式及南部式拳銃射撃表送付の件』
    陸軍省大日記 大正12年 「陸普綴 正 参謀本部 庶務課」
    陸軍省副官 松木直亮 大正12年03月03日 参謀本部庶務課長 川田明治
    「附属品添附 陸普第七三九号 庶布第三二号 3月6日 26年式及南部式拳銃射撃表
    送付ノ件通牒 大正12年3月3日 陸軍省副官 松木直亮 参謀本部庶務課長 川田明治 首題ノ射撃表別紙配賦表ノ通及送付候也 参謀本部 拳銃射撃表 二部 内訳 本部一、 大学校 一、 26年式拳銃 南部式大型拳銃 南部式小型拳銃 射撃表 大正11年8月 陸軍技術本部編」
    (画像資料より実包重量/弾頭重量・初速の数値を抜粋し、エネルギー値を再計算)
    9mm(26年式) 11.5g/9.8g 150m/s 111J
    7mm南部弾 7g/3.65g 280m/s 144J
    8mm南部弾 9g/6.5g 315m/s 324J
    尚、海軍陸戦隊MP18モーゼルC96で使用された各弾薬の値は以下の通りである。
    7.65x21mm 6g 365m/s 400J ←8mm南部弾とほぼ同寸
    7.63x25mm 5.6g 430m/s 508J (5.5g 525m/s 760J)
    9x19mm 8g 360m/s 518J (7.45g 390m/s 570J)
    9x25mm 8.3g 450m/s 840J
    .45 ACP 15g 250m/s 477J (13g 330m/s 702J)
    ()内の数値は第二次世界大戦中に短機関銃に使用された強装薬弾
  2. ^ a b 宗像和広・兵頭二十八・編著 『日本兵器資料集 泰平組合カタログ』ミリタリー・ユニフォーム8 並木書房 ISBN 4-89063-117-8
  3. ^ Refcode:C03025973300
    『12加、15臼移動砲床送付件』
    陸軍省大日記 軍務局砲兵課 明治37年11月16日~明治37年11月30日
    「~別紙之通兵器本廠ヨリ送達セシメ候条受領シ自働拳銃実包ハ第三軍砲兵部ヘ~
    ~別紙品目中自働拳銃ハ貴部ヘ宛他ハ第一攻城砲廠ヘ送付セラレ候条受領セシメラレ度~
    ~本省扣 自働拳銃実包(南部式)
  4. ^ 1909年(明治42年)のベルグマン“Mars”自動拳銃の採用審査依頼に対して、陸軍省は「陸軍ニ於テハ於テハ既ニ特種ノ自動拳銃ヲ製作シ且使用シツヘアルヲ以テ」と回答しており、南部式自動拳銃が陸軍内で既に特別な地位を得ていた事が判明している。
    Refcode:C03027636500
    『自働霰発拳銃採用方に関する件』
    陸軍省大日記 明治42年1月~明治42年12月
    「満一坤第六〇一八号 自働霰発拳銃採用方ニ関スル件 砲満一第四一三号 通牒 高級副官ヨリ本人ヘ 九月二十五日附陸軍大臣「ベルグマン」式自動霰発拳銃採用アリタキ儀ニ付申越ノ趣了承@陸軍ニ於テハ於テハ既ニ特種ノ自動拳銃ヲ製作シ且使用シツヘアルヲ以テ貴工場製作ノ拳銃ハ採用ノ希望ナキノミナラス比較試験ヲ以テ必要モ無之候条承知相成度
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 高橋昇『世界のピストル図鑑』光人社 ISBN 9784769814528 pp363~367
  6. ^ Refcode:C03022987700
    『泰平組合 兵器払下の件』
    陸軍省大日記 泰平組合当番理事 ●島小金治 明治43年09月30日
    「密受第四○五号 四○六号 泰平組合 兵器払下ノ件 銃密第一三六 一三七号 指令 @@通 但シ現品ノ受領代価納入等ノ儀ハ直接東京砲兵工廠ヘ@@@シ 東京砲兵工廠ヘ達 別紙甲号ノ通清国広西撫憲御門ヘ別紙乙号ノ通暹羅国政府ヘ@約ノ趣ヲ以テ払下ノ儀泰平組合理事●島小金治ヨリ願出認可候条至急払下方取計フヘシ 陸密第二○六号 但シ現品ノ授受代価納入等ノ儀ハ直接@@ヘ指示スヘシ 甲号 緩燃導火索 速燃導火索 南部式自働拳銃 実包 乙号 S号歩、騎銃小金具明細表 歩兵銃 副鉄 撃鉄 避害器 遊底駐子 逆鈎 引鉄 受筒鈑 表尺鈑 遊標 遊標駐鈎 遊標駐鈎発条 照表駐螺 遊底駐子駐栓 引鉄軸 照星 床冠 @杖 抽筒子駐鐶 上帯 尾筒長駐螺 尾筒短駐螺
  7. ^ Refcode:B07090284200
    『潮梅鎮守使莫撃宇対泰平公司軍器購入』
    外務省記録 本邦二於ケル各国兵器需品其他調達関係雑件/支那ノ部 第一巻
    「大正六年十一月二十四日接受 主管政務局 第一課 取扱者 電報十一月十六日午後六時五五分発 十一月十六日午後八時三十分著 総長宛 在斉藤少将 支普五一 本日陸軍次長樹@ヨリ左ノ如ノ通知シ来レリ依テ夫々恊議スヘキ様取計モ相成リ度シ 一、潮@鎮守使莫擎宇代表ヨウシテウト泰平分司トノ間ニ三八式機関銃六挺同弾薬千万発四六式山砲四門同榴霰弾一千発南部式自働拳銃百挺@弾薬二万発ノ買売契約ヲ締結既ニ陸軍部ノ許可ヲ経タルヲ以テ日本政府ニ伝逹ヲ乞フ
  8. ^ Refcode:B07090273000
    (イ)支那/(19)掬鹿領事館分館
    外務省記録 『在外帝国公館二銃器弾薬備付雑件 第二巻』
    在揺鹿分館主任望月紙一郎||関東都督男爵大島義昌
    明治39年12月22日~大正11年7月28日
    「掏鹿分館 分第六一号 綴込名在分不総銃兵器備 大正十一年七月二十八日 在掏鹿 分館主任望月紙一郎 外務大臣伯爵内田康哉殿 南部式自働拳銃送付方禀請ノ件従来当館備仕「スシスヘウエツソン」式拳銃ノ使用八一発毎年エ引金ヲ柚カサレハ発射為シ得サルノ欠点リ有スルヲ以テ殆ント連発銃ト認メ難キ最モ旧式ナル指造ナルカ故ニ現今ノ如ク「モノゼル」又ハ「ブローニング」五連又八十連自働連発拳銃ノ如キ軽妨迅速ナル機能リ備ヘ橋威リ有スル拳銃流行ノ今日ニ於ケハ到底其用リ為サル有様ニ有之殊ニ不得朝鮮人等ノ如キハ金リ右モーゼル式リ新持セサルハナリ宛児ナルヨリ常ニ之等不逞情捜査揵捕等ノ場合ニ於ケハ不得在当民ノ支持セル多少右「スシ
  9. ^ Refcode:C03022605900
    『自働拳銃供給に関する件』
    陸軍省大日記 東少将 大正08年04月19日
    「軍 密受第二一六号 東少将 自働拳銃供給ニ関スル件 銃密受第六一号 回答(電報) 次官ヨリ東少将ヘ 十九日支極秘一五一見タ(自働拳銃ヲ砲兵工廠ヨリ供給スルコト困難ナルモ東京瓦斯電気工業株式会社ニ於テ目下参戰軍用ノモノ製作中ナルヲ以テ其一部ハ之ト同期限内ニ残部ハ参戰軍供給后約二箇月以内ニ供給シ得其契約ニ関シテハ直接同会社ト交渉セラレタシ但シ現品ノ受拠ハ和平会議成立後)トス 陸第二五一号 注意 主要部分暗号ニ作ル 第三号 電報訳 四月十九日午後三時四五分発 四月十九日午前二時三〇分著 陸軍次官 発信者 東少将 支極秘一五一 今朝水原 京漢保線管理局長丁子源ヨリ京漢鉄道職員ノ自衛用トシテ自働拳銃五百挺購入シタヲ旨懇@シ来ハリ(過般モ京漢線ニ於テ職員強盗ニ遭~」
    尚、同資料中にはセミョーノフ軍向けの兵器も同様の手法で製作した旨が記されている。
  10. ^ Refcode:C03022549500
    『支那邊防軍所要拳銃並に同実包送付に関する件』
    陸軍省大日記 兵器局銃砲課 大正10年 「軍 密受第七二号 支那邊防軍所要拳銃並ニ同實包送付ニ関スル件 銃密第一号 (電報) 暗号 次官ヨリ東少将ヘ 邊防軍所要南部式拳銃百挺並同實包二萬發陸軍兵器本廠ヨリ天津駐屯軍司令部宛送付ス但シ實包ハ最初三千發ヲ送付シ残リ一萬七千發ハ後日更ニ発送ノ筈ニ付承知アリ度 同官ヨリ天津駐屯軍司令官ヘ 暗号 邊防軍所要南部式拳銃百挺並同實包二萬發陸軍兵器本廠ヨリ貴部宛送付セシム但シ實包ハ最初三千發ヲ送付シ残リ一萬七千發ハ後日更ニ送付セシム現品到著ノ上東少将ニ通知アリタシ (注意)右@電報ハ全文暗号 ニ作ル 陸密 通牒 副官ヨリ陸軍兵器本廠長ヘ 別紙ノ通貴廠ヨリ直接天津駐屯軍司令部宛送付方取計相成度候也 追@送付ニ要スル費用ハ供給者ノ負担トシ送付ニ関スル委細ノ事項ハ供
  11. ^ Refcode:C03011388700
    『挙銃下付の件』
    陸軍省大日記 陸軍技術本部長 宮田太郎 大正9年
    「第一九五号 三第九八二号 拳銃下付ノ件 銃三第一七二号 指令 申請ノ通 陸普 陸軍兵器本廠ヘ達 左記ノ通其廠ヘ達 左記ノ通其廠ニテ調達ノ上試験用トシテ陸軍技術本部ヘ下付方取計フヘシ 陸普第五二九一号 但シ費用ハ軍事費兵器弾薬費ヨリ仕払フヘシ 左記 南部式大形拳銃 嚢及属品共 小形拳銃 甲第三二四号 拳銃下附相成度件申請 大正九年十一月二十日 陸軍大臣男爵田中義一殿 拳銃ノ制式改正ノ目的ヲ以テ機能及命中試験実施致度候ニ付左記拳銃試製下附相成度申請候也 左記 南部式少形拳銃 以上」
  12. ^ Refcode:C03011426200
    『顧問應聘許可の件』
    陸軍省大日記 陸軍少将 南部麒次郎 大正10年
    「五第一〇五五号 顧問應聘許可ノ件 第二号 人@第五号 指令案(東京砲兵工廠経由) 願ノ通 人@甲第五七号 顧問応聘ノ件願 東京砲兵工廠 大正九年十二月二十日 陸軍大臣男爵田中義一殿 今般東京瓦斯電気工業株式会社ヨリ自働拳銃並三年式機関銃ノ製作ニ関シ小官ヲ顧問ト致度旨申来リ候ニ付テハ公務ニ差支ナキ程度ニ於テ之ニ応シ度候間許可相成度候也 表記願出ノ件当廠ニ於テハ差支無之候也 追テ東京瓦斯電気工業株式会社社長ヨリノ願書写添付致候 大正九年十二月二十一日 東京砲兵工廠提理松浦善助 御伺 大正九年十二月 東京瓦斯電
  13. ^ 拳銃用弾薬20~30万発の需要から推定される孫岳軍内の南部式大型自動拳銃の総数は1,500挺前後と考えられる。
    Refcode:C03022705800
    『馮玉祥及孫岳軍より申出に係る兵器に関する件』
    陸軍省大日記 大正14年 6冊の内第3冊
    軍務局軍事課||支那公使館附武官||兵器局銃砲課
    「参謀本部 銃 砲 密受第八二号 馮玉祥及孫岳軍ヨリ申出ニ係ル兵器ニ関スル件 大臣閣下ノ命ヨリ本文上記ノ通リ変更ス 軍事課 之彈丸「ハ現品僅少ニシテ交付シ難シ」右ニテ@ 次官ヨリ在支公使館附武官ヘ電報(暗号) 一月三十一日発支第四五号総務部長宛電返馮玉祥軍側ノ三八式野砲用表尺ハ申出ノ通リ十個(一個二百三十円)駐屯軍ヲ経テ無償交付シ得ルモ孫岳軍側ノ南部式自動拳銃弾丸ハ極メテ僅少ニシテ交付シ難シ」右ニテ差支ヘナケレハ送付ノ手配致スへシ返以区外務省側ニハ極秘ニツキ含ミアリ度シ 表尺ハ廃品トシ駐屯軍隊習用具トシテ交付シ軍ニテ廃品トシテ処分交付ス 弾丸ハ現品僅ニ二千発ナルヲ以テ交付セス 大正十四年二月二日電報 一月三十一日午后二、〇分発 九、四十七分著 総務部長」
  14. ^ Refcode:C02031632200
    『小形自働拳銃實包製造並授受の件』
    陸軍省大日記 兵器局銃砲課 大正2年2月
    「二第二九八号 兵器局銃砲課 小形自働拳銃実包製造益授受ノ件 主務局長 銃甲第二〇号 大正2年2月26日 大正2年2月27日 陸普 東京砲兵工廠ヘ達 一、小形自働拳銃實包十一万発右製造ノ上兵器本廠ヘ引渡スへシ 但シ費用ハ軍事費兵器彈薬費ヨリ仕拂ハシメ候条同廠ヘ請求スヘシ 2月27日 陸普 兵器本廠ヘ達 一、品目員数前同断 右製造引渡方東京砲兵工廠ヘ達置候条受領シ総予備トシテ各支廠及同出張所(東京支廠ヲ除ク)ヘ適宜分置貯藏スヘシ 但シ費用ハ軍事費兵器彈薬費ヨリ仕拂フヘシ 陸普第五七〇号 2月27日
  15. ^ Refcode:C03024891200
    「小形自動拳銃用実包備附の件」
    陸軍省大日記 青島守備軍 大正7年3月 欧受第四四二号
    小形自動拳銃用実包備付ノ件
    銃欧受第三四号 欧発 通牒 副官ヨリ青島守備軍参謀長ヘ
    『首題ノ件ニ関シ貴司令官ヨリ本月十五日付青副兵第二五号ヲ以テ大臣宛上申相成候処右ハ陸軍兵器本廠ヲシテ備付方取計ハシメ候条承知相成度候也 三月二十五日 同官ヨリ陸軍兵器本廠長ヘ 小形自動拳銃実包 右大正二年三月四日付陸普第六七○号ニ依リ繰替交付ノ為トシテ大正二年二月二十七日付陸普第五七○号ニ依リ総予備トシテ貴廠ニ貯蔵ノ中ヨリ青島陸軍兵器廠ヘ備付方取計相成度候也 欧発第二八四号 三月二十五日 将校同相当官ヘ繰替払下ノ為大正二年陸普六七○ニ依リ各兵器支廠ニ五○○○発宛交付シアリ』

    陸軍省受領 欧受第四四二号 三月二十日 青副兵第二五号
    「小形自動拳銃用実包備付ノ件」 大正七年三月十五日
    青島守備軍司令官 本郷房太郎 陸軍大臣 大島健一殿
    『従来当軍兵器廠ニハ南部式小形自働拳銃用實包ノ備付無之候為将校同相當官ヨリ其の払下ヲ願出タル際ハソノ都度東京陸軍兵器支廠ヨリ繰替送付ヲ受ケ居ル結果多の時日ト運搬費トヲ要シ不便不甚?候条自今鋏?弾薬補充出願者ニ対スル繰替交付用トシテ左記ノ通青島陸軍兵器廠ヘ備付相成度候也 左記 南部式小型自働拳銃用實包 弐千發
  16. ^ Refcode:C03022552300
    『兵器払下の件』陸軍省大日記 密大日記大正10年6冊ノ内第3冊
    東京砲兵工廠提理 松浦善助 泰平組合理事 阿多廣介
    「密受第七三九号 東京砲兵工廠 兵器拂下ノ件 銃密受第一〇七号 指令 申請ノ通 廠密第七〇号 兵器拂下ノ件申請 大正十年十二月十四日 陸軍大臣 山梨半造 泰平組合理事阿多廣介ヨリ別紙泰東砲第一七三号記載ノ兵器見本トシテ拂下出願有之候ニ付許可致度候間認可相成度候也 暹羅檢査官呈上用 泰東砲第一七三号 製作御願 南部式小型自動拳銃 實包 右弊組合見本用トシテ何卒至急御製作被成下度此段奉願上候也 大正十年十二月十日 東京砲兵工廠提理 松浦善助」
  17. ^ Refcode:C04120487900
    『戦時旬報提出の件(3)』
    陸軍省大日記 昭和13年 「陸支密大日記 第41号」
    「ス 22、方軍作命丙第三五〇号中左記兵器追加相成度方軍兵弾第七四号ヲ以テ通牒ス 左記 四一式山砲榴弾々薬筒 三〇〇 同榴@弾々薬筒 一〇〇 九一式曳火手榴弾 五〇〇 南部式小型自動拳銃 五〇
  18. ^ a b c d e f g h i j k l 床井雅美『アンダーグラウンド・ウェポン 非公然兵器のすべて』日本出版社 ISBN 4890483209 p150
  19. ^ 佐山二郎『小銃 拳銃 機関銃入門』光人舎NF文庫N-284 光人舎

関連項目[編集]

外部リンク[編集]