三十年式実包

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6.5mm×50SR 三十年式実包
種類 ライフル
原開発国 日本の旗 日本
使用史
使用者・地域 大日本帝国
使用戦争 日露戦争
特徴
薬莢形状 セミ・リムド ボトルネック
弾丸 6.65 mm (0.262 in)
首径 7.34 mm (0.289 in)
肩径 10.59 mm (0.417 in)
底面径 11.35 mm (0.447 in)
リム径 11.84 mm (0.466 in)
リム厚 1.143 mm (0.0450 in)
薬莢長 51 mm (2.0 in)
雷管のタイプ Large rifle
弾丸性能
弾頭重量/種類 初速 エネルギー
10.5 g (162 gr) FMJ 700 m/s (2,300 ft/s) 2,572.5 J (1,897.4 ft⋅lbf)

三十年式実包(さんじゅうねんしきじっぽう)とは、村田連発銃実包(8mm×53R)に代わる新しい小銃弾薬として、1897年(明治30年)に三十年式歩兵銃と共に採用された弾薬である。三十年式銃弾薬筒三十年式銃実包三十年式小銃実包三十年式歩兵銃実包等とも表記される。

三十年式歩兵銃のほか、三十年式騎銃三十五年式海軍銃保式機関砲(保式機関銃)にも使用され、採用初期の三八式歩兵銃三八式騎銃三八式機関銃にも使用された。弾頭は円頭型(蛋形)である。

性能[編集]

初期の三十年式実包は、2.07gの小銃用無煙火薬で10.5gの弾頭を発射した[1]。三十年式歩兵銃から射出された弾丸は初速700m/sを発揮した[2]

三八式歩兵銃の制式化に伴い、1907年(明治40年)9月に今までの円頭弾(蛋形弾)に替わり、尖頭弾である四〇式銃弾を装した三八式実包が採用された。これは2.15gの無煙小銃薬を用い、9gの弾頭を初速770m/sで発射するようになった。

同時期の世界各国の6.5mmクラスの実包では、イタリアのカルカノ弾(6.5mm×52)、スウェーデンのスウェーディッシュ・モーゼル弾(6.5mm×55)、オーストリアのマンリッヒャー弾(6.5mm×54)などがある。

弾種[編集]

三十年式実包の弾薬は、実包、空包、擬製実包の三種が制定されていた[3]。後、狭窄射撃実包が加えられた。

構造[編集]

三十年式実包は、薬莢、雷管、装薬、弾丸から構成されている。 全長51mmの薬莢は黄銅を数回鍛錬し、さらに圧搾してボトルネックの形状を作っている。薬莢の内部は、前部の絞られた形状の弾丸室と、後部のゆるくテーパーのついた装薬室から成る。底部には半起縁式のリムを持ち、起縁溝がある。この溝はエキストラクターの爪をかける部分である。薬莢の底部には雷管室があり、雷管をはめこむようになっている。この雷管室の中央に小突起部があり、雷管の発火を確実にしている。これはベルダン式の構造である。射撃時にこの突起が変形する恐れがあり、空薬莢の再使用ができなかった。雷管は黄銅製で小型のカップ状をしており、0.02gの爆粉を内蔵している。この爆粉は錫板で密閉された。薬莢内部には無煙小銃薬を収め、薬量は2.07gである。弾丸は内部に純鉛の弾芯があり、これを白銅で被甲している。弾丸直径は6.65mm、長さ32.5mm、重量は10.5gである。実包の全備重量は22gであった[1]

実包は5発が挿弾子(クリップ)に挿入されており、これを3個合わせ、紙函(紙箱)に保管されていた。銃弾箱には、一箱あたり1,260発が収納されていた。重量は41㎏である。クリップは黄銅製、内部に鋼製のバネがついている[1]

空包は薬莢、雷管、装薬および紙製の擬製弾丸から構成されている。薬莢と雷管は実包と同様である。この擬製弾丸は厚紙でできており、外側に空包塗料「ベルニー」を塗って仕上げてある。装薬量は0.8gで、小銃用無煙空包薬[4] を用いた。空包の全備弾量は10.42gである。空包もまたクリップに5発ずつ挿入され、15発一括で紙箱に入れられた[1]

擬製実包は薬莢と擬製弾丸から構成された。両方とも黄銅製である。薬莢には火薬、雷管を装備しない。雷管の代わりとして、底部に爆粉を入れていない銅製の管をとりつけた。薬莢外部には、二条の刻線(ローレット)による帯を刻んでいる。また黄銅製の擬製弾丸は中空で、表面には二条の溝が彫られている。クリップは全て鋼製であり、色は暗色であった[1]

このほか、訓練射撃用に狭窄射撃実包が用意されていた。これは球形の弾丸と円筒形の木製の栓(木塞)を薬莢に詰めたものである。木塞は球形弾の後方に詰められた[5]。装薬は無煙小銃薬で装薬量0.4g、着火を確実にするため、装薬を綿で薬莢底部に固定している。狭窄射撃実包は小銃射撃動作の訓練、航空機の射撃訓練、動目標への射撃訓練、夜間射撃訓練などに用いられた[6]

現在[編集]

三十年式歩兵銃や三八式歩兵銃の少なからぬ数が、戦後欧米の銃器市場でスポーツ射撃又は狩猟銃として出回った事により、三十年式実包は後継の三八式実包共々、現在も一定以上の需要が存在し続けている。欧米市場では両弾薬を一括して6.5mm×50 セミリムド アリサカという規格で取り扱っており、実包はスウェーデンノルマ社、米国ホーナディ社やプレシジョン・カートリッジ社等から販売されている。なお、薬莢長はオリジナルの軍用実包が51mm(2 in)なのに対して、民生の6.5mm×50SR規格は50.39mm(1.984 in)となっており、若干長さに違いが見られる。ハンドロードに用いられる薬莢はセルビアPrviパルチザン社から販売されている他、.220 スウィフト弾用の薬莢をリサイズして用いる場合もある。弾頭は0.264口径のものが適用できる。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 陸軍省『教育総監部 30年式歩兵銃及騎銃保存法(2)』
  2. ^ 佐山二郎『小銃 拳銃 機関銃入門』439頁。
  3. ^ 陸軍省『教育総監部 30年式歩兵銃及騎銃保存法(2)』
  4. ^ 無煙小銃空包薬とも。後に一号空包薬に改称された。
  5. ^ 『陸軍省『砲兵会議 30年式銃狭窄射撃実包制式制定』
  6. ^ 佐山二郎『小銃 拳銃 機関銃入門』77頁。

参考文献[編集]