九七式手榴弾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
Type 97 grenade.jpg
正式名称 九七式手榴弾
長さ 9.8cm
直径 5cm
重量 455g
炸薬 TNT65g(茶褐薬)
遅延時間 4~5秒
製造国 日本

九七式手榴弾(きゅうななしきてりゅうだん)は、1937年(昭和12年・皇紀2597年)に大日本帝国陸軍(以下陸軍という)で開発された手榴弾である。

概要[編集]

九七式手榴弾の開発以前、陸軍で使用していた代表的手榴弾として九一式手榴弾が存在した。九一式手榴弾は底部に推進用の装薬室が装着され、通常の手投げから擲弾筒の利用も可能だった。しかし擲弾筒利用の目的から遅延時間は7-8秒と長く、投擲しても敵兵が投げ返してくることが多かった。

昭和12年9月15日の兵第七四八号通牒により、陸軍は擲弾筒兼用ではなく手投専用の手榴弾の開発を行った。対応を急いだことと、従来の九一式曳火手榴弾に改修を加えただけのものであることから、機能試験を実施しておらず、昭和12年10月2日には仮制式が上申されている。1937年(昭和12年)に誕生したのが九七式手榴弾である。

構造[編集]

九七式手榴弾、ホノルルの陸軍博物館収蔵品。

目的は破片によって人馬を殺傷することであり、防御型手榴弾に分類される。形状は円筒型であり、鋳鉄製の弾体の外面には筋目が施されている。これは炸裂によって適当な大きさの破片を多数生成しようとする意図があった。ただし破片の効果的な生成には、外部より内部に筋目を入れなければ効果がない。手投専用の目的から擲弾筒用の推進用装薬室は廃止された。炸薬はTNT火薬(茶褐薬)65gが用いられ、弾体に圧搾直接充填されていた。

弾体の上部に、起爆筒と呼ばれる銅製の信管が装着されている。信管は曳火手榴弾九七式信管を用いた。これは曳火手榴弾十年式信管と構造機能はほぼ同じだが、火道薬の長さが20mmに短縮されていた。管薬の長さは15mmとされた。これにより遅延時間が7-8秒から4-5秒に短縮されている。起爆筒の外部には区別のための注意書きが「四-五秒」と刻印され、また被帽(キャップ)に紫色標識が付けられていた。信管用の火薬には茗亜薬雷汞を充填していた。さらに信管筒側面には小さな穴が存在し、信管作動中の煙を外部に逃がすことが出来たが、使用者の手に火傷を負わせる危険性があった。信管内の撃針は、不用意に雷管を叩かぬ目的から信管上部のカバーと共に安全ピンで固定されている。

また九一式手榴弾との誤使用を防ぐ目的を含め、弾底にも標識紙が貼られ、「延期秒時四-五秒」と印刷されていた。これにより九一式手榴弾との区別を行っている。

使用方法は、まず起爆筒に付属している安全ピンを抜いた後に起爆筒を叩き、内部の導火線部に摩擦発火させ投擲を行う。しかし当時の連合軍が使用する手榴弾に比べて炸薬量は少なく、威力も小さかった。スプリングによって自動的に信管に点火させる連合軍の手榴弾に比べ発火に要する動きが一つ多い。

九七式手榴弾は手投専用に設計されてはいたが、九九式小銃三八式歩兵銃に装着して使用する簡易擲弾器も考案されている[1]

脚注[編集]

  1. ^ 第1陸軍技術研究所『簡易擲弾器ノ参考』

参考文献[編集]

  • 陸軍技術本部『手投弾薬九七式手投榴弾外1点仮制式制定の件』昭和12年10月。アジア歴史資料センター C01001612200
  • 第1陸軍技術研究所『簡易擲弾器ノ参考』昭和20年2月。アジア歴史資料センター Ref.A03032104000

関連項目[編集]