ビリー・ザ・キッド

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ビリー・ザ・キッドの逆像フェロタイプ写真。

ビリー・ザ・キッドBilly the Kid, 1859年11月23日 - 1881年7月14日)は、アメリカ西部開拓時代カウボーイ無法者

ニューヨークに生まれ南部で育ったと言われる。本名はヘンリー・マッカーティー(Henry McCarty)とされるが、偽名としてヘンリー・アントリム(Henry Antrim)、ウィリアム・H・ボニー(William H. Bonney)という名前も知られている。ウィリアム・H・ボニーの名はサインに使われ、知事に恩赦を求めて本人が書いた手紙等が残っているほか、下記の墓石にも刻まれている。

南北戦争期でも特に知られたアウトローで、伝説では12歳の時に母親を侮辱した男を殺してアウトローとなったとされるが、実際には家を出たのが母が死んだ15歳の時、最初の殺人を犯したのが17歳の時であったという。10代はじめに殺人を犯してから死ぬまでに21人を殺害した(メキシカンインディアンは含まない)という。しかし、その実数はおそらく9人(自分1人で4人、他の助けを得て5人)ではないかとも言われている。アリゾナテキサス、さらにメキシコ国境で牛泥棒、強盗や殺人を重ねた。目は青く、その時代のアメリカ西部の無法者としては口が達者で、異様に親しみやすい態度の持ち主であったという。

1880年12月に友人でもあった保安官パット・ギャレットによって仲間と共に逮捕される。1881年4月18日に刑務所を脱走。同年7月14日、ニューメキシコ州フォートサムナーにてギャレットに射殺される。その時ビリーは丸腰で寝室から食べ物を取りに部屋を出たとこを闇討ちされたと言われる。寸前に発した最後の言葉は「¿Quién es?(スペイン語で「誰だ」の意)」とも言われている。

ビリー・ザ・キッドの墓

彼の墓石は有名人にありがちなことに、度々記念品として削られて持ち帰られてしまうため、現在は写真のように檻の中にしまわれてしまっている。 墓石にはこのような墓碑銘が刻まれている。

Truth and History.

21 Men.

The Boy Bandit King

He Died As He Lived

William H. Bonney "Billy the Kid"

真実と経歴。21人を殺した。少年悪漢王 彼は彼らしく生きて死んだ ウィリアム・H・ボニー 『ビリー・ザ・キッド』

[編集] ビリー・ザ・キッドをテーマとした作品

映画

歌・音楽

小説

  • 1974年 - マイケル・オンダーチェ「The Collected Works of Billy the Kid」(邦題『ビリー・ザ・キッド全仕事』)
  • 1981年 - 片岡義男『友よ、また逢おう-ビリー・ザ・キッドの伝説』
  • 1987年 - N.スコット・ママデイ (N. Scott Momaday) 「The Ancient Child」

漫画

  • ウルフガン - 村枝賢一による、ビリー・ザ・キッドをテーマにした読みきり漫画作品。『村枝賢一短編集 1 ウルフガン』に収録。

なお、『ドラえもん』に登場するドラ・ザ・キッドや『キン肉マンII世』に登場するテリー・ザ・キッドの名前は、このビリー・ザ・キッドに由来している(キッドも参照)。

[編集] 関連項目