ハンス・モドロウ

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ハンス・モドロウ
Hans Modrow
Modrow.jpg

任期 1989年11月13日1990年4月11日

出生 1928年1月27日(86歳)
ドイツの旗 ドイツ国 ヤセニッツ
(現ポーランド領)
政党 ドイツ社会主義統一党(当時)
1989年12月22日、ベルリン・ブランデンブルク門の開通式におけるモドロウ(左端)と西ドイツ首相ヘルムート・コール(中央左)

ハンス・モドロウHans Modrow, 1928年1月27日 - )はドイツ政治家ドイツ民主共和国(東ドイツ)の最後の共産系首相で、「東ドイツのゴルバチョフ」と呼ばれた。現在は左翼党の名誉議長を務める。

経歴[編集]

東ドイツ時代[編集]

ヴァイマル共和政下のヤセニッツ(現ポーランド領ポリーツェ:Police)で生まれた。機械技師の職業訓練を受けたのち、第二次世界大戦末に短期間だけ国民突撃隊におり、ソ連軍戦争捕虜として収容された。収容中ソビエト連邦の「反ファシズム学校」で教育を受ける。1952年 - 1953年にモスクワのコムソモール大学で学び、さらに1954年 - 1957年には党のカール・マルクス大学の通信教育を受け、学士号を取得。さらに1959年 - 1961年に東ベルリンのブルーノ・ロイシュナー経済大学の通信教育を受けて経済学士号を取得。1966年にはベルリン大学から経済学博士号を授与された。

1949年にソ連から帰国した後、東ドイツの支配政党である社会主義統一党 (SED) に入党。その青年団組織である自由ドイツ青年団 (FDJ) と自由ドイツ労働総同盟に参加し、FDJの中央評議会委員を務める。1954年に党のベルリン地区指導部委員に就任。1958年に人民議会議員に選出され、1990年の東ドイツ消滅まで務めた。1961年、ベルリン・ケペニック地区第一書記。のちベルリン地区党指導部の宣伝担当書記。1967年、党中央委員会委員に選出され、宣伝部で働く。1973年、SEDドレスデン地区第一書記。1975年に祖国功労勲章、1978年にカール・マルクス勲章受章。

ドイツ再統一とその後[編集]

東欧革命の影響で東ドイツ国内が不穏になっていた1989年10月4日、警察に命じてドレスデンのデモ隊を逮捕させた(のちに「中央からの指示だった」と釈明)が、5日後の10月9日に反政府派との対話集会を企画し、党内の改革派と目されるようになる。そのためソ連の指導者ミハイル・ゴルバチョフの支持を得ることに成功した。同年11月にSED政治局員に選出され、1989年には首相(閣僚評議会議長)のヴィリー・シュトフが辞任したことを受けて、11月13日にその後継となった。同年12月7日、SED党首の座からエゴン・クレンツを追放した後、モドロウが東ドイツの事実上の指導者となったものの、改名された民主社会党 (SED-PDS) の党首にはならず副党首になった。崩壊寸前の東ドイツを維持するべく、モドロウは市民運動家との対話を試み、2月5日には円卓会議の代表者を無任所相として入閣させた。この内閣は自宅の建つ土地の所有権を認めるいわゆる「モドロウ法」を制定している。1990年3月18日に行われた人民議会初の(そして最後の)自由選挙後、首相を辞任。

翌年のドイツ再統一に際し、彼は人民議会現職議員として連邦議会に加わった。1993年、連邦裁判所は、1989年5月のドレスデン地方議会選に関連し、3つの選挙違反でモドロウを有罪としたが、後の連邦裁判所の再審でこの判決は取り消された。ドレスデン地裁の懲役9か月と罰金5,000マルクの判決は1995年に確定したが、時効扱いとなった。

1999年、欧州議会議員に選出された。開発援助委員会に所属し、チェコとの欧州連合加盟交渉では責任者の一人となった。2004年の欧州議会選挙にはPDSのロタール・ビスキー議長の要請を受けて出馬せず、一期で終えた。2006年に雑誌のインタビューで「ベルリンの壁での死者への責任は壁の両側にある」「東ドイツとは社会主義発展の実験で、民主主義にとっても有意義なものだった」と述べて物議をかもした。

反省の弁[編集]

1990年に日本の海部俊樹首相がヨーロッパ諸国を訪問した際、予定が合わずモドロウとの会見は実現しなかった。だが後日、海部のもとにモドロウより書簡が届き、そこには「東ドイツ国民が西ドイツ国民に劣っているのではなく、国家建設のために選択した教科書が間違っていた」と綴られていたという[1]

出典[編集]

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  1. ^ 海部俊樹 (2010). 政治とカネ. 新潮新書. pp. 114-115. ISBN 978-4-10-610394-0. 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
ヴィリー・シュトフ
東ドイツの旗 ドイツ民主共和国
閣僚評議会議長

第5代:1989 - 1990
次代:
ロタール・デメジエール