テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェーク
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| テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェーク Theobald von Bethmann Hollweg |
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ドイツ帝国
第5代宰相 |
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| 任期: | 1909年 – 1917年 |
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| 出生: | 1856年11月29日 |
| 死去: | 1921年1月1日(満64歳没) |
テオバルト・テオドール・フリードリヒ・アルフレート・フォン・ベートマン・ホルヴェーク(Theobald Theodor Friedrich Alfred von Bethmann Hollweg, 1856年11月29日 – 1921年1月1日)は、ドイツの政治家。ドイツ帝国第5代宰相。「灰色の猊下(Gray Cardinal)」と呼ばれた。
生涯 [編集]
1856年11月29日、地方公務員の息子として生まれる。1879年プロイセン王国内務省に入省し順調な昇進を重ね、1907年にはベルンハルト・フォン・ビューロー内閣の内務大臣に就任した。1909年、宰相に就任し外交に力を注ぐようになる。
戦時中は参謀本部の独走を抑えられなかった。しかしこれはどのヨーロッパ諸国も同一だった。ただ、無制限潜水艦作戦はアメリカの参戦を招くとして最後まで反対した。これは結果的に正しかった。1916年まで、内心では条件つき和平のチャンスを伺ったが、軍部の現状前線維持方針、すなわちベルギーの獲得が障害となり果たせなかった。同年夏にはドイツ軍参謀総長エーリッヒ・フォン・ファルケンハインの追い落としに加わった。1917年1月、ルーデンドルフは無制限潜水艦作戦を強力に主張、それに反対したベートマン・ホルヴェークは政府内で影響力を失った。同年7月、軍部の意向に沿う宰相を望んだルーデンドルフに追われ、ゲオルク・ミヒャエリスに交代させられた。事実上の失脚である。
人物 [編集]
趣味はピアノ演奏。就寝前にベートーヴェンのピアノソナタを弾くことが多かったという。
外部リンク [編集]
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