コンスタンティン・フェーレンバッハ

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コンスタンティン・フェーレンバッハ
Konstantin Fehrenbach
Bundesarchiv Bild 183-R18733, Konstantin Fehrenbach.jpg

任期 1920年6月25日1921年5月21日

出生 1852年1月11日
War ensign of the German Empire Navy 1848-1852.svg ドイツ連邦
Flagge Großherzogtum Baden (1891–1918).svg バーデン大公国 ボンドルフ
死去 1926年3月26日(満74歳没)
ドイツの旗 ドイツ国 フライブルク・イム・ブライスガウ
政党 中央党
配偶者 マリー・ホスナー
署名 Constantin Fehrenbach signature.svg

コンスタンティン・フェーレンバッハKonstantin Fehrenbach, またはConstantin Fehrenbach, 1852年1月11日 - 1926年3月26日)は、ドイツ政治家中央党員で、ヴァイマル共和国初期に首相を務めた。コンスタンチン・フェーレンバハなどとも表記される。

生涯[編集]

フリードリヒ・エーベルト大統領(手前左)とフェーレンバッハ首相(手前右)1920年9月、フロイデンシュタットにて

1852年1月11日、バーデン大公国ボンドルフ(現バーデン=ヴュルテンベルク州南部)で生まれた。父は村の教師で、息子が神父になることを望んでいた。フライブルク大学カトリック神学を学ぶが、禁欲主義は自分に向いていないと感じて法学に転じる。1879年に司法試験に合格。同年弁護士の娘と結婚し一女をもうける。1882年にフライブルクで弁護士事務所を開業。1884年には中央党から出馬して市議会議員に当選。大聖堂の修復協会や男声合唱団への参加で地元との結びつきを強め、1885年にはバーデン大公国(州)議会議員に選出されるが、自党の教会政策に疑問を持ち2年後に議員を辞した。

1901年に州議会に復帰し、1903年より帝国議会議員となった。1907年には保守系政党の幅広い支持を得て、州議会議長に選出される。1913年、国会演説で「国家内国家」として振る舞う参謀本部を批判し立憲主義を主張して注目され、保守系のみならずかつて対立したドイツ社会民主党などからも支持を得る。1918年には帝国議会議長に就任。君主制を支持していたため第一次世界大戦末期のドイツ革命に衝撃を受け、帝国議会をそのまま維持することで君主制存続を図ったが、人民代表員委員会の反対で失敗に終わった。ヴァイマルにおける憲法制定議会でも議員及び議長を務めた。フェーレンバッハ自身はこの職には乗り気ではなかったが、要職を社会民主党が独占することに反対した中央党内の声に押される形となった。

1920年6月2日の国会選挙が急進左派と右派の躍進という結果に終わったことで、従来の社会民主党・中央党・ドイツ民主党による内閣から社会民主党が外れ、右派のドイツ人民党が加わった新内閣が成立した。中道路線の中央党は、穏健右派・穏健左派との連立の要となりやすく、中央党のフェーレンバッハがこの際の首相をつとめることになった。68歳と高齢であったフェーレンバッハは長らく躊躇したものの、最終的に首相職を受けた。フェーレンバッハ内閣は、ヴェルサイユ条約では具体的に決定されていなかった賠償金の額を確定させるために連合国との交渉にあたったが、とりわけフランスの強硬的な主張により提示された2,260億金マルクという極めて苛酷な額(のちに1,320億金マルクに改定)は、とうてい受け入れられるものではなかった。そのため、連合国がルール地方の工業都市を占領(1923年のルール占領とは別)するなど交渉は行き詰まった。閣内でも賠償の取扱いをめぐって紛糾し、1921年5月にフェーレンバッハ内閣は退陣へと追い込まれ、中央党左派で賠償金支払いを受け入れる方針をとったヨーゼフ・ヴィルトが首相となった。ヴィルト内閣では人民党は連立から離脱している。

首相退任後も精力的に活動し、ヴァルター・ラーテナウ外相暗殺など一連の政治テロに衝撃を受け、反セム主義防護協会の副会長に就任した。過激派に反対し共和制民主主義を護るため、左右を越えた超党派準軍事団体「帝国国旗、黒・赤・金」設立にも関わった。1926年にフライブルクで死去するまで、中央党の議員団長を務めた。

参考文献[編集]

  • 成瀬治ら『世界歴史大系 ドイツ史3』山川出版社、1997年

外部リンク[編集]


議会
先代:
ヨハネス・ケンプフ
ドイツの旗 ドイツ帝国議会議長
1918
次代:
パウル・レーベ
(ヴァイマル共和制)
公職
先代:
ヘルマン・ミュラー
ドイツ国の旗 ドイツ国首相
第4代:1920 - 1921
次代:
ヨーゼフ・ヴィルト