マクシミリアン・フォン・バーデン

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マックス・フォン・バーデン
Max von Baden
Bundesarchiv Bild 183-R04103, Prinz Max von Baden.jpg

ドイツ帝国
第8代帝国宰相
任期 1918年9月30日1918年11月9日

出生 1867年7月10日
バーデン=バーデン
死去 1929年11月6日(満62歳没)
ザーレム(バーデン=ヴュルテンベルク州)
政党 無所属

プリンツ・マクシミリアン・アレクサンダー・フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・バーデンPrinz Maximilian Alexander Friedrich Wilhelm von Baden, 1867年7月10日 - 1929年11月6日)は、バーデン大公家家長。マックス・フォン・バーデン(Max von Baden)の短縮形の名で知られる。

人物・来歴[編集]

プロイセン将軍であったバーデン大公子ヴィルヘルム[1]と、ロイヒテンベルク公女マリア・マクシミリアノヴナ[2]の長男として、バーデン=バーデンで生まれた。最後のバーデン大公フリードリヒ2世の従弟にあたる。

第一次世界大戦前から自由主義者で知られ、1918年10月にドイツ帝国宰相に任命され連合国との休戦交渉を担ったが、ドイツ政府はすでに軍部に掌握されており、マックスの行動の余地は狭かった。マクシミリアンは、ヴィルヘルム2世が帝位を保持することはできないと悟っており、ホーエンツォレルン家を救うために退位を促した。彼は事態はもはや一刻ではなく分や秒を争うとヴィルヘルムに迫ったという[3]パウル・フォン・ヒンデンブルクヴィルヘルム・グレーナーらも同調したが、ヴィルヘルムは退位を拒絶した。

やがてヴィルヘルム2世は、帝位は退位し、プロイセン王位は保持するという苦肉の案に飛びついたが、マクシミリアンはヴィルヘルム2世の同意なしに皇帝(およびプロイセン王)の退位を発表した。しかし時すでに遅く、1918年11月9日ドイツ共和国成立の宣言がされた。マクシミリアンはフリードリヒ・エーベルトに後を託し、自身も辞職した。マクシミリアンは退役して余生を過ごし、1928年にフリードリヒ2世よりバーデン大公家家長を継いだが、翌年に死去した。

家族[編集]

ハノーファー王太子エルンスト・アウグストの長女マリア・ルイーゼ・フォン・ハノーファーと結婚。2子をもうけた。

出典・脚注[編集]

  1. ^ バーデン大公レオポルトと妃ゾフィー・ヴィルヘルミーネの四男
  2. ^ ロシア皇帝ニコライ1世及びウジェーヌ・ド・ボアルネの孫娘
  3. ^ 『世界の歴史・第一次世界大戦』(中央公論社 1966年)による。なお、この書ではマックスを「バーデン大公」としているが、彼が大公位を継ぐのは10年後のことであるから、正確な記述ではない。

関連項目[編集]

先代:
フリードリヒ2世
バーデン大公家家長
1928年 - 1929年
次代:
ベルトルト
先代:
ゲオルク・フォン・ヘルトリング
ドイツ帝国宰相
1918年
次代:
フリードリヒ・エーベルト
先代:
ゲオルク・フォン・ヘルトリング
プロイセン王国首相
1918年
次代:
フリードリヒ・エーベルト