ヴォルフガング・フォン・ヘッセン

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ヴォルフガング
Wolfgang
ヘッセン=カッセル家
Kronberg Kinderrennen 1907.jpg
クロンベルクでの子供向けイベントに参加する、少年時代のヴォルフガングと3人の兄たち(1907年)
称号 フィンランド王太子
全名 Wolfgang Moritz
ヴォルフガング・モーリッツ
出生 1896年11月6日
ドイツの旗 ドイツ帝国
Flagge Großherzogtum Hessen ohne Wappen.svg ヘッセン大公国オッフェンバッハルンペンハイム城ドイツ語版
死去 1989年7月12日(満92歳没)
西ドイツの旗 西ドイツヘッセン州クロンベルク英語版
配偶者 マリー・アレクサンドラ・フォン・バーデン
  オッティーリエ・メーラー
父親 カールレ1世
母親 マルガレーテ・フォン・プロイセン
宗教 キリスト教ルーテル教会
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ヴォルフガング・フォン・ヘッセン=カッセル=ルンペンハイムドイツ語: Wolfgang von Hessen-Kassel-Rumpenheim, 1896年11月6日 - 1989年7月12日)は、ドイツヘッセン=カッセル家の公子。1918年のごく短期間、フィンランド王国王太子となることが予定されていた。

生涯[編集]

ヘッセン=カッセル家の公子フリードリヒ・カールと、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の妹であるプロイセン王女マルガレーテの間に四男として生まれた。すぐ上の兄フィリップとは双子である。長兄フリードリヒ・ヴィルヘルムと次兄のマクシミリアンは第一次世界大戦で戦死した。

1918年に父がフィンランド議会によって国王カールレ1世に推戴された際、フィリップがドイツにおいてヘッセン=カッセル家を受け継ぎ、ヴォルフガングが新興国フィンランドの王家を受け継ぐという、一族内の役割分担が想定された。このためヴォルフガングがフィンランド王太子になることが定められたが、ドイツの敗戦によりヘッセン家がフィンランド王位に就く望みは潰えた。

1924年9月17日、最後のドイツ帝国宰相を務めたバーデン大公家家長マクシミリアンの娘マリー・アレクサンドラ(1902年 - 1944年)と結婚した。マリー・アレクサンドラは1944年1月29日のフランクフルト大空襲英語版の犠牲となって死亡した。1948年9月7日、家内法では貴賤結婚とされる平民女性のオッティーリエ・メーラー(Ottilie Möller, 1903年 - 1991年)と再婚した。

銀行員としてのキャリアを積み、ハンブルクM・M・ヴァールブルク&COヴィースバーデン商工会議所で働いた。1932年4月1日に国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党、NSDAP)に入党し、1933年のナチ党の権力掌握後、ヘルマン・ゲーリングの世話でヘッセン=ナッサウ州オーバータウヌス郡ドイツ語版の郡長に任命された(ヘッセン=ナッサウ州では兄フィリップが州知事を務めていた)。また軍隊にも入隊し、陸軍少将にまで昇進している。第二次世界大戦ではドイツ軍の一員として3年間フィンランド領ラップランドに駐屯し、1943年にはフィンランドの最高司令官マンネルヘイム元帥より三級自由十字勲章英語版Vapaudenristin ritarikunta)を授与されている。

戦後、ナチ党への協力姿勢が災いして短期間抑留されている。その後はクロンベルクのフリードリヒスホーフ城英語版で暮らし、ヘッセン家の資産管理団体ドイツ語版を経営した。

参考文献[編集]

  • Eckhart G. Franz, Das Haus Hessen, Stuttgart 2005, ISBN 3-17-018919-0
  • Anders Huldén, Finnlands deutsches Königsabenteuer 1918, Reinbek 1997. Herausgegeben von: Deutsch-Finnische Gesellschaft e.V. und erschienen bei: Traute Warnke Verlag - ISBN 3-9801591-9-1