ニック・メイスン

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ニック・メイスン
Nick Mason
2006年}
2006年
基本情報
出生名 Nicholas Berkeley Mason
出生 1944年1月27日(70歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド バーミンガム
ジャンル プログレッシブ・ロック
サイケデリック・ロック
職業 ミュージシャン作曲家ドラマーレコード・プロデューサー随筆家
担当楽器 ドラムキーボードギターピアノメロトロンパーカッションテープ・コラージュプログラミング
活動期間 1964年 -
共同作業者 ピンク・フロイド
ボブ・ディラン

ニック・メイスンNicholas Berkeley Mason, 1944年1月27日-)は、イギリスバーミンガム出身のドラマープログレッシブ・ロック・バンド、ピンク・フロイドPink Floyd)のメンバーで、バンド結成以来の唯一のオリジナル・メンバーである。ニック・メイソンと表記されることもある。

ピンク・フロイドにおける経歴は「ピンク・フロイド」の項を参照。

バイオグラフィー[編集]

バーミンガムの比較的裕福な家庭に生まれる。父はドキュメンタリー映画演出家で、母はクラシックのピアニストだった。音楽的にも恵まれた環境で過ごしている。

リージェント・ストリート・ポリテクニック(現ウェストミンスター大学)に進学し、ロジャー・ウォーターズリチャード・ライトの2人と出会う。その後、ピンク・フロイドの母体となるバンドを結成する。

ピンク・フロイドとしてメジャー・デビューしてからは、他のメンバーに先駆けてソロとしての活動を始めている。幅広い音楽業界の交友関係を生かし、多くのミュージシャンのレコーディングやツアーに参加している。ダムドロバート・ワイアットゴングスティーヴ・ヒレッジマイケル・マントラーなどの作品に携わってきた。ドラマーとしての参加はもちろん、プロデューサーレコーディング・エンジニアとしての活動も行っている。

また、1981年に『空想感覚』、1985年に『プロファイルス〜ピンクの進化論』(元10ccリック・フェンとの共作)という2枚のソロ・アルバムを発表している。ニック・メイスン名義ではあるが、どちらかというとプロデューサーとしての色彩が強い。

ウォーターズとデヴィッド・ギルモアの対立により、フロイドの活動に亀裂が入ってからも、中立的な立場を採っている。1980年代以降の2人のソロ・ツアーに顔を出すなど、どちらとも良好な関係を維持している。

1984年4月28日〜30日、ギルモアのツアー中に行われたロンドン・ハマースミス・オデオン3夜連続公演にゲスト参加する。この模様はVHS『David Gilmour』(未DVD化・国内版未発表)に収録された。

2002年6月26日〜27日のロジャー・ウォーターズのツアー中に行われたロンドン・ウエンブリー・アリーナ公演に飛び入りして、他のピンク・フロイドのメンバーより一足早く、公に和解する。

2006年5月31日、ギルモアのロンドン公演にゲスト出演していることも確認されている。このツアーにはライトも参加していたため、1980年代後期以降のフロイド・メンバー3人が揃ったことになる。

同年、ピンク・フロイドの名盤『狂気』の完全再現で話題になったウォーターズのツアーに、スペシャル・ゲストとして6月12日、29日、7月1日、12日、14日、9月12日、13日、10月5日、6日、8日に登場する。また、2007年のツアーには5月12日のみ参加した。

これらのゲスト参加について、メイスンはインタビューで「ギルモア側、ロジャー側、どちらで演奏しても何か欠けている」と発言している。

現在では執筆家としても活動しており、2004年にはメンバー自身による初のピンク・フロイドの伝記本『Inside Out』が著されている。また、米タイム誌には、2006年7月に死去したシド・バレットへの追悼文や車に関する記事を寄稿している。

2012年に開催されたロンドンオリンピックの閉会式に出演し、ピンク・フロイドの名曲「あなたがここにいてほしい」の演奏にドラマーとして参加した(他のメンバーは不参加)。

音楽的特徴[編集]

  • メイスンのドラムの特徴は、ビートが非常に緩やかであるという点。他のロック・バンドのドラマーとは違い、タイトでパワフルなパフォーマンスはあまり見られない。しかし、このドラミングの効果により、幻想的なフロイド・サウンドが演出されているとも言える。
  • 一方で、映像作品『ライヴ・アット・ポンペイ』など比較的初期のライブ映像では、かなりパワフルで激しいドラミングを観ることができる。ちなみに、この映像で「吹けよ風、呼べよ嵐」を演奏している際、激しいパフォーマンスのあまりドラムスティックが手からすっぽ抜けてしまう場面がある。しかし次の瞬間、すぐさま足元からスペアのスティックを取り出し、何事もなかったかのように演奏を続けている。
  • 左利きで右利き用セットを使用しているため、フィル・インのほとんどが左手からはじまり独特のフレーズとタイム感を持っている。ビートルズリンゴ・スターチープ・トリックのバン・E・カルロスなどと同じ。
  • またピンク・フロイドのサウンドの特徴と言えるSE(効果音)も、メイスンが中心となって作成していた。特に録音したテープを切り取り繋ぎ合わせていく「テープ・コラージュ」が得意だった。ロジャー・ウォーターズは「ピンク・フロイドに新しいテクノロジーを持ち込むのは、いつもニックだった」と振り返っている。

エピソード[編集]

  • 大の車好きであり、特にカー・レースではル・マン24時間レースへ参戦、完走も果たしている(1979年18位、1980年22位)。1983年童夢社設計(製作はマーチ社)のRC-82iが出走した際のドライバーの一人でもあった(レースは7時間でリタイヤ)。
  • また、自動車販売会社を経営していた事もあり、フェラーリ・コレクターでもある。ジル・ヴィルヌーヴがかつて駆ったF1マシンやフェラーリ・デイトナなどの他、所有しているフェラーリ・エンツォフェラーリをイギリスの自動車番組トップ・ギアの撮影のために貸し出したこともある。グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードなどのイベントにも、これらのマシンを持ち込んだり、貸し出すこともある。またフェラーリ以外にも多数の車両を所有しており、マクラーレン・F1のレース仕様であるGTRを公道走行仕様に手直しした物など、貴重な車両も多数所有している。またF1のヨーロッパラウンドの際はフェラーリで乗り付け観戦し、そのまま帰宅したこともあった。
  • 大学で建築学を専攻していたこともあり、イラスト・デザインにも長けており、アルバム『ピンク・フロイドの道』のオリジナル版のジャケットを手掛けている。ここでは「楽器の城」のような不思議なイラストを作成している。
  • ドラムを担当するようになった理由は「くじが外れた結果」だという。また、ウォーターズは当初リード・ギターを担当していたが、演奏技術の問題からリズム・ギターに代わり、シド・バレットが加入してからはベースに降格している。このときのことをウォーターズは「ドラムまで降格にならなくてよかった」と述懐しており、メイスンも「ロジャーがドラムになっていたら、僕はローディーをやるしかなかっただろう」と述べている。

ディスコグラフィー[編集]

ソロ・アルバム[編集]

  • 空想感覚 - Nick Mason's Fictitious Sports (1981)
  • プロファイルス〜ピンクの進化論 - Profiles (1985)
    • 元10ccのリック・フェンとの共作名義

プロデュース作品[編集]

その他参加作品[編集]

著書[編集]

  • Inside Out (2004)