タルトゥ大学

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キャンパスの正面

タルトゥ大学(エストニア語:Tartu Ülikool,ドイツ語:Universität Dorpat,英語:University of Tartu)はエストニアの都市タルトゥにある大学。

歴史[編集]

グスタフ2世アドルフによって、1632年に設立された。当時の呼称は「アカデミア・グスタヴィアナ」であった。スウェーデンによって建てられた大学としては、ウプサラ大学に続き2番目に古い大学である。タルトゥに大学を建てた理由としては、まだカトリックが有力だったこの地域にプロテスタントを定着させる狙いがあったとされる。18世紀初頭における大北方戦争の戦禍で閉鎖に追い込まれたが、1802年にアレクサンドル1世が大学を再建した。当時、バルト海東岸地域では、バルト・ドイツ人と呼ばれる少数のドイツ人が、土地貴族として強い勢力を有しており、大学の講義もドイツ語ラテン語で行われていた。同大学で著名なドイツ人学者が多く教壇に立ち、「北のハイデルベルク」とも称されたのはこうした理由による。その点で、タルトゥ大学は事実上バルト・ドイツ人のエリートを養成する機関でもあった。1884年、アレクサンドル3世によるロシア化政策の影響で、大学名は「ユリエフ大学」と改称され、ロシア語の授業が強制されるようになった。この大学でエストニア人が学び始めるのは、20世紀に入ってのことである。

キャンパス[編集]

著名な卒業生[編集]

脚注[編集]

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外部リンク[編集]