サハリンの鉄道
サハリンの鉄道(サハリンのてつどう)
本項では、ソビエト連邦(ソ連)による南樺太の実効支配が始まって、ソ連運輸省の鉄道局に編入されてからのサハリン州の鉄道について記す。現在、ロシア鉄道の一路線となっている路線については、サハリン鉄道(Сахалинская железная дорогаサハリーンスカヤ・ジリェーズナヤ・ダローガ)と呼ばれる。ソ連軍侵攻前については、樺太の鉄道の項目を参照のこと。
目次 |
[編集] ソ連時代の鉄道
第二次世界大戦前、日本の手により建設されていた樺太の鉄道は、ソ連による南樺太侵攻後、ソ連国鉄に組み込まれた。当初はソ連当局の指揮下に従来の日本人の鉄道員を残して運行を行い、徐々にソ連人による運行に切り替えられた。
豊原(ユジノサハリンスク)の都市改造、ソ連人の入植など、南樺太のソ連化が大々的に図られたが、ソ連内他地域と規格が全く異なる樺太の鉄道はどうにもならず、その運営にソ連当局は苦慮したようである。まず、日本時代の高いプラットホームはヨーロッパ式の低いものへと削られた。しかし、軌間や車両限界は容易に変更できないため、車両は、日本より輸出された[1]D51型蒸気機関車、客車、気動車など日本製が多く使用された。
ミハイル・ゴルバチョフによるペレストロイカ・グラスノスチ政策が進んだため、1989年頃から外国人もサハリン州に入ることが出来るようになった。
[編集] ロシア連邦時代の鉄道
その後、1991年のソ連崩壊によって経済が混乱すると、鉄道の設備維持も難しくなって休線ないしは廃線となる路線も現れた。日本が難工事の末完成させた、急勾配と宝台ループ線を含む山岳路線で、トンネルが多く、車両限界の関係でロシア大陸の車両が通行できない豊真線の大部分も1994年に廃止されている。
昨今では、トンネルのない区間について、車両は大陸で使用されているものに狭軌の台車を履かせたものが主流となっている。だが、輸送力・安定性が低い上に線路の老朽化も進んでいることから、2003年、ゲージを大陸で使用されている1520mmの広軌のものへ改める工事が始まった。コルサコフ(大泊)周辺、ならび北樺太など一部区間ですでに工事が完成しており、その他の地域でも鋭意工事が進められている。
なお、一時期は日本のキハ58系気動車などといった車両も無償譲渡された(1993年)が、整備不良などから数年から十数年で全て廃車となった。
[編集] 現状
現在では、主に以下のような路線が存在する。
- ロシア国鉄線
- コルサコフ - ユジノサハリンスク - ドリンスク - ブズモーリエ - アルセンチェフカ - ポロナイスク - スミルヌイフ - ポペジノ - ティモフスク - ノグリキ(ポペジノ以南は旧樺太東線)
- ユジノサハリンスク - ノボジェレーベンスカヤ、ニコライチウク - ホルムスク(旧豊真線、中間区間はすでに廃止。ただし、宝台ループ線までは、観光列車が走れるよう線路が維持されており、ループ鉄橋自体もまだ健在である。中間区間は、線路がすでに全面的にはがされ、農道になった)
- ネベリスク - ホルムスク - チェーホフ - トマリ - イリインスキー - アルセンチェフカ(ネベリスク - イリインスキー間は旧樺太西線)
- 戦前の未成線である真久線は1975年にソ連によって開通した。なお現在のロシア国鉄では真久線は白浦駅が基点となっている。
- 三菱石炭油化工業会社線は戦後ソ連の国鉄に編入され、シャフタ駅(内幌炭山駅)は西部縦貫線の始発駅となっている。
- その他貨物支線など
- サハリン海石油ガス貨物線
- ノグリキ - オハ
なお、日本海岸のトマリ(泊居)以南は、旅客営業が休止されている。
優等列車として、ユジノサハリンスク(豊原)-ノグリキ間を1晩で結ぶ急行「サハリン号」があり、大陸を運行しているのと同じ、4人個室寝台のクペを連結した編成が運用されている。食堂車は、以前連結されていたが、近年廃止された。
[編集] 将来計画
日本時代に計画されて完成しなかった、イリインスキー(久春内)から先、ウグレゴルスク(恵須取)まで延びる区間は、現在のサハリン州政府においても計画線と位置づけられており、将来の鉄道建設が見込まれている。ただし、途中に峠越えの山岳区間を含むため、まだ着工はなされておらず、現在は日本時代の放棄された未完成の路盤が荒れ果てた姿をさらしている。
さらにロシア連邦政府ならびにサハリン州政府が検討しているのは、スターリンが囚人労働を使って着工し、スターリンの死後放棄された、間宮海峡(ネベリスコイ海峡)の最狭部を海底トンネルまたは橋で渡りロシア本土に鉄道網を結びつける計画の実現である。しかし、サハリン州とロシア本土を結ぶ交通需要だけではこの大工事が経済的に引き合わないこともあって、ロシア政府とサハリン州政府は、宗谷(ラペルーズ)海峡に「宗谷トンネル」または「宗谷海峡大橋」を建設し、日本の鉄道網をシベリア鉄道経由でヨーロッパの鉄道網に直結させて、上野発パリ行きといった欧亜直通列車ルートに樺太の鉄道を組み込むメガ公共事業プロジェクトを真剣に検討している(後述)。これにより、コンテナを用いた鉄道輸送で、日欧間の貨物輸送時間はおよそ半分近くに短縮できるとも見込まれている。
北方領土の領有問題など日露間の懸案が大きく絡むため、日本政府はこのプロジェクトをまともに取り上げる空気にはない。ただし、日ロ関係好転の兆しが見られた1990年代以降、地元の稚内周辺の経済関係者や一部の民間団体では何度かこの構想が浮上している。2000年には日本の民間団体「シベリア鉄道国際化整備推進機構発足準備委員会」がイルクーツクで開催された「バイカル経済フォーラム」で上記内容の提案を行った事例がある[2]。
2011年12月15日にはロシアのプーチン首相が大統領選挙を控えたテレビ会見において、間宮海峡に架橋して本土からサハリンに鉄道を通す計画に関して、「日本までトンネルを建設することも可能であり検討中だ」と語った上で、「シベリア鉄道を日本の貨物で満載することにつながる」と期待を表明したが、外交筋は「日ロ政府間で検討している事実はない」としている[3]。
[編集] 日露語駅名対訳
- 樺太東線
- 豊真線
- 樺太西線
日本語とロシア語が共通点の見られない全く異なった言語であるために日本は覚えやすい日本名を使うことがある。
[編集] 参考・脚注
- ^ よく「賠償物資として輸出」との誤解した記述がみられるが、正規の条約である日ソ共同宣言の締結は昭和31年であり条約締結以前に賠償物資の請求は原則的にありえない。そして日ソ共同宣言時には条約第6項においてソビエトは日本に対し賠償請求権を放棄している。また当時の複数の文献「機関車」第3号(1949年11月発行)や「交通技術」51号(1950年10月号)にも正規の輸出との記述が存在する。一方「賠償輸出」という供述が見られ始めたのは当時の記録があいまいになりだし孫引きが増加した1970年代以降のことである。
- ^ [1]に2000年8月13日付 毎日新聞の内容
- ^ “「日本までのトンネル検討」=サハリン架橋計画で言及—ロシア首相”. 朝日新聞. 時事通信. (2011年12月16日) 2011年12月20日閲覧。